Fred Herschさんインタビュー
昨年11月 Inter fm 897で新たに始まったラジオ番組
Song X Radio〜Old and New Dreams(毎週日曜日23:30放送)の毎月第1週目のDJを務めることになりました。
その番組の企画でピアニストFred Herschさんにインタビューを行いました。
番組内ではフレッドさんの新譜を数曲流し、インタビューの中から印象深かった言葉、センテンスから抜粋して
紹介しましたが、実際のインタビューでは約束していた時間を延長し約50分間に渡りお話してくれました。
インタビューのお話を頂いてからフレッドさんが数年前に出版なさった自叙伝、
「Good Things Happen Slowly」も読んで(前日読み終えました)自分なりに質問等考えて臨んだのですが
本当に素晴らしい内容でした。
ぜひ多くの方々にフレッドさんのお話を届けたい、と
インタビューの全容を日本語訳で文字起こししました。
音楽、芸術を追求する人はもちろん、沢山の人にとってきっと興味深いものではないでしょうか。
An Interview with Fred Hersch
2022年1月26日
JF=古谷淳
FH=フレッド・ハーシュ
JF:今日はお目にかかれてとても嬉しく思います。長年あなたのファンであり
私自身ピアニストとして、また音楽の徒としてあなたの存在、音楽はインスピレーションを与えてくれました。(世界中にそう思っている人たちがたくさんいるでしょう)
ですから今日こうしてあなたとお話ができることは僕にとって素晴らしい機会であり、とてもエキサイトしています。
FH:ありがとう。
JF:まずいくつかの事柄についてお話を伺いたいと思います。
まずパンデミックについて。世界はこの2年ほど異例な、通常ではない状態にあるわけですが
どの様に過ごされていましたか?
FH:私の知る多くのミュージシャンたちも私も長年にわたりプロとしてジャズを演奏して来ました。私は18歳の頃から、今は66歳なのでまあ沢山の歳月です、そして私たちのアイデンティティの多くはジャズピアニスト、ジャズミュージシャンとして生きること、に尽きている(まとめられている)訳です。(または)ツアーアーティストであったり、コンサート、レコーディング、ジャズクラブに行って他のミュージシャンたちとハングアウトしたりだとか、、、
そういった様々な事柄は我々のアイデンティティだった訳ですがそれらの多くが突如取り上げられてしまったという事。その時私は様々な疑問と向き合うことになりました。
疑問とはたとえば自分は一体何者なのか?(who am I?) それらの事柄を失ってからね。
恐らくパンデミックの最初の10〜12ヶ月間くらい何もする気が起きなかった。
ピアノもあまり弾かなくなって、、。作曲も何も書かなかった。
一方で私は45年間休むことなく音楽家として生きて来たわけで、、
しばらくの間ストップする、休止して再びピアノを弾く、ということはある意味(演奏に)良い影響もあるのです。再開した時私は以前よりも感謝、喜びに溢れていたし、過度な期待も無くなったしそれまでより演奏はルースにできる様になった。
ロックダウンの最初の1週間デイリーに配信を行った。ちょうど今いるこの場所から。
ペンシルバニアの、、窓から林が見えるかい?
JF:美しいですね!
FH:とにかくその時自分に何ができるかなと考えたんだ。
そしてそこからアルバム”Songs From Home”が生まれた。配信と同じアイデアからね。リビングから(視聴している)皆のために良い感じの曲を弾く、そんなふうにね。
6月から11月、12月くらいまでほとんど通常通りに演奏もしていたんだよ。
ここに来てまた(パンデミックの)状況は揺れていて、、、まあまた演奏もしているけど。
まあ自分も他の多くのミュージシャンと同じことを味わったよ、、
恵まれたことに、金銭面、経済的に難しい状況に立つことは無かったから、、。
友人たちの多くは支払いに追われ、苦境に立たされる中、、自分にはそこはありがたいことだった。本当に皆大変な状況だった、、。
JF:健康面では?
FH:とても良いね。全体的に。
JF:それは良かったです。
実は最近、それも数日前にあなたの本、『Good Things Happen Slowly』を読み終えたんです。
本の中で語られる多くの事柄が今回リリースされた新譜、”Breath by Breath”とも繋がっているな、と感じました。今日はぜひそのアルバムBreath by Breathの制作について聞かせていただけますか?
