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ジャーナリングを通じたシャドーワーク#123

アンファク嶋内さんの会社主催で加藤さんとインテグラル理論を普及・探求する場(アンバサダーMTG)の加藤さんの音声ファイルを聞いた。

シャドーについての言及があり、改めて今日はシャドーについて、ジャーナリングを通じて実践していきたい。

違和感を抱くもの、苛立ちを感じること、そこから自己のシャドーへの気付きへ繋げてみたり、みなかったり。

私が違和感や苛立ちを感じるものは、「これやれば売上◯倍」とかそういう謳い文句の宣伝。記事にしても、「最強」とか「これさえやれば」とか、そういうことに違和感を覚える。

ビジネススクールで経営学を学んだし、実務でコンテンツマーケティングのをしてきて、かつてはそういうコンテンツをたくさんつくってきた身なのだが。笑

なぜ違和感を感じるかというと、そこに何か物事の一面性しか捉えていないところや、その表現の根底に拝金主義的な匂いがするところ、そういうものを感じるからだ。(もちろんすべての経営学がそうでないし、全てのコンテンツがそうと思っていない)

ここから私の価値観として感じられるのは、多面的に物事をみたい、その上で他者に提供したい。
金や経済だけでないものも大切にしたい、というものがある。

ただ、一方情報化社会の中で、そのような過激やアンチテーゼのような謳い文句でないと埋もれてしまい、ビジネス上そのほうが良いところもある。

本質的に違っていても、入口として使い分けることも重要だ。

私もこんな日記を公開してないで、マーケティング的な記事1つ書いたらどうだとも思う。

これにあえて抑圧されてた感情、シャドーがあるのではないかと思うと、本当はやりたいのではないか、という気持ちがあるのかもしれない。

そうやってある一定ビジネスを回して、ビジネスの文脈で相手に届けたり、お金の自由から開放されたいという気持ちはたしかにある。

あるいは、ビジネスで失敗した経験を、悔しいなんて気持ちがあるのだろうか。いやそこに関しては、承認欲求と自己肯定に向き合うことで解消されたと思う。

いずれにしても、ビジネス・相手の文脈にのせて思想を広げたい、お金の自由から開放されたい気持ちはある。

今、私の中で課題としている父性と母性の統合は、このあたりにも繋がる。

なにも自分一人でしなくてもいいわけで、誰かの力も借りながら進めたい。

2021年4月15日の日記より
2021年4月16日

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