dajun

テーマは、答えのない「模索」「試行錯誤」「自分で考える」その状況と過程そのものを味わう

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最近の記事

結局は歌の導き

推しの姿を借りた神様的な何かの声が、脳内から聞こえてきた。 「そのままの君でいて」 「お願いだから、違う人にならないで」 それ以来、私は無理して背伸びするための努力をやめた。私が本来やらないはずのことや、今の時点ではむしろできない現実こそが私であることを、ゴリ押しでできるようになってしまっては、自分ではない別の人になってしまう。 無理やり何かをやろうとすることへの違和感を強く感じて、とにかく自然体でありたかった。 でも逆に、本来の自分ならできること、やる必要のあること

    • 星を見る7人

      先日「BTS: Yet To Come in Cinemas」を映画館で見てきた。 昨年秋の釜山でのコンサートを映像化したもので、リアルタイムで配信を見たときも、予想をはるかに上回るすばらしさに感動したのだった。 今日はコンサートの内容そのものではなく、少し違ったポイントで、映画館の大スクリーンで見たゆえに印象深かったことを書こうと思う。 熱気あふれるスタジアムのゆらめきたつような照明を浴びながら、ステージ上に横一列に並んで立つ7人の背中を、カメラが広い画角で捉える。彼

      • fast and slow steps

        桜がもうかなり散っている。 今年はいつもより長い期間を楽しませてもらったな、という気がする。開花が早かったし、何回も雨が降ったけど負けずに持ちこたえてくれた。 わざわざ花見に行ってはいないけど「あ、桜が咲いてるな」と、ふとしたタイミングで目に飛びこんできてほんのり幸せを味わう機会も多かった。 そして新緑の季節がやって来る。 天気の良い日の昼間は、もう初夏を思わせるような緑があふれていて、気持ちが良いんだけど同時にびっくりしてしまう。こちらはまだ準備ができていなくて、か

        • まっさらな世界の地図

          雑誌をめくりながら、路線図が描かれた日本地図のページで手を止める。何を考えるでもなく、しばらくそのまま眺めている。 平野に、河に、海岸線に、まだら色の山脈に、島に、あちこち脈絡なく視線を飛ばす。とくに何が知りたいわけでもない。ただ、目にするひとつひとつから、ベルが鳴るようにささやかな喜びがわいてくる。 新幹線の車内放送が、途中の駅に着いたことを告げる。外はすっかり暗い。黒い車窓に写る自分の横顔を斜めうしろの視界の片すみに入れながら、窓のシミをぼんやり眺める。 となりから

          周りを幸せにする人だから

          大人になってからも、私は好奇心のおもむくままに、ゼロから新しい環境に飛び込む人生を送ってきた。 うまくいくことも、失敗することもあった。そういう経験をする中で、少なくとも心と体の健康を損なわないぐらいのペース配分が守れていれば、その先は「何をするか」よりも「どこにいるか」「誰といるか」のほうが重要だと思うようになってきた。 どういうときにうまくいくのか、自分が心地よくいられて幸せを感じられて、よいパフォーマンスを発揮できるのか。それをずっと考え続けていたら、あるとき「コミ

          周りを幸せにする人だから

          朝顔事件

          入学してまだ間もない小学1年生のころ、朝顔を植えて育てる授業があった。それぞれが自分の鉢をもち、種をまいて花が咲くまで世話をしていく。しばらくして、何本か出てきた朝顔の芽を「間引き」する日がやってきた。 担任の先生が、いちばん大きな芽だけ残してあとは抜くようにと説明する。 とても真面目で、いわゆる「いい子」でいようとしていた当時の私は、このときももちろん一生懸命に話を聞いていた。 ところが、間引きの意味を知らないひよっこは、どこで何を勘違いしたのか、生えている芽をひとつ

          朝顔事件

          ”子どものころ怖かったもの”は何ですか

          小さい子どもって、大人から見たら「なんで?」っていうものを怖がったりするじゃないですか。 たとえば、うちの弟はほんとに小さかった頃、佐川急便が怖かったのです。キャラクターの話ですよ。 当時はこんなのでした。 うお・・・なつかしい・・・ 窓際でご機嫌で遊んでいるとき、この飛脚のトラックが通るのが見えると、突然転がり落ちて大泣きしていたとか。 もう一つ。 高いところを怖がっていたことは、姉の私も覚えています。 橋を渡るときに大泣きして嫌がっていたこととか。 小1の時

          ”子どものころ怖かったもの”は何ですか

          ダンデライオン・エトセトラ

          本日のつれづれお題はこちら Dandelion ダンデライオン たんぽぽ です。 英語リスニングの勉強をしていて、こんな記事を見つけました。 たんぽぽは食べると栄養超たっぷり!って話だったのですが、私がこの記事で一番驚いたのは、たんぽぽがすごい嫌われてる植物だっていう点でした。文中ではどういう表現されてたっけな。 えっと・・・ So, it is no surprise that people love flowers! Well...except for one.