FH:もちろん。最近の3つのアルバム、ひとつ前はSongs From Home、そのさらに前は
WDRビッグバンドとの作品、見ての通り全く違う内容だけれども。他の誰かによる私の曲のアレンジメントを演奏するんだからね。
その更に前にはトリオによるヨーロッパでのライブアルバムもあった。
この作品(Breath by breath)とはもっと”作曲家”としての繋がりにフォーカスしたかったんだ。
“Begin Again”という曲を書いたとき、3〜4年も前だろうか、私はメディテーションの過程に出てくるフレーズ、『呼吸に対する集中を見失ってしまったら、もう一度呼吸とつながりを見つけて、やり直しなさい(Begin Again)。』わかるかい?そこにもうあったんだよ。
ロックダウン期間中、オンラインで続けていたメディテーションのミーティング、リトリート、
知恵、そういったものが最初の1年の大変な時期をくぐり抜ける大きな助けとなった。
そしてそこからもう少し深く、(音楽的に)進めてみようと思って、、。
私はずっと弦楽四重奏が好きで、、
JF:そうでしたね
FH:それに何か違うこと、これまでにやっていなかった事をやってみようと思ったんだ。
(題材とする)楽曲がいくつか出来ると、、最初にBegin Again,続いてKnow That You Are、
するとどんな風に可能か観えて来た。
通常自分がメディテーションを行う時大体30分から40分くらい時間がかかる。
それで全体を通して同じくらいの長さの作品にしようと思った。
人によっては全体を通して聴いてもらえるのではないかと考えた。
そこにはストーリーがあるからね。それぞれのムーブメントは繋がりを持っているから。
もうひとつ意識したことは、、これまで沢山のピアノと、いくつかはピアノトリオと弦楽四重奏の
アルバムを聴いてきた。最近そういうことをやっている人たちもいるし、皆、それぞれオファーしているものがあるのだけれども私がやりたかったのは楽曲それぞれに対してストリングスを違った形で使いたかったんだ。
例えば全体を通してストリングスがずーっと流れていたら、それはただ常にそこにあるだけで
(音楽的に)聴こえて来なくなってしまう。だから時にはそれを取り去ってしまったり、再び戻したり様々な使い方をすることで聴いている人の耳は『おっ?これは!』となるわけだ。
このアルバムは決して容易いものでは無かった。
リハーサルも沢山、編集やミックス作業もとても複雑だった。
でもとても満足しているよ。勿論ソロもとっているしピアノも沢山弾いているのだけれど私、という1個人にフォーカスしていないんだ。私も7人のうちの1人、という事。また作曲者である、というその『声』でもあるわけでライブでヴァンガードで弾いている、というのとは結構違う。
沢山の役割、仕事があったね。次作はもっと容易かも知れないね笑
JF:それぞれの楽曲にはメディテーションに出てくる様々な過程をタイトルとしています。
Awakened Heart, Breath By Breath, Monky Mind,といったように。
あなたも長きに渡り続けているメディテーションというものをアルバム制作の中心のテーマとして
作品を世界に、またこういった状況下で発表することの意図とはどんなものだったのでしょうか?
FH:シンガーもいなくて歌詞もない音楽のイメージを伝えることができるのは
タイトルだけだ。例えばMonky Mind、という楽曲は先ずタイトルがあった。
そして考えたのはストリングスをどうしたら邪魔な、鬱陶しいサウンドに使えるかということ。
瞑想(メディテーション)で心を落ち着かせたい、意識を静かにさせたい、そんな時に意識の中で様々な声が『E-mail送らなくちゃ』、『夕飯何食べようかな』『痒いな』とか、そしてこれらはぐるぐる巡り続けることがある。そして無理矢理押しのけたりはできないんだ。
脳の働き、それが仕事だからね。でも鬱陶しい。邪魔だ。
徐々にドラマーが入って来てストリングスと入れ替わり、彼もまた鬱陶しい、というように。
これらのタイトルは全てメディテーションを構成している要素にあるんだ。
Worldly Windsは人間のバランスを失わせる事柄で名声と汚名(恥ずかしさ)快楽と苦痛、
損失と利得、大体全部言えたと思うけど。
テーマからタイトルを付けていくという方法も私がやりたい試みの一つでもあるんだ。
ちょっとした1フレーズもタイトルに使いたいかも知れないのでメモしたり、、、。
興味深い単語もね。何か読んでいる本や一編の詩の中だとか、、書き留めて置いて
後に作曲するときにそれを眺めてみたりするんだ。一つのきっかけとなるかも知れない。
何かについて曲を書くときなんかにね。
だから自分にとってタイトルというのはとても大切なんだ。
楽曲にバラエティ、や構造、といったものを与えるためにもね。
それが君の質問に答えていることになるかわからないけれど笑。
JF:ありがとうございます。とても興味深いお話です。
リスナーたちはタイトルを通じて作曲者の持つイメージを感じることができる、ということですね。では、これらのテーマを持つ楽曲たち、またリリースを通じこれから聴いてくれるであろう人々に何かメッセージはありますか?
