Especia10周年イヴェントが示したもの
東京で言えば、裏原宿や代官山に当たるのだろうか。大阪のオシャレ街“堀江”発のガールズ・グループとして2012年に誕生したEspeciaが、2022年に結成10周年を迎えた。その周年イヴェント〈Especia es una Familia ~10º aniversario~〉が大阪・北堀江club vijonで開催。リーダーの冨永悠香をはじめ、三ノ宮ちか、三瀬ちひろ、脇田もなり、森絵莉加のクインテット期の5名が集結し、非常に高い倍率を潜り抜けたペシスト&ペシスタ(Especiaのファン)とともに、メモリアルな1日に歓喜した。当日はオフィシャルYouTubeにてフリー配信も行なわれ、現地へ参加が叶わなかった多くのペシスト&ペシスタはもちろん、解散後にEspeciaを知ってステージを初めて観る人や、海外の音楽好事家たちなどまで、さまざまなファンが注目するイヴェントになったようだ。
タイミングが合い、リアルタイムで配信を観ることが出来たが、個人的には実際に現場でライヴを肌で体感しえた者がライヴレポートやライヴレヴューを書くべきという信条があるゆえ、ここではライヴレポートの類として認めることはしない。単にライヴ配信を観て感じたことを、僅かばかり残しておくことにする。そして、認知度も皆無の拙ブログや当noteに辿り着いたレアケースの読者の方々は、おそらくライヴ当日の興奮や余韻が覚めぬまま、Especiaのステージの好意的な反応を知りたくて覗きに来た可能性が高いと思われる。もし、その想いが的を射ていたとすれば、この先を読まずに引き返すことを勧めたい。何も“感動的”でハッピーなヴァイブスで包まれたまま幕を下ろしたライヴ後に、不用意に駄文を読み、余計な感情を差し込む必要はないだろう。最善は、当日メンバーたちと同じフロアで時間を共有したファンたちのブログやSNSなどを辿ることだ。
ということで、ここからは取るに足らない小言の部類のテキストになるだろう。それに承知の上なら、読み進めても良いが、あくまでも個人的なメモ書きのようなものに過ぎないので、その旨了承してもらいたい。
始まりは、スクリュード風のエフェクトがかかったナレーションが流れるカーキ色で覆われた海辺の映像から。その映像が途切れると、背ラベルに「Especia 2017」と書かれたVHSヴィデオテープが出てくる。「2022.06.18」の文字に続き、本イヴェント・タイトルなどのフレーズがいくつかに分けて背ラベルに記され、積み重なったヴィデオテープが映し出されると、再びヴィデオテープがデッキにセットされる音。その直後、暗転のなかにイタリックの“Especia”のネオンサインが浮かび上がるとともに、Especiaのステージでは聴き慣れたアルバム『GUSTO』の冒頭に収められた「Intro」が出囃子として鳴り響き、Especiaの10周年イヴェントが幕を開けた。
せせこましいことを言えば、この導入は完全に的確なものではない。カーキ色で覆われた海辺の映像というのは、Especiaの文字通りの解散ライヴとなった2017年3月26日の新宿BLAZEでの〈Especia SPICE Tour〉最終公演の最後に流れたエンドロール映像だ。それから2022年6月18日へと時が繋がったという演出を意図したのだと思われるが、2017年当時は冨永悠香、森絵莉加、ミアナシメントのトライポッド体制だった。今回はミアナシメントは呼ばれず、演奏された楽曲もいわゆる第2章での楽曲は1曲もなかった(第2章前に卒業したクインテット期のメンバーが集うのだから、それは当然のこと)。それならば、2017年3月からではなく、3名が卒業を発表した2016年1月17日の新木場STUDIO COASTでの全国ツアー最終公演〈Especia “Estrella” TOUR 2015 -VIVA FINAL-〉からのタイムワープとした方が、スムーズな導入だったのではないだろうか。冒頭と最後に冨永が「“元”堀江系ガールズ・グループ」というフレーズを冠してグループ名をコールしたのは、このイヴェントはクインテット期(=堀江系)として集結した、ということを自らが証左したともいえる。
