見出し画像

夢の話


自分にとって苦手な人、嫌いな人の夢


先日、嫌な夢をみて目が覚めた。

職場で最近苦手だなと意識してる女性がいる。
その人が夢に登場した。
夢の中でも、苦手なシチュエーションが巧みに再現されていた。
寝起きも、いや~な気持ちがリアルに残っていた。
「あー、見ないふりしていたけど、わたし、本当に彼女のことが苦手なんだな。
苦手というより、もはや嫌いなのかもしれない」
って思った。

私はなるべく嫌いな人を沢山作りたくないタイプだ。
故に、少しいやだなと思っても、なるべくそれを見て見ぬふりする。

なぜ、そうなのか。

実は、非常に好き嫌いがはっきりしている人間で、
一度嫌いだと思うと、それはもう駄目。
本当に嫌い、ということだからだ。

それでいて、割合どんな人も受け入れるタイプで、
我慢強いとよく言われる。

自分にとってテリトリーの輪があるとしたら、
輪の内側が好きな人で、自分にとって大切な人。
輪の外は、嫌いの領域。

なので、輪より外に追放された人は、私にとって嫌いだし、興味がない。

敵対する人や、私に攻撃的な人なども、
私のつくる輪の外にいることになる。

という風に、実は、非常に蟹座的人間。

一方で、そういうのって人としてダメだと、
ずっと思っていた。

そういう自分をうっすら自覚してたからこそ、
嫌いな人を作ってはいけないという強迫観念があった。

さらには、アセンダント天秤座なので、
公平性と社交性で、誰とも仲良くしなければって、思っていた。

でも、この頃、ホロスコープを学ぶ中で、
考え方が変わってきた。

それも生真面目すぎないか?と。

苦手は苦手。
嫌いは嫌い。
なのに、それを好きになろうとか、
苦手な相手にも表面上フレンドリーにと、
長年無理な努力をしてきた。

その結果、境界線が余計におかしくなって、
ストレスたまって、
心身に不調が出てしまうパターンでずっときていた。

嫌いは嫌いで、いいんだ。
苦手は苦手で、いいんだ。
嫌ってもいい。
苦手でもいい。

そう思ったところで、
それは私の心の内のことに過ぎないし、
相手を直接攻撃したり、損ねたり、害したりするわけではないのだから。
ただ自分はそう感じるってだけのことだから。

あとは、冷静になって、
距離を置いたり、
離れられる条件や環境なら、離れればいい。

仕事や私生活で、
すぐに離れられないなら、
苦手だと自覚したうえで、最低限のかかわり方をすればよいだけ。

ただそれだけのこと。

ただそれだけの事なのに、
一般の人なら自然にやってるそういう所作を、
40代になるまで気づけなかった、わたくしです。



悪夢の受け止め方


話は、夢の話に戻る。
毎晩睡眠中に夢を見る見ないも、
人によって様々らしい。

私の場合は、子供のころからカラーの夢を見て、よく覚えている。
ほぼ毎晩夢を見てるっぽい。
だんだん、年をとってくると体も疲れているのか、起きたときに忘れていることも多くなってきた。

この頃、また夢見が自覚化されることが増えていて、
良い夢もあれば、
何の意味もないごちゃごちゃした夢や、
いやな夢、怖い夢、不安な夢もある。

2024年になって世の中の空気がまたちょっと不安定になっているので、
どうしても影響をうけるのもあるだろう。

自分がHSP気味であるのも自覚済み。

なので、普段からテレビはほとんど見ないけど、
年明けからよりいっそう、テレビもネット情報も減らして過ごしている。

特に寝る前に、ホラー映画やミステリー映画などは見ないようにしている。
悲惨なニュースにも意識的に触れないようにしている。

昔から占いが好きなのと同じくらい、
夢、夢診断、夢分析についても興味があった。
で、いろいろ本を読んでみたり、人の話も聞いてみたりしてきて、
自分個人の経験として、
いやな夢をみたときの受け止め方、対処法がなんとなくある。