FH:今、世界はいまだにショック下にあると言える。
仏教でとても大切なことの一つに、君は多分知っているかと思うけれども、
Aversion and Attachment(嫌忌と執着)ということ。
我々は多くのイメージ、仕事やルーティーンといったもの達に執着(attached)して来た。
しかしそれらの多くは変わってしまい我々は不確実な、不透明なことと共に生活することになったわけだけれども、このアルバムを聴いてくれた多くの人たちの中で『勧められたようにアルバム全編通して聴いてみたよ、何故なのかわからないけど聴いた後とても気分が良くなったよ』といってくれた人がいる。とても素晴らしいコメントだと思った。何故かは私にもわからないけど。
ヒーリング・ミュージックと呼ばれる音楽も沢山ある。例えばニュー・エイジとかあるけれど
私が皆に解ってほしいのはこれは単に優しく、静かな、といった音楽ではない、ということ。
もっとこうダイナミックなものだよ。
人々がSongs From Home にも言えることだがこれらのプロジェクトに示した反応というのは、、おそらくどちらのアルバムも内容も、時期も含め様々な理由も、運もあるかも知れないがベストなタイミングだったんだ、と思う。
私はとても幸運だったしハッピーだよ。
人々はSongs From Home に共感してくれた。何故なら我々はみんな隔絶されてしまったから。
他のミュージシャンと集まりたくても集まれなかった。不可能だったんだから。
ノートPCを使って1人でアルバムを作ったんだ。
Breath By Breathは20数年にわたり続けているメディテーションへの感謝であり、回帰であり、
探究でもあったんだよ。
質問が何だったかな、、
JF:いえ、素晴らしいです。。ありがとうございます。
では一つ僕以外の人からの質問が来ているので、、
アルバムのレコーディング時に弦楽四重奏とピアノトリオを同時にライブで録音したと伺いました。オーバーダブといった手法を使わずに。
FH:その通りだよ。
JF:リスクもあることだと思いますが、、
FH:間違いなくそうさ。
JF:何故、敢えてそうなさったのでしょうか?
FH:レコーディングまでに多くの時間を費やしてストリングパートを書き全てのアレンジも行った。でもレコーディングでは”作曲家”から”ピアニストへとスイッチする必要があった。
楽しいのはそこで起こることにリアルタイムに反応することだ。
どんな風に展開していくか、大体わかっていてもね。
実際にスタジオで他のミュージシャン達と一緒に席に着いて演奏するまでは本当の意味で何が起こるかは分からない。例えばアルバム2曲目のAwaken Heart,は弦楽四重奏のパートが先ず書かれていて、その後スペースがある。そこで私がピアノを弾くわけだ。そして合図があり、曲が終わるのだけれど一体自分がそこで何を、どんなことを弾くのか全く決まっては無かった。
そこに座って、本当に、本当に周りの音に耳を傾け、自分の中に取り入れた。
そして弾いた。1テイクのみ、それだけ。
他にもっと躍動的な楽曲ではストリングスがバックグラウンドでリズムを刻みメロディーを続けるといった様な、、だからこんな風に進むということが分かってはいたとしても実際にそこで演奏するまではそれに何をどう感じるか(how it feels)は分からないんだ。
それにエナジー。たとえ仕切られていても(ブースや、パーテーションなどで)そこには
一緒に音楽を作っているんだというエナジーがあった。
トリオで録音して後から弦楽四重奏を付け足したのでは同じエナジーは得られない。
やはりリスクはあったよ。やり直しも必要になったり、、、
でも仕切られていたので手直しを入れる事も可能だった。些細な間違いなどね。
できる限りライブ感を得たかった。
JF:それがあなたの音楽にとってとても重要な要素なんですね。
FH:その通りだよ。
JF:先にお伝えしたように僕はほんの少し前にあなたの著書、『GoodThingsHappenSlowly』を読んだのですが本の中で語られているあなたの歩んで来た道のり、素晴らしい音楽家として、また今日ある1人の人間としてのあなたへと続くエピソード、は日本人である僕に強い共感を与えました。高校生時代渡米した頃の思い出を呼び覚ましました。
偶然にもオハイオ州だったんですが、、。
FH:本当に?どこだったんだい?
