ジャズを学ぶ。そして練習について。
音楽、というのは勉強や練習が終わる事がない。
何かを学ぶ事により新たな扉が開かれ未知の領域が広がっている事に気づく。
技術もそう。何かが新たに有効になるとき初めて見えて来る新たな秩序、そして次に必要な事柄。
ゴール、なんてそもそも無い。
探究を続けることそのものが、この人生であり
音楽であり音楽が僕にもたらすものなのだ。
学生の頃は先生から様々な課題を出された。
各学期、各学年、様々な単位で期限もある。
今から考えると信じられないくらい練習していた。学校から外へ出て、ミュージシャンとして生活を始めると中々そこまで練習に費やす時間を捻出出来ない。
今僕は自宅にピアノもあるけれど
演奏で遠くに行く日以外は基本的にレッスンをしている。ありがたいことに沢山の生徒さんが通って来る。レッスンとレッスンの合間に1時間とか空くと練習する時もあるがあれもこれも、という訳にいかないので本当にひとつ、ふたつの事しか練習しない。ある程度の期間を経て新たな課題、目標に取り組む、そんな感じだ。
ここ数年はクラシックの楽曲を少しずつだが弾いている。基本的に好きな曲を弾くだけで、大学のプログラムの様に一定期間内に弾き進めてこのテクニック、あのテクニックと身につける様なこととも違う。
とある楽曲と出逢い、感動してそれを弾きたい、という事。
幸いなことに今の僕は学生ではないので
こんなふうに、これまでの人生でおそらく1番、
個人的にピアノと付き合っている。
僕はおそらくこれらの楽曲をステージで弾く事は無いと思う。でもとても大切にしたい時間。
そもそもやらなければいけない訳でも、いつまでに、など期限付きでも無い。
本来こんなふうにただ好きだから練習をしたいのだ。知りたいからあれこれ勉強もするのだ。
シンプルで純粋な繋がりを音楽、楽器とは持たねばいけない。その先に出会う人、仕事としての演奏もある。しかし先ずは自分と音楽の関係を見直すことが大切なのではないか。
対外的な価値観に振り回されて、本当にその時したいこと、やるべきことを見失う事も若い頃は多々あった。
そして何より音楽というのはひたすらに続ける以外に本当に何も無いのだ。
僕のレッスンではこれまでに自分自身が取り組んで来た様々な課題や演奏家として重ねた経験から培った知識、技術、考え方、そして多様なレベルにある生徒さん達を長年見て来て気づいたことを踏まえ、その上で一人ひとりの特性や目的に必要だと思う課題を考え、取り組んで貰っている。
ジャズを弾きたくてレッスンを受ける人たち、また僕は甲府の桜座で地元の愛好家たちがたくさん参加するジャムセッションのホストもやっていて気づくこともある。レッスンやセッションで見て来たことから僕が考える
何からどんなふうに練習、
勉強をしたら良いのか。
音楽の何を大切にすべきか。
もしかしたら読んだ人にとって良いヒント、きっかけになるかも知れないので
端的にではあるが書いてみる。
先ず何よりもジャズを聴くこと。
特定のプレイヤーを大好きになることももちろん良いけど、僕にはジャズの歴史を知ることはとても大切だった。必ず時系列でなくてももちろん構わない。それにいつだってどの時代の物も聴ける。やはりマイルスの軌跡を辿ることはとても意味があると思う。そしてそこから繋がる数多くのミュージシャンたちはモダンジャズの歴史を支える。
マイルスのアルバムを多くの新しい生徒さんたちに進めている。50年代のマイルスバンドはジャズのレパートリーを学ぶのにもとても適している。
その中で演奏されるスタンダードを選び
トランスクライブするべきだ。
マイルスの吹くテーマ、ソロ。
それからピアニストならばピアノソロも取る。
初心者ならばマイルスのテーマを耳コピでいいから始めてもらう。
生徒の中にも幾つかの傾向がある。
小さな頃から正規のピアノレッスンを受けていて
クラシック音楽を大学で学んだ後、ジャズもやってみたい、という人。
聴音も読譜も、難なくこなすのだが
どうしても無機質な作業、になってしまいがちな人。トランスクライブも短期間でピアノの両手分全て書き取ってしまえる。
だがその後どうもその譜面を繰り返し読んでいるだけで各プレイヤーの息づかいが無い。
こういう時は譜面に起こさず全て耳でコピーしてみると良い。おそらく書き取って読むことより何倍も大変だと思う。しかしこのプロセスで入って来た音楽は譜面を表面的に読んで弾くよりずっと生々しく、実感を伴うはずだ。
もう一方で音楽教育は全然受けて来なかったが大学のサークルに入ってジャズを知った、うちに来る生徒ではそのくらいの年齢層に多いタイプだが
先のタイプとある意味真逆で読譜もほぼ出来ない、無論コードやその他音楽理論もほぼ知らない。しかし感覚的な部分で出来る事もあったりする。好きなものを好きなように、というやり方である。だから出来る事と出来ない事の落差が激しい。こういう場合にはトランスクライブは必須なのだ。聴き取る事も大事だが、さらに重要なのは譜面を書くこと。譜面を書くために必要な楽理的な理解、とても意味がある一歩になる。
譜割、調性、これらを正しく認識し直す事で読譜力も飛躍的に伸びる。
どちらの場合でも言えることは
出来ないこと、苦手なことにフォーカスする
という事。
楽器の演奏技術の向上のためには
メカニカルなエクササイズ、練習曲などもあるけれど実はどんな題材でもかまわない。
レパートリーを広げるためにスタンダードを沢山覚えること。その過程にテクニカルなエクササイズを盛り込む事だって出来る。
僕は少なくともピアニストならばスタンダードを様々なキーに移調して弾いてみることは大きな意味があると考える。
これはただ単に様々なキーで覚える、こととは全く違う。相対的な音と音の関係、楽曲の構造を理解することに他ならないのだ。物理的に鍵盤の上で自由に動けることも夢が広がると思う。
もちろん時間はかかるかも知れないが
これらに取り組む事はきっとまた新たな音楽の扉を開くきっかけになる。
スタンダード曲の多くを構成するダイアトニックハーモニーを丁寧に、的確に扱う能力を培うことは広大なボイシングの宇宙へと僕の衝動を誘う。
音楽家、ピアニストとして生きていくこと。
その意味は人それぞれ。
ただ僕は知りたい、もっと弾いてみたい、
その響きを聴きたい、そのためにこれからも練習や勉強を続ける。
僕と音楽のシンプルで純粋な関係を大切に。