「人口は未来を語る」読後
ポール・モーランド 著 NHK出版 2024.1.5第一刷発行
なかなか興味深い本だった。気になった中身を抜粋してみる。
この本では日本の例がよく出されている。いろんな領域で「ジャパナイゼーション」や「日本病」と言う言葉で表現される。確かに日本は「失われた30年」を経て、「課題先進国」と言われるように、驚異的なスピードで高齢化が進み、それと並行して経済状態の低迷が続いている。著者は、日本が経済的に低迷していった時期が労働人口の減少に転じた時期と符合しているとしている。
日本はかなり前から低出生率とそれに伴う景気低迷に苦しんでいて、典型的な「低出生率の罠」に陥っているとしている。女性が教育機会を得た国では、一般的に合計特殊出生率が人口置換水準辺りまで下がるが、そこで仕事と出産の両立が奨励されないとなると、出生率は一層低下する。日本がまさにその例で、この国には母親としても働き手としても満たされずにいる女性が大勢いる。国民が快適で豊かな暮らしを送っていて、犯罪率が低いにもかかわらず、日本は先進国の中で最も幸福度が低いが、それも当然のことと言わざるをえない。(p148)
5章の「高齢化時代と暴力との意外な関係」では、実に興味深い指摘があった。それは、「高齢化で紛争が減る」と言うことだ。例としてあげているのは、中国北京で起こった1989年の天安門事件と2019~20年に起こった香港の「逃亡犯条例改正案」に反対して起こった大規模なデモだ。天安門事件では推計1万人の人々を中国軍が殺害したが、香港では十数人だった。その説明する手がかりとして、1980年代の中国の年齢中央値は25歳前後で、30年後の香港の年齢中央値は45歳前後であることから、人口に占める若者の割合が大きくないときには反対運動の規模や過激さが薄らぐようになるとしている。
「豊かになる前に老いてしまう」という問題がよく指摘されるが、「自由を手にする前に老いてしまう」という問題もあると著者は指摘する。
研究では、人口の55%以上が30歳を超えている国では内戦が殆ど起こらないことが判っているらしい。
逆に言えば「若い人口は革命を起こしやすい」(p168)ということになる。
1917年のロシアは若者の国であり、革命家たちは当時の社会を代表していた。指導者のレーニンは40代であり、スターリン、トロツキーは30代、革命組織の階層を降りていけば20代で重要な地位を占める人々がたくさんいた。イランも同じことで1979年に民衆が立ち上がったとき、年齢中央値は20歳に届いていなかった。1960年代後半に戦後の混乱がピークに達した。公民権運動、ベトナム戦争、学生運動の時代にはアメリカ人の年齢中央値は30歳に届いていなかった。中国の文化大革命における紅衛兵運動の拡大は、フランスの5月革命、アメリカのバークレー闘争とほぼ同時期であり、人口ピラミッドで若年層が大きく膨れ上がっていた時期だった。
最後に、先進国が近代後の人口動態に向かうときに3つの選択肢の内2つを選び、もう一つを犠牲にするという。
その選択肢は、「経済力」、「民族性」、「エゴイズム」。
その典型例として、イギリス、イスラエル、そして日本を挙げている。
その日本について著者は論評している。
日本は経済力を犠牲にして、民族性とエゴイズムを維持している。日本は国を開いて大規模な移民を受け入れる準備はできていない。日本人の大多数は多文化主義を歓迎しておらず、これは民族性を選択しているから。また同時にエゴイズムも選択しているので、子どもを持つことに消極的な日本人は少なくない。子どもと持ちたいと思っても、仕事と子育ての両立を思いとどまらせようとする文化、家事と介護の殆どを女性に押しつけようとする文化に行く手を阻まれてしまう。このような状況では、多くの女性が結婚や子育てより自立を優先させるのはむしろ当然のことだろう。そして民族性とエゴイズムを選択することによって日本は力強い経済成長を犠牲にし、世界にも例がないペースで政府債務を積み上げてきた。生産年齢人口の減少と、それに続く総人口の減少が経済成長の重い足かせとなっていて、どのような経済介入を持ってしても修復の見込みがない。(p331~2)
余りにも図星なのでほぼ反論の余地もない。これに政治家はどう応えるのだろう。
今の時代の流れを読むのには相応しい本だと思う。