JF:カントン市です。90年代初頭のオハイオの小さな街で、、その頃は現在とはずいぶん状況も違っていてインターネットも何も無く、今とは全然違いました。学校で唯一のアジア人としてやはり僕も孤独を感じたり、
誤解されていたり、人種問題も顕著で僕が通っていた高校は白人が殆どで例えば黒人の生徒は20人以下くらいしか居なかったり、、隣町の高校は全くその逆であったり。
もちろん悪いことばかりではなく良き友人もたくさんいたし、音楽、
ジャズバンドに入ったことはミュージシャンになるきっかけでしたし、、
ですからあなたの本がその頃の様々な思い出や感情を思い出させてくれました。
深く共感を覚えました。その事もお伝したかったのです。
FH:ありがとう。
JF:あなたの音楽と共に深く心の奥底に共鳴したのです。
FH:ありがとう、私がジャズを始めた頃も君のいう様に状況はとても違っていた。
テクノロジーも全然なくて、、70年代後半まで留守番電話すら無かったんだから、、。
先生もいなかった。ただレコードを聴くしか無かったんだ。年上のミュージシャン達の演奏を聴きに行ったり、シットイン(飛び入り)したり上達してはまた通いというのを繰り返し、ある意味戦ってきたんだ。
今の様にジャズの学校もあまり無くて、サマー・ジャズ・キャンプくらいで、、、。
現在の様なシステムを通っていたらきっとまた違った演奏をしていたかも知れない。
しかしジャズ・ミュージシャンとして『独学』、全てでは無くともほとんどを自分で学んで来たことは私が私らしいサウンドを得ていることに寄与していてその事にとてもハッピーだよ。
若いミュージシャン達の中にはあらゆる(スタイルの)人達のことを聴いていて沢山のトランスクライブ(コピー)をしてたくさんのことを知っていて、、、
でも彼らは自分が誰なのかを知らないんだ。
また、君は差別について言っていたがゲイであることは、まだ高校生であれば、とてもリベラルな、かなりリベラルな学校ですら、、60年代終わりから70年代の初め勇気付けられる様な、尊敬できるような大人が居なかったんだ。(ゲイとしてのロールモデル)誰1人としてカミングアウトして居なかった。とても孤独だった。ピアノの才能があったからある意味特別でもあったし、ちょっと浮いているような感じで、、
私の本は私の1人の人間としての、また音楽家としてのそれぞれの旅路、
そして最終的に互いに結びつきひとつになる、と言った内容でね。
私のオハイオのルーツにはとても感謝しているよ。
育った場所としてはとても良い場所だと思う。自分の学校ではあまり人種問題の緊張感も無かった、、。ジャズクラブなどでもそうだったからね。ラッキーだったと言える。
本を書く上で一番大切だったことは出来る限り正直に書くことだった。
もしも内容がこれまでにこんな賞やあんな賞を獲った、とかだったら本なんて書く意味は無いしね。そんなのはウィキペディアでもみたら分かることだし。
大変な仕事ではあったけどやって良かったと思っているよ。
JF:沢山の人々にメッセージを贈ったのだと思います。様々な人生の苦難にある人、混乱している人たちへ、、もちろん多くの若いミュージシャン達にも。
あなたが語っているジャズの楽曲たちとの繋がり、どんな風に向き合いどんな風に学び、扱ってきたか、また作曲家たちへのリスペクト、モンクについての考えなどとても惹きつけられました。
あなたから若いミュージシャン達へアドバイスやメッセージは頂けますか?