また、10周年記念イヴェント開催の一報が出るやいなや“復活”という文字がSNSやネット上でも見受けられたが、どちらかといえば、復活というよりも“同窓会”、あるいは“ファン感謝祭”という色が濃いものであった。期間限定の再始動ではなく、メンバー5名のうち、現在でもソロ活動をしている冨永、脇田以外は芸能活動を離れ、結婚し母親として奮闘している。6割がママというほぼ“ママペシア”という構成だ。
当時のメンバーが集って、懐かしい思い出に華を咲かせながら、ファンと共感する空間は何ものにも代えがたい時空であることには違いない。ただ、終盤のMCで三ノ宮が「100%のステージを見せられなくて、悔しい」と涙ながらに吐露したように、(三ノ宮、三瀬が出産後で着席によるパフォーマンスを余儀なくされたという致し方ない制限はあったにせよ)プロの演者としての“Especia”のステージと素直に捉えられたかというと、そうではない。当然、日常の生活もあって、歌や踊りもブランクがあった。振り付けや歌詞も忘れている部分も多々あって(それがしっかりとEspeciaらしい愛嬌として成立していたという事実はあるにせよ)、ファンクラブイヴェントの延長線上とするなら、しっくりとくる。SNSでは、歌唱やステージングに称賛の声が止まなかったようだが、それと現実のパフォーマンスはまた異なるもの。さらに、Especiaが昨今のシティポップ・ブームとシンクロしていたらという声も少なくないが、このブームを渡りに船とかつてその道を経た者たちやその潮流を採り入れようとする者など、完成度の高いアーティストやグループが国内外で跋扈するなかで、Especiaがかつてのように輝きを見せられるかといえば、瞬時に首を縦に振れるまでには至らない。それを是とするならば、PellyColoやRillsoul、東新レゾナントなどEspecia制作陣が関与し、全ての楽曲ではないにせよ、少なからずEspeciaサウンドの遺伝子を継承している、HALLCAへの現時点での周囲からのバイラルアクションは、説明がつかなくなってしまう。
しかしながら、当日のステージが物足りないものであったかと問うならば、それは否だ。何より手のひらを打ち、感心したのは、メンバーの配置だ。「Intro」後に三瀬、三ノ宮、脇田、森、冨永の順にステージインして披露した「BayBlues」こそスタンディングで歌を披露したが、続く「くるかな」以降では出産後の体調を配慮して三瀬と三ノ宮が着席してのパフォーマンスに。後列に着席の2人、前列に動ける3人というフォーメーションをずっと続けるのかと思いきや、三瀬、三ノ宮の横に3名が並んで5名が横並びとなったり、スタンディングの3名が効果的にポジションチェンジを繰り返すことで遠近感を強調して奥行きを醸し出したりと、デメリットとも思えた着席フォーメーションを巧みな発想でメリットに変更させていた。そのなかで、「きらめきシーサイド」の間奏でそれまで着席していた三ノ宮が椅子から立ち上がり、ダンスソロパートを披露した瞬間は、このイヴェントで心を揺さぶられたシーンの一つだったのではないだろうか。
もうひとつは、メンバーが大いにステージを楽しんでいたことだ。おそらく現役の時に背負っていただろう失敗出来ないという緊張や力みといったものに良くも悪くも解放されたことで、この5名と眼前や配信を観るファンたち、そのほかこのステージを共有する全ての人たちとともに全力で楽しみたいという意識が歓喜のグルーヴを発露させ、“Especiaはこんなにも楽しい”という空間を創り上げたようにも感じられた。中盤でトークコーナーに登場したRillsoul、本編ラストの「No1 Sweeper」でダンス共演したHIROKIといったゲストも、10周年の饗宴をよりメモリアルなものへと昇華させた。
歌詞も振りもなかなか思い出せず、終始しどろもどろだったアンコールでの「We are Especia ~泣きながらダンシング~」でも、無茶ぶりを“ノリ”と“度胸”と“笑顔”という最強の武器を駆使して、ファンタスティコな祝宴に仕立て、アンコールラストの「ミッドナイトConfusion」では、“eyes on me”のフレーズとともにフロアを大きく左右に揺らしていた。なお、ラストを「ミッドナイトConfusion」で終えたのは、冒頭のヴィデオテープのくだりで始まり、ヴィデオテープで終わる(「ミッドナイトConfusion」のミュージック・ヴィデオはVHSヴィデオテープをフィーチャーしている)として、周年というメモリーを再びテープにパッケージするという演出にしたためか、というのは邪推が過ぎるか。
