”子どものころ怖かったもの”は何ですか
小さい子どもって、大人から見たら「なんで?」っていうものを怖がったりするじゃないですか。
たとえば、うちの弟はほんとに小さかった頃、佐川急便が怖かったのです。キャラクターの話ですよ。
当時はこんなのでした。
うお・・・なつかしい・・・
窓際でご機嫌で遊んでいるとき、この飛脚のトラックが通るのが見えると、突然転がり落ちて大泣きしていたとか。
もう一つ。
高いところを怖がっていたことは、姉の私も覚えています。
橋を渡るときに大泣きして嫌がっていたこととか。
小1の時だったかな?
遠足でみんなで吊り橋を渡らなくてはならない状況で、その場所の土地勘があった弟は、誰にも気づかれずこっそり抜け出し、迂回路を先回りして合流するという、この幼さで驚愕のストレスコーピングスキルを発動させています。
すごいな・・・大人になった今でも、私にはできん。
かく言う私自身は、どんなものが怖かったか。
圧倒的ナンバー1として思い起こすのは「夢」
夜に見る夢ですよ。つまり、悪夢です。
とは言っても、これも冒頭に書いたのと同様、大人になった今思い出すと「何が怖いのかわからん」っていうような夢がほとんどなんです。
チンドン屋みたいな格好した人が踊りまくってるとか(笑)薄暗くて線路がある場所に、ただ居るだけとか。
だけど、当時の幼い私にとっては一大事、恐怖の対象で。内容はもうあまり覚えてないけど、そういう夢をしょっちゅう見ていたんです。それが目が覚めてからも怖くて、起きてる間も何度も思い出して反芻するんです。
そして、誰かに言ったところで人を困惑させるだけというのが、幼いながらによくわかっていたから、あまり人にも言わず一人で抱えていました。
子どものこういう悪夢は脳が成長している時に起こる、という話をわりと最近知って。しょうがないことだったんだろうけど、小さい頃の私にはけっこうな生きづらさだったのはよく覚えています。
あと、”子取り” というのが怖かった。
これは幼稚園とか小学校低学年とかの頃かなー。友達の家で遊んでいて、夕方になっても帰りたがらないと「”子取り” が来てさらわれるよ〜」と大人に脅されるのです。
当時、”子取り” とは何かを私は正直まったくわかっていなくて。漢字変換もできず ”コトリ” って鳥みたいなかんじ?とか呑気なことを思っていた反面、この存在が怖いものだということはなぜか強く認識していて。
大人たちがそういう話をするたびに、口には出さないけど内心本気で怯えていました。
周りの子たちはどう思っていたんだろう。こんなマジに受け止めて怯えていたのは、私だけだったんだろうか・・・
もうひとつ、
テレビで流れる映画の怖いシーン。
ホラー系ではなく(うちの家族はそういうのは誰も見なかった)アクション映画とかの、かなりグロい描写です。
「インディ・ジョーンズ」で、人がマグマみたいなのに浸けられて殺されるシーンとか、ローラーでつぶされて血がベトーっていうシーンとか、ワニに食われるシーンとか(インディ・ジョーンズは私のトラウマの宝庫)
「タワーリング・インフェルノ」で、高層ビルのすごい高いところから人が落ちて死ぬとか。時代劇で、首が飛ぶとか。
・・・
焼き付いて離れないのです。子どものころはしょっちゅう思い出して怯えていました。
今はもうそんなに思い出さないけど、でもやっぱり軽くトラウマ。。
こんなかんじで、私の子どものころ怖かったものを見ていくと、
明らかに「実物より想像」という傾向があります。
どんだけイマジネーションの中で生きてんねん。
その傾向はたぶん今も変わっていないので、それなら私の場合、イメージの世界を抜け出して「現実」を生きることで、恐怖からは抜け出せるということになりますね。
一方で、こんだけイマジネーション過多で生きてるなら、それをなんとかもう少し活かせないものかとも思う。
あと、その恐怖心を口に出さず、ほとんど一人で内で抱えこもうとしていることはかなり気になりますね。客観的な大人の目線としては。
もっと発散したり、表出したりせなあかんなあ。
恐怖心というものも、たぶん他のネガティブな感情も。今からでも。
「自分の好きだったものを思い出そう」なんていうのは、わりとやってみる機会があるかと思いますが、
こわかったものを思い出すというネガティブ面へのフィーチャーも、けっこう自分のコアな面に迫れる面白いものでござんした。
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