特に現在の様な難しい状況下で苦しみ、実生活と音楽の追求の狭間で信念を持ち続ける事が簡単では無いといった人達へ。
FH:そうだね、創造力(creativity)、というものは一言で表す事が可能だ。
『何かを創る』(make something up)ということ。同じ様にメディテーション、というのも
一言で表すならば『リラックスして、気付きなさい』という様にね。
今日に於けるジャズ教育、というものはある意味『産業』と化してしまった。
そして若いミュージシャン達の多くは溢れるほどの情報を与えられる。しかしそれらの情報を
創造的に使っていく事が勧奨されていないと思う。
皆あれこれフレーズやパターン、といったものを持っているけれど彼らは『間違い』を犯すこと、または何かを完璧に出来ない、といった事を恐れているんだ。
けれでも私がまず彼らに伝えたいことは『間違いから学べ』という事だ。何故ならその事こそが本当に何かを『知る』という事でもあるんだよ。それともしもそういったいわゆる『間違い』を演奏の中で犯したとしても変に抵抗しないことだ。『もしかしたらこの事で別の扉が開かれるかも』といった具合に捉えるんだ。まだ行ったことのない何処かへ行けるかも知れない。もしもそうでは無くもっと『完璧』に弾いていたらそれらは起こらなかったかも知れないだろう?
『間違い』から学ぶんだ。
それから、、『深く聴く(deep listening)』という事をトライして欲しい。例えばおなじ1曲を続けて6、7回聴く。様々な視点、角度からね。
配信サービスなんかでアルゴリズムからお薦めされる曲のリストから30秒づつ聴いては次へ、とかではダメだ。私が始めた頃は中古レコード店が全てだった。
そしてこの大きな物体を手にする、そこにはワクワク感があった。どういう人たちかも知らない、持ち帰りターンテーブルに乗せる、、最高だったよ。
探す、見つける事も必要だっただろう?良い事もあるさ、若いミュージシャンで曲を学んでいる最中だとしよう。ストリーミングでその曲の30の違うバージョンがすぐに聴けるんだからね。レコード屋まで行かずに。一方でもしも全てが無料なのと手に入れるために働く、努力しなければならないのとでは随分違う関係が(それらの楽曲と)作られる。
そして出来ることの一つが、、私はその頃レコードの片面だけターンテーブルに乗せて何日もその面だけ聴いていたよ。毎回同じものばかり。お気に入りの一曲からできるだけ多くのものを得ようとしていたんだ。ベースとドラムが何をやっているか、ピアノのコンピング(バッキング)はどんな風か、フレージングは?空間はどこにあるか?ソロの組み立ては?そういった様々な事柄をね。
そしてこういう事を誰かに言われるまで待ってからやるのではなくてね、、。
これまでに私が教えてきた若いミュージシャンの中には有名になった人たちも多いが
彼らには皆共通してそういう煌めきがあった。何か余剰のDedication(献身、専念)、
リサーチ、実験、+アルファな何かがあった。
アドバイス、になったかな、、
そして陳腐に聞こえてしまうかも知れないが、、、
(音楽で)成功する、、もしくは良いレベルでうまく行く、というのは本当にとても難しいことだ。何故君がこれを、ジャズをやらなければいけないのか、というと、、
それしか無いからだ。(you don’t have a choice)
音楽、ジャズへの愛はあまりにも大きく、他のことをするなんて想像すらできないからだろう?
時折私のマスタークラス(特別授業)で見るからに消極的な生徒達もいる。ただ席に着いているだけ、、。そもそもジャズが好きなの?と尋ねたくなるよ。何を普段聴いてるんだい?ここにいるのは他に就きたい職業がないからかい?なんでここに居るんだい?とね、、。
とにかく今はあらゆることが可能で身近にあるけれど大切なのは本当に集中すること、本当に注ぎ込むこと。そしてその道のりはとても長い。お金を稼ぐ方法としても簡単なものでは無いしね。だからこれをやるためには先ず本気で愛していなければ出来ない。
愛情を持って聴き、愛情を持って演奏し、、
そして、、そう、『自分自身』(be your self)で居ることだよ!
