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練習の話、音楽と僕の関係について。

僕は21歳でボストンのバークリー音楽大学に入学するまでいわゆる正統な音楽教育を受けて来なかった。ピアノ教室に通ったのは小学生の頃の僅か1〜2ヶ月、全くの自己流で好きな時に好きなものを好きなだけ弾いていただけであった。
遠い過去について悔やんでも後の祭りな訳でバークリーに入学したばかりの頃は楽譜を読むことが本当に苦手だった。どんなにシンプルなメロディとコードのみが書かれた"リードシート"すら初見では全く弾けなかった。自分では即興演奏が得意だと思っていたので譜面が読めないことで様々な機会や評価を与えられないことが理不尽にすら思えた。
しかし実のところ譜面はある意味課題でありそこで要求されている最低限の情報を読み取れなければそれを土台として即興演奏を繰り広げる事など到底現実的ではなかった。それに周りにいた優れたジャズ奏者の多くは相当なレベルで楽譜が読めた。
初見能力も極めて高くそれは単に正しく読むだけでなく豊かな音楽性、表現力を伴うものであった。
幸い僕が最初の数年間レッスンを受ける事になった先生、Jeff Covellは本当に何も知らない、気持ちだけでこの場所に来た僕にとにかく地味だけど地道な、基礎練習を中心に徹底的に教えてくれた。これらを通じて僕は初めて音程、というものと鍵盤、そして楽譜がひとつの線でつながった。それはつまり音楽における理り、ということの存在を感じることに他ならなかった。
聴くことについてもただ好きなものだけ聴くのではなく自分が今、何を学び練習しているのか、そういう事を踏まえあれを、今度はこれを、次はそれを、という具合に勧めた。
思えば当初の僕の音楽的嗜好はかなり偏っていて
今考えると先生のサジェストは実にありがたいものだった。Miles、Barry Harris、Wynton Kelly、
Harbie、Chick、といったジャズマンたちの重要な作品、関連の作品を中心に聴く指示、時にトランスクライブを宿題に出した。もちろんそれ以外にも好きな音楽を沢山聴いたが嗜好の幅が広がり新たな世界観を開く大きな、大切なきっかけとなった。
しかしその後も大変だ。
先生の出す課題は当初何とかこなす事すら不可能な程沢山の量、そして難しかった。
僕はレッスンの日が近づいて来ると不安で眠れなかった。ここは音楽大学であり先生のレッスンはそのプログラムの中のたったひと枠、他の授業の課題も沢山あり、生徒同士で行うセッションにだって練習して準備する必要があった。
Jeffはある時、とあるエクササイズの5項目の内4つ目までしか仕上がっていない僕に強い口調で
どうしてやって来なかったのか?と訊いた。
僕はそれでも必死で4つ目の課題まで仕上げたのでむしろよく頑張ったと誉められる気でいた。
そして他にも色々と課題があり時間が無かった、
と伝えた。するとJeffは烈火の如く怒って
お前は日本からわざわざ来て良いピアニストになるための時間が無いって言うのか!と廊下にまで響くほど大きな声で僕に言った。
思わずSorryと口をついて出た。
Jeffはそんな必要無い、と言って何に対してSorryなのか?と訊いた。僕はFor myselfと伝え部屋を出た。
2年ほどの間この先生について頑張った。
確かに入学当時からしたらずいぶん弾けるようになっていたのだと思うがとてもその時はそんな風に考えることなど出来なかった。
程なくして僕は金銭的な問題から学校を離れた。
日本に帰るか、何とか自力で生活しながらこれからは学校ではなく街へ出て音楽の修行をするのか。
当時の僕でも出来る営業仕事、例えば結婚式やガーデンパーティー、そんな話があれば端から受けた。ボストンの老舗で登竜門と言われた店、Wally'sに通い始めた。当時まだ少し怖い様なエリアにその店はあった。

僕は日々演奏の仕事を探していたが微々たる仕事の収入ではとても暮らして行けず日系のレストランやスーパーが集まったポータースクエアという場所で
バイトを始めた。少なくとも週に3日、出来るならば4日か5日は働かないと生活に余裕など無く、毎日油や食材の切れ端、小麦粉などで全身コントの様に汚れて地下鉄で家路に着く。僕があまりに汚いと思われたか両隣りに座る人はいなかった。
仕事は辛かったが段々慣れて来てくたびれていてもバイト明けはバークリーの練習室に潜り込んでピアノを弾いた。この頃自分の中で練習する、ということの意味、位置づけが少しずつ変化していったのだと思う。そして毎週日曜日の午後に開催されるWally'sのジャムセッションに通い始めた。
ホストミュージシャンがお前楽器は?と尋ねピアノ、と答えるとピアノを指差して招き入れた。
何を弾いたか覚えていないがあまり良い演奏ではなかったのだろう、その曲が終わるとすぐに次のピアニストが呼ばれた。結局セッションが終わるまで残り終わる少し前にもう一曲弾いた。
どんな曲をどんなふうに彼らが演奏するのか、
テンポやキー、特定のアレンジなど固唾を飲んで聴いていた。その翌週もまた次の週も僕は通い続けた。ホストミュージシャンや常連の参加者たちと顔見知りになると横のつながりからあれこれ演奏の仕事をもらう様になっていった。