          ダンデライオン・エトセトラ

          右手に高原、左手に都会、その境目は

          ある天気のいい日、「朝」ムードをしっかり味わってみようと思い、YouTubeで朝向けのBGM音源を探して流してみた。 良い(*´∀`*) 鳥がさえずる自然音に、ゆったりしたジャズアレンジの有名曲ギターインストゥルメンタル。まるで高原にいるかのようだ。 その時開けていた窓から、かなり大きな音がする。ゴオオオオ… 実際に見たわけではないが、何かすぐにわかる。アスファルトの道を走る、トラックの音。ああ、そうだったと思う。ここは東京、コンクリートジャングル。 右耳からはパソコン

          右手に高原、左手に都会、その境目は

          自分の名前の響き方が変わった体験談

          以前は、自分の名前があまり好きではなかった。 古めかしいし可愛くないし…なんてのは表面的な話。 それ以上深く考えたことはなかったのだが、1人でシンガーソングライター活動をする名前を考えるときに、この問題に行き当たった。この名前=自分を表しているという実感がなく、「これが私なんだ!」と自分の名前を大声で世の中じゅうに叫ぶことが、どうしてもできなかった。 もちろん自信のなさもある。だけどそれ以上にあったのは違和感。誰だかわからない、掴みきれない感覚だった。 そのときはよくわか

          自分の名前の響き方が変わった体験談

          不安のかたち(具現化)の一事例

          「不安」を細かく具体的にイメージするとたぶんこんな感じ、 という一つのたとえ。 * 『お腹の中に空間があって、その底に、少し凹むように湾曲した床みたいなのがある。表面はつるんとしていてツヤがあり、サーモンピンク色で、かたいか柔らかいかはよくわからない。  その底を、無理やり素手でなでられるような感覚。  くすぐったいわけでも痛いわけでもないが、ざらざらというか、ざわざわ。ものすごくざわざわして不快で。特に危害を加えられているとは思わないが、その手がどこから伸びてくるのか

          不安のかたち(具現化)の一事例

          otegami

          さっきの何気ない一言の余韻がまだ尾を引いている 悲しい思いをさせてしまったかな たくさん悩ませてごめんね 「そんなことない」ってきっと言うんだろうけど だけどそのぶん 補って余りが何倍も返ってくるぐらい 楽しい時間をいっぱい一緒に過ごすつもりだから よろしくね

          マンゴーにまつわるエトセトラ

          島から、マンゴーやバナナが大量に送られてきた。 もう、 めちゃくちゃ嬉しい。 めちゃくちゃ美味しい!!! 売り物ではないので見た目はそんなに整ってないし、マンゴーも小さい(島バナナはもともとみんなこの小ささ)んだけど、そんなのは文字通りちっぽけなこと。 味がなんともエネルギッシュ!!! 南の島の太陽や空気が含むパワーが、果実の中にぎっっしり詰まっているとしか思えない。 こんなエネルギーが降り注ぐところに住んでいたのか…と、改めて自分が居た場所のことを思う。 ありがと

          マンゴーにまつわるエトセトラ

          ”湯船につかることは絶対にいい”のか?

           多くの日本人が共有している一般的な共通理解として、「湯船につかるのは体にいい」というものがあるのではないだろうか。シャワーで済ませちゃうっていう人でも、「ほんとは湯船につかったほうがいいとはわかってるんだけどね〜」って言っているのが目に浮かぶようである。  体があたたまる、血の巡りがよくなる、リラックス、やせやすくなる、スピ的な浄化・・・その温もりやら水圧やら色々が、さまざまな効果を持つことはあちこちで語られていると思う。特に健康や美容に関連することを調べたりしているとき

          ”湯船につかることは絶対にいい”のか?

          私が再び言葉と向き合う決意をした理由

          はじめまして。 クリエイター・表現者として生きていましたが、 思うところあって活動をすべてストップし、 数年の月日がたちました。 「自己表現が苦手」 「言えば言うほど、違う気がしてくる」 表現、特に言葉での表現に苦手意識があった私が、 再び数ある表現のひとつとして「書く」ことに 取り組もうと決めた理由を、書いてみます。 1) 苦手意識は、実際のところ苦手意識ではなかった 苦手意識っていうのが、 実際のところ何がどう苦手で苦しいのかを よーーく考えて観察してみたんです。

          私が再び言葉と向き合う決意をした理由