そうすれば何処かへ辿り着く。
JF:素晴らしいです、、。ありがとうございます。
そろそろお時間でしょうか?
FH:いやまだ大丈夫だよ。
JF:とても感動的でした、、僕は決してもう若者でも無いですけど心に響きました。
FH:これは私自身も時折思い出さねばならないことだよ。
JF:とても大切な事ですね。
FH:そうとも、それにツアーに出続けることも簡単ではないし、、私にはこれまでに得てきた一定の評価もあるけれどそれはプレッシャーでもある、、。人々は期待、というものを持っているしね。ツアーも、ツアーで毎日違うピアノを弾かなければならない事も大変だ。
でも(昨年の)6月以降、特に秋はとても忙しくなったけれど私は感謝の気持ちで一杯だった。
全てが最高だったよ。旅での移動も苦痛じゃ無かった。ここに来れて幸せだ、と感じていた。
そのことにとても救われたんだ。
大切な事柄を表すセンテンスについて考え、話をすることはとても面白い。
例えば『私は音楽をプレイします』(I Play Music)などと言うだろう。
このプレイ(Play)と言う言葉はとても重要な言葉だよ。
プレイ、そう私はプレイする、Play=遊ぶ、と言うことだ。楽しいんだよ!
私は仲間と演奏することを楽しんでいる、私はこの美しいホールでソロ演奏を楽しむ、
楽しみ、遊び心に溢れた行為なんだ。この年齢になって、私は何をするにしてもそれを楽しんでいるかどうか、と言う事が何より大切なんだ。お金もナイスだし、名声、評価もそうだけれども
楽しんでいない、楽しく無くて単なる仕事となってしまうならば、もうそんなことはやりたく無いよ。
JF:可笑しいですよね、私たちは誰でも皆そんなふうに始めたはずなんですが、、小さな子供の頃は、、
FH:そうだよ、自然にそうゆうふうに生まれついているんだ。
JF:だから楽器に触りたかったし、耳にしたメロディーをピアノで探りあてたり、、
でも何故か、例えば12歳頃正式なレッスンに通い出す頃からそう言うものが変わってしまう。
FH:そうだね、ちょうど12歳の頃私はそんな質問をされたよ。
『君は本当にシリアスに取り組めるのかい?(音楽に対して)』とね。
『もし君がシリアスならばこれらのことをやらなければいけない。』と。
私がジャズに惹かれたのはその『楽しさ』『遊び心に溢れた』所にだった。またジャズのもたらす交流、社会性もだ。誰かと演奏したり、誰かの前で演奏したり、、
楽しみでジャムセッションに参加するとか、、。
私は思うんだ、ジャズ教育、と言うのは時に画一的な聴き方、聴こえ方に皆を作り上げるようにデザインされている気がするんだ、、、、。そして『そんなことはわかっているけど僕はそのやり方でプレイしないよ』と言えるミュージシャン達もいる。
そして君の言う通りだよ。音楽に引き込まれたのは魅了されたから、楽しかったからなんだ!まだ4、5歳の頃、小さな椅子に登って、、最高に楽しかった!
そんな感覚、姿勢を持ち続けることだよ。可能な限りね。
例えどんなに疲れていても、飛行機に2回乗って、不味い食事だったとしても
ステージに上がれば、、わかるかい、『さあ楽しもうよ!』といった具合にね。
本当に大切なことだよ。
このアルバムBreath by Breathを作っている時は、また違った楽しさがあった。
私にとってチャレンジだったのは弦楽四重奏のパートを思い描く通りに書くことも、レコーディング時にはそれらを全部忘れてピアニストとして向かわねばいけないことも、挑戦だった。
運の良いことに素晴らしいプロデューサーに恵まれた。
多くの手助けをしてくれたりメモを取り、またなんでも話せた。
自分だけでは到底不可能だったと思う。プロジェクトを通して大きなサポートに恵まれていたんだ。だからこれはチームでの挑戦だったといえる。
弦楽器奏者達も本当に音楽を演奏することに喜びを感じていた、、。
関わった全員が幸せだった。良き『意図』があった。
JF:ありがとうございます。
では最後にもう一つ質問をさせてください。
今、この時点であなたが願うこと、望んでいることは何でしょうか?