Wally'sのおかみさんは必ずセッション参加者からもドリンクオーダーを取ったが僕からはこちらが注文しない限りオーダーを取りに来なかった。
しばらくしてこの日曜日の午後のセッションホストをしばしば務めるようになった。金銭的には微々たるものだが僕の心を支える当時最高に嬉しい出来事だった。



誉められたい、評価されたいから上手くなりたいのだろうか?有名になって沢山のお金を手にしたいから上手くなるために努力するのだろうか?
いや仮にそう考えている人が居るのもその人の自由だと思うし否定するつもりもない。
若い頃僕の中にもそういった想いはあった。
だから及ばない自分が悔しく、卑屈にもなった。素晴らしい音楽にすら嫉妬の念が渦巻いた。
Kenny Wernerに初めてレッスンを受けた頃僕は精神的にも限界に近かった。
Kennyのレッスンも特効薬の様にすぐさま自分の全てを変える筈はなく、地道なプロセスを続けて行く最中には心の波はよせては返す、その繰り返しだ。
しかしある時気づいた。いや思い出したのだ。
ただ僕はピアノ、音楽が好きだから、
ひたすらにその世界を知りたい。
ひたすらに。
そしてきっと多くのアーティストは
僕と同じ様に色々な負の思考に囚われた経験があったと思う。そして苦しみつつも音楽をやめなかった。そして本当に音楽を始めた時の気持ちを思い出すのだと思う。
期待をしない、
こう言うと消極的な、ネガティブな思考の様に感じるかも知れない。しかし最大限の日々の努力を続けていながらに何も期待しない、ということはとても勇気のいることだと思う。そして期待などしないからこそ自己の解放が初めて可能になるのだと思う。
そんなふうに考える様になると不思議と僕の人生は動き出した。数年間ビザを切らしたいわゆる不法滞在に陥っていた僕は友人、ボストンの音楽仲間たち、バークリーの先生や沢山のミュージシャンたちの協力でアーティストビザを取ることが出来た。
公的な場所、仕事、警察官にもびくびくしていた僕にとってこれほど大きな変化はなかった。僕は音楽活動にもそれまでよりずっと積極的に、様々な人たちとの関わりにも以前よりもずっと感謝出来るようになっていった。仕事も何とか生きて行けるくらいになっていった。練習も以前より落ち着いて取り組めるようになった。あのWally'sの週末の夜にもしばしばライブを頼まれる様になったし、とにかく楽しかった。もちろん貧乏は変わらないし、まだまだ未熟、決して劇的にレベルアップするはずもない。
しかし生き生きとしていた。日々演奏し、練習し、
音楽を聴きまくった。
その後日本に帰り今日までずっとそんなふうにいられた訳ではない。ボストンで少しずつ築きつつあった人、仕事の繋がりの全て無くしてもう一度ゼロからの出発だった。結婚し子どもが生まれ、日々の生活に追われ余り練習も音楽的に挑戦のあるライブからも遠ざかってしまった時期もあった。
しかし妻や子供たちの支え、また新たな人々と出会い助けられ、刺激を受けながら今日までやってきた。
帰国して18年、今も昔も同じ、音楽を続けて来たことは間違っていなかった。
今日も明日も精一杯の努力を続けることはどこにいても可能だ。この数年はクラシックの楽曲を読むことを日々の練習に加えている。あまり馴染みのなかったイギリスの作曲家やブラジルの作曲家の作品を知りどうしても弾きたくなったのだ。
そして和声の勉強、この広大で深い世界を少しずつ知っていく喜びは何ものにも替え難く、また楽しい。


もうひとつ、僕はプロ、つまり音楽を仕事としているかいないか、そんなこと自体に余り大きな意味はないと思う。そもそも経済的な成功なら明らかに他の職業を考えた方がいい。自分のやりたい演奏や作曲活動だけで生活が成り立つのは容易では無い。運、もあると思う。
ミュージシャンの多くはレッスンや学校で指導したりするしそれだって相当恵まれたことだと思う。自分の信じる音楽だけを追求するために会社に勤めながら夜、そして週末に音楽活動しているがその実力たるや世界レベル、そんなミュージシャンも僕は知っている。

この世界に生きる、ということ。
それはやはり不安な時は不安だし、
苦しい時は苦しい。
お金があってもあまり変わらないのではないかと思う。きっとお金持ちならではの不安や苦しみもあると思う。
どういったものなのかはわからないけど笑

音楽が発するものには意味があると思う。
人間らしさ、の再確認なんじゃないかと僕は思う。
ウクライナの戦争、世界情勢も不安に満ちている今、音楽を通じて僕らが感じるその人間らしさ、
それは盲目に溢れる情報や政治的な目論みに踊らされずに戦争や破壊に賛同しないこと。
大切な人たちを戦地に送らせないこと。
こんな当たり前のことを揺るがす本当の敵に対抗出来るのはこの人間らしさしかない。
悲しみに寄り添う心、喜びを分かち合う心。
音楽を聴いて心揺さぶられる時、僕は人間らしさを思い出す。

さあ明日からも頑張ります。








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