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自分を愛すると言うこと〜クィアアイとレディーガガ〜


はじめに--お知らせ。

これからしばらくは、いつもと違う趣向を試してみようと思っています。

手が腱鞘炎になってから、自分でタイピングしたり、スマホで打つのも辛いので、音声入力を使うようになりました。

これからの文章は、音声入力で打ちながら、 その場で推敲しながら整えたものを、記事として載せて行こうと思います。

こうすることで時間の短縮にもなり、労力の短縮にもなり、ブログの更新頻度が増やすことができるかもしれません。

ただ手で打つのとは違って、声で読んでいるので、ちょっと文体が変わるかもしれません(^^;。

慣れてくれば、文章も流暢になるかもしれません が、まずはそういうものだと思って楽しんでください。


Netflixのクィア・アイ、や、オーディションバラエティ



Netflix のメイクアップアーティストやファッションデザイナーのオーディション番組を見て分かったことは 、 「自分を愛する」ということだった。

自分を愛し、自信があってポジティブな人ほど、美しいということだった。

「クイアアイ」という番組では、さえない人たちの人生を変身させる企画なんだけど、LGBTQのダンや仲間たちがプロ集団として、楽しみながらやっている。

彼らが言うことは、みんなその考え方に基づいていた。

自分を愛し、自信があってポジティブな人ほど、美しいということ

生まれつきの外見の造形や、体型、性別などは関係なくて、ただありのままに美しく 、ポジティブにあるということが大切なようだった。

例えば、ある回では、身長が190 CM の黒人の女性を、ダンの仲間たちは、「ゴージャスで美しい」と褒めた。

 彼女は、最終的に自分をとても好きになっていた。

仲間たちにコーディネートされることで、彼女の人柄や内面が、どんどん輝きとなって、外にでてきた。 

単に、外 の物(服やインテリア、仕事やプライベートに必要なグッズ)を与えるだけではなく、彼らが彼女に言葉かけすることで、彼女が変身していった。彼らとの関わりからの、内面への影響が大きかった。

ダンたちが来る前の依頼者たちは、とてもいい人達なのに、どこかうまくいかなかった。 小さくまとまっていたり、萎縮していたり、自信をまるっきり失っていたりして、生活するだけがやっとのようだった ただ生きてるだけのようだった。

 その人の人間性や考え方、心の中身、 信念はとても魅力的で、人の心をうち、素晴らしいのに、自分の外見だけで自信がないという人が、とても多かった。 自分自身の魅力を考えるということすら 、したくないようだった。

ダン達が依頼者を変身させる様を見ていて、「 美しく自分を装う」ということは、「自分を愛すること」だと気づいた。

 自分を愛せていない依頼者たちは、自分の見た目や服装も、逆に気にかけないように、わざとしていたからだ。

海外バラエティの プロたちのように 、その人のありのままの魅力を伝えて、高め、自信をもたせ、自己肯定感を持たせるような、 そんなあり方は素晴らしい。

実はまず、自分が自分自身にそうあるべきなのだった。

 私のありのままの魅力を褒めてくれるダンがいなくても、        自分が自分のダンになればいいのだ。


レディーガガのドキュメンタリー映画



レディーガガのドキュメンタリー映画も見た。

彼女のありのままの姿、 何者にも束縛されず制限されず自由に 、ありのままの自分でありたいという思い。

それが、そのまま伝わってきて、とても刺激になった。


痛みや、プレッシャー、ストレスとも、彼女は常にともにある、そのままの姿を映していた。


その痛み、プレッシャーやストレス、孤独、悲しみも、表現者としての彼女そのものだった 。 

それがなければ、とても楽だろう 。

だけれども、悲しみや孤独、痛み、ストレスも、全て あっての、彼女なのだと理解した。

 それらの人間としての痛みは、表現となった時、全てが輝きだすダイヤモンドだった。

 だから、人よりも何百倍も感受性が強く、傷ついたり、感動したりするのだが、それらはすべて、彼女の歌の歌詞となって表れる。

 そして周りの人々を感動させる。


人間、大なり小なり、痛みや悲しみやストレスやプレッシャーを抱えながら、毎日の生活を暮らしている。

その痛みの中で、ただ、うずくまることも多い。 

そして、痛みの中で孤独を感じ時には、絶望したりしているのかもしれない。 

だけれども、詩人やアーティストは、 それらを、それを表現することによって人と人をつなげる。

 極めて 個人的な出来事であり、個人的な感情や体験である にもかかわらず、人間が体験する普遍的な感情や気づきに 、昇華されていくのだ。


私もここのところ、体の痛み、こころの痛み、肉体の疲れ、現実世界の三次元的な虚しさを感じていた。

それらを、周りの人には話すのだが、決して全ては理解されないという悲しみを、ずっと感じていたような気がする。


レディーガガのドキュメンタリーを見て、その映画の中の歌を聴き、歌詞を見ていて、 私のことではないのに、私のことのように感じた。

そこに、癒しや慰めの模様のようなもの、励ましを感じた。


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