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フラクタル構造とホロンを交えた共同体感覚#116

今日は約2ヶ月半ぶりに美容室にきた。

以前行っていたところは、梅田の美容室だが、私が指名していたスタイリストが辞めてしまったこともあり、今回は家の近くにきた。

川西にも良い美容室があるんだなと思い、ふと昨年1年から私とこの地域との関わりが深くなっていっていることを感じた。

自粛のみならず、組織ではなく完全に個人で働くことになったこともあり、
川西で済ませることが多くなった。

仕事の合間に休憩がてら散歩すると、よく向かいのおじいさんが話しもして、近所の方とも随分話す時間も増えた。

アドラーは共同体感覚(Social interest、community feeling)というが、これも、カートフィッシャー先生から言わせると、その感覚も1つの能力といえるだろう。

そうなると、私たちの人間関係や社会とのつながりといった共同体感覚自体も、フラクタル構造(ある一部分を切り取ってみると、全体に相似した構造になっている)があるといえる。

点、線、面、立体を繰り返しながら発達していくプロセスは、他者との共通点を見つけることにあり、立体やメタ的に点として捉えることは、差異化が統合されていき、同じもののようになる。

家の隣の広場によくスズメがいるのだが、私たちがスズメのうち、どのスズメか気にならないと同じように、私たちが気にしてしまっている他者との差異は、高く捉えてみると同じ人間であるわけである。

エリアという切り口1つとっても、自分から家族、家族から地域、地域から日本、日本からアジア、アジアから地球、地球から宇宙。

仕事でいえば、自分から自部署、自部署から全社、全社から業界、業界から全企業など。

これをどこまで発達させていけるかがポイントだが、その際は、ウィルバーの前提にある含んで超える(transcend and include)やホロン(Holon)の発想も重要になるだろう。

たとえば、グリーンの段階であっても、実は前段階にあるオレンジやアンバーは消えるものでなく、むしろ積み残しもある。

私が社会のためにと言いながらも、今住んでいる地域というのを置き去りにすることは、前の段階をおろそかにしたまま発達しようとしているようなものかもしれない。

そう思うと、私が今住んでいる場所も大切にしていきたいし、もっと好きになっていきたいと強く思ってきた。

ずっとこの地に住むわけではないだろうから、今この地にいる間に、この地とも大切な関係を築いていきたい。

この地でしか根付いけないものも多い。

2021年4月8日の日記より
2021年4月9日

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