そして、プロとしてのステージには欠くものがあるとしても、その一方でフロアに大きな機微のうねりを呼び起こした最大の理由は、Especiaの楽曲性が風化しないからに他ならない。メンバーが10代から20代、30代という特に変化の起伏が激しい時期を経て、大人へと成長したなかで培ったもの、たとえば、ブランクがありながら、伸びやかで発声良いヴォーカルを披露した森など、ヴォーカルやパフォーマンスへ活かされた部分も垣間見えなくもない。だが、最も言及されるべき要因は、時代に左右されない良質な楽曲にあるのだ。当時から統一されたコンセプトがあるようでないような、懐かしい時代の音楽にアプローチしたヴァラエティに富んだサウンドを触媒にして、唯一無二のEspeciaサウンドを創り上げてきた制作陣の才を、あらためて再認識させられた。よくディスコやAOR/フュージョン、シティポップ、ヴェイパーウェイヴなどのジャンルとの親和性を語られるEspeciaだが、以前から何度も言及しているとおり、それら懐かしい音楽をアイドルにカテゴライズされるガールズ・グループが歌うというギャップが魅力の主たるものではなく、あくまでもそれらを題材にして常に新たな要素と融合、昇華させたものだからこそ、Especiaの楽曲は魅力的なスパイスとなって、良くも悪くも時流に触れない存在として輝きを放つのだ。それは今ステージのような完成度が決して高いとはいえないパフォーマンスに終始したとしても、懐かしさにもたれかかった“いい思い出”のみにとどまらない、磁力を放出しているといっていい。
アンコールで三ノ宮が「(Especiaに関わった人たちが)いなかったら今のEspeciaはない」と述べた後「(活動を続けるメンバーはいなくなっても)曲は残るので、これからもたくさん応援し、愛してあげてほしい」と涙ながらに語っていた。以前、拙ブログにて、三ノ宮、三瀬、脇田の卒業を発表した2016年1月のツアーファイナル新木場STUDIO COAST公演のライヴレヴューをアップした際に、無意識にICEの「PEOPLE, RIDE ON」の歌詞(“夢は消え 歌は残る”)を綴ったのだが、三ノ宮の言葉もこれに重なるのではないか。ライヴの途中でフロアのオーディエンスと配信視聴者を足して約1000人がリアル観賞していることが判り、「いつもこれだけ来てくれたら、解散しなくて済んだんじゃないか」と冗談交じりに話していたが、解散をもって当初の夢は潰えたかもしれないが、秀抜な楽曲群を遺してきたことがEspeciaがいつの時代にも支持される証左であり、比類なきEspeciaたる理由なのだ、ということを示したのではないだろうか。
個人的には第2章を腫物と言わんばかりに蔑ろにするように見えてしまうことに、いささか思うところがないこともないが、クインテットが集い、破顔と安堵と歓喜の涙がないまぜになりながら、実に充実した表情でステージを完遂したことで、Especiaに宿っている、時に蠱惑的ですらある人心掌握術のようなものの凄みを見せつけられた気がしている。ペシスト&ペシスタの心にシンボリックな“ヤシの木”が枯れることなく、いまも宿っていることもモニター越しに伝わってきた。
良い楽曲を魅了され続けていたメンバーが演じる至極とほんのりと脳裏を過ぎるノスタルジー、女性として、人間としての成長しながらも、愛くるしい笑顔で歌い踊る姿は、変わらないままだったようだ。ちょっぴりママらしさが滲み出たり、スカートがみなロングスカートになっていた以外は。そんなEspeciaに“Muchas gracias”(ムチャス・グラシアス)。再び乾杯をかわす祝宴までもその先も、Especiaの“歌”は残る。
もし、仮に、気まぐれにも、サポートをしていただける奇特な方がいらっしゃったあかつきには、積み上げたものぶっ壊して、身に着けたもの取っ払って……全力でお礼させていただきます。