こんな感じだ。

いやな夢を見た時、その夢を冷静に観察してみる。
夢の中のストーリーやフィーリングを思い返し、
そして目覚めて、思い出している今のフィーリングを観察する。

すると、
たいていの悪夢は、潜在意識にたまっていた不安や恐怖、嫌悪感、怒りなどの、
ネガティブ感情が発露している場合が多い。

なぜ、そんな感情を再体験しているか。

それは、心の方でそんな風にバランスをとっているから。

無意識下にあって自覚できていない感情(潜在意識)を、
顕在意識に出してきて、
解消→浄化するために夢を見てるんだと思う。

そんな風にうけとめると、しごく納得だし、
これでどんどん解消、昇華されて、浄化されてるんだと思えば、
恐怖もうすれて、
気持ちが楽になる。

あと、怖い夢やグロテスクな夢も、
よくよく観察してみると、
寝る前にみた映画の影響を受けていたり、
自分が悶々と考えていることを、
メタファーを使って再現した映像になっている場合がある。

例えば、
先日、映画「バービー」をアマプラで購入して視聴したのだけど、
ジェンダー批評的な物語だったから色々思うことがあった。
様々に考えたり感じたりしながら、たぶん眠ったんだろう。

すると、こんな夢を見た。

アメリカらしきストリートにいる。
小太りの中年白人男性が、道端で拉致されて、
小型のトラックに押し込められようとしている。

そのトラックは、人間を一度ミンチにして、
男を女に変えてしまう装置が、荷台の大型ボックスのところに搭載されている。
中がどういう作りになっているのかは、素人にはよくわからない。
ある意味、ブラックボックスのようなものだった。
中年男性はものすごい悲鳴を上げて抵抗しているけど、
覆面で黒い服をきた組織の人間に、左右から拘束されて、
そのトラックに押し込まれていた。
うわーとかギャーとかいう悲鳴が今にも聴こえそうな感じだった。

これだと「グロテスクな悪夢」の一言で終わってもいいかもしれない。

でも、私的には、これは自分の中で再構成されたメタファーだと感じた。

映画「バービー」には、
白人男性の世界が、
バービー的な女性の世界の対極として登場し、
それがカリカチュアされ、コメディになっていた。
男性性の象徴は「アメリカ白人男性」という洞察が私の中にあって、
イライラしたり、怒りながら見ていた。

いっしょに見ていた夫なんて、なんの問題意識もないから、
途中で昼寝し始めた(笑)。
「あー、興味ない人にとってはこんなもんだ」と思いながら、見終わった。

人間がミンチになる機械。
しかも、機械から出てきたら、男が女になってる機械って、
ある意味、ホラー映画顔負けの悪夢で、
冷静になったら、笑えてしまった。

その前の晩も、
白人の中年男Aがこれまた白人の中年男Bを捕まえて、
大きな白い邸宅の二階から宙づりにしている夢をみた。
たぶんアメリカの郊外のまあまあ閑静な住宅地っぽかった。

これは寝る直前に、
サビアンシンボルの本で「宙づりになっている男」のことを、
読んでいたことと、
夫がネットフリックスで見ていた、アメリカ映画のパニックムービーの影響。

白人の中年男Bは、今思うと、ミンチになった男となんとなく似ている。

肥満体で、ポロシャツを着ていて、シャツはウエストインでベルトを締めており、ベルトの上に腹が出ていて、スラックスを履いている。
赤ら顔は丸みをおびた四角形で、短髪で前髪をあげていて、髪が薄くなってきているせいで、額が広い。
白い口髭をすこし生やしている。

私にとって、小太りの中年白人男性って、なんとなく同じイメージなんだろうな。

ここまで書いていて気づいたのには、
私にとって、「白人中年男」が象徴する何かが、
消滅されようとしている?ということ。

男性原理みたいなものかなあ~。

これが何を意味するかは、
自分自身で時間をかけて考察しないとわからない。

今日たまたま仕事で、葉山嘉樹の『セメント樽の中の手紙』を読み直したのだけど、以前から何度か読んでいるので、この話の粉砕器のイメージもどこかにあったのかもしれない。


ということで、特にまとまりは無く終わります。




いいなと思ったら応援しよう!