庭に咲く
手入れの行き届いていない庭に、立派な花を咲かせたユリを見ていました。私は昨年までは、完璧を目指していたのです。夫のためと思って頑張っていましたが、ワーカーホリックになっていたのかも知れません。
今年は花が沢山咲くのです。まるで励ましてくれるように。「私だけの神様」がまるで咲かせてくれている様な気がして、涙を流しても愛おしいのです。もし、一緒に過ごせていたら、「この花はユリだよ?」とか、「ブルーベリーの実がなったよ」とか、そんな小さなことを報告したくなるのです。
どんなに仕事が大変だったとしても、それは愛する人が居たから頑張る事が出来ました。こんな花を一緒に見られるだけで幸せでした。愛する人が居るって素敵なことです。お金で買えるものではありません。
淡々と知らずに過ぎていく季節と、一日一日をつなぐこと。これさえできれば良いと今の私は思うのです。そして、失った人を覚えていること、いつか逝かせてあげること。日に逆らわず、陰に逆らわず、ただ感謝をしています。
どんなに素敵な人だったか、どんなに優しい人だったか、私しか知らないのです。「生きる」「逝きる」。日本語はとても不思議で、同じ発音でも、表裏一体なことがあります。それに気づきながら、言葉を大切にしたいと思っています。
もし、愛する人がいたら、言葉にして伝えましょう。どんなに恥ずかしいと感じたとしても、行動だけでは伝わらないこともあります。私も時間を戻せていたら、きっと沢山の愛しているを伝えていたと思います。
幸せって、本当に何気ないものなんですね。ただ、そこに居るだけでも幸せなんですよ。私は愛が足りなかったから、愛を与えて全力で愛した。でも、与えるなんておこがましいことですよね。次の課題はきっと自分の中にあるんだと思います。
文章にしてみると、「愛くるしい」のです。もし、生きる力に絶望を感じたとき、今あるものを再確認してほしいのです。
心が美しい人に私はなりたいです。完璧ではなくて、不完璧な私を許せるように。
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