これから先、パンデミックが終わってからのことや、
またこのアルバムのリリースを通じての願い(Wish)はありますか?
FH:そうだね、君が読んでくれた本に書いたように私はこれまで数多くの健康面での重大なチャレンジがあった。2007年、2008年から2009年にかけて、、。
それは一つの区切りとなった。コーマ(昏睡状態)以前、そしてそれ以降でだ。
それほどのことが起こると、人生というのは大きく変わるんだ。それは直ぐに、では無く、、
何がどう変わったかというのは具体的に解らないが変わった、ということは解るんだ。
それからこの14ヶ月間の配信しか出来ない状況、外で演奏出来ないこと、、
それもまたもう一つの区切りだった。そろそろ別の変化が必要だよ、、。
今、私は66歳、単にお金のために何処かへ出向くことはしない。
だから私の願いは、もちろん先ずは健康でいることだ。
他の皆と同じくね。
それから楽しみ続けること。挑戦し続けること。そして分かっていることはもうこの先パンデミック以前のように忙しくは決してならない、ということ。
パンデミック前の4、5年の間私は本当に忙しかった。いつも旅に出ていたり、、。
これからはギグ(ライブ)もコンサートも以前より減っていく。
しかしこれまでよりも楽しさは増えると思う。これまでよりも感謝の念を持てると思うし、、
それは一つのゴールとも言える。
次のアルバムのプランもいくつか頭の中にあるんだ。
とても恵まれていると思うのはアメリカのPalmettoレコード、日本のFree Flyingプロダクションのシゲコも、私の活動をサポートしてくれている。私がアルバムを作ったと言えば
『素晴らしい、次はどうしますか?』と訊いてくれるんだ。
この時代、ジャズミュージシャンの多くは何かを発表したかったら自主制作するか、たくさんのお金を費やす必要がある、、。もう一方で必要なサポート、パブリシティやその他についての助けも無い。
だから私の置かれた状況にはとても感謝しているよ。この20年間同じレーベルがサポートについてくれている。
だからこれからも私自身のチャレンジを続けていきたいしこれからもリスナー達を惹き付けて行きたい。興味を無くさせないようにね。単にトリオアルバムを5枚作るとかではなく違うことに取り組んで行くこと。
Breath by Breathはとても有機的に起こったと言える。そう、自然に起こったんだ。
私はいつも自分の中に何か予期しないことや楽しいことが起こるための空間、場所を残しているんだ。
JF:それが来年かはわかりませんが、近い将来再びあなたが日本に来て私たちのために音楽を届けてくれる日を心から望んでいます。それが私の願い(Wish)です。
FH:もちろんだよ!ほとんど毎年のように日本、韓国にも行っていた。
またきっと可能になるさ。このコロナというものと共生して行くことを学んで行くんだ。
消えて無くなるなんてことはないと思うよ、、。
人類はこれまでにも様々な病気と共に暮らして来たんだ。
人生とは不確定なものだしね。多分Covidが無くなることはないんだと思っている。
多分、弱いものになってはいくかも知れないけれど、、、。
JF:治療方法とかも確立されていくでしょうし、、。
FH:それもそうだしもし罹ったとしてもそれはいわゆる風邪のようなものになって行くと思う。
私はコロナに罹った人たちをたくさん知っている。けれど誰も重症化しなかったし何人かは感染したことに気づいてもいなかったんだ。ワクチンを打っていないとかでなければ殆ど大丈夫なんじゃないだろうか、、。残念なことに多くの人々がワクチンを打たない選択をしてもいるが
それはまた別の問題だけどね、、。
いずれにせよこのコロナ、というものと共生していく、生きて行くしかない。どうにかしてね。
こんな風に世界を閉ざして生きて行くことは出来ないんだ。
こっちを閉めてあっちを開いて、何て繰り返すことはみんなの精神衛生上不可能だよ。
JF:本当にその通りだと思います、、。
FH:OK,深い質問を沢山ありがとう!
JF:今日は本当にありがとうございました!!
*インタビュー、日本語訳 古谷淳
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