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井筒俊彦と今道友信の対談を聴いて#423
今しがた、巨匠、井筒先生と今道先生の対談を「叡智の台座」を通じて聴いた。
普通の著書でもその人の深い思想なるものが滲み出るものだが、対談本であらば、より一層、その人そのものが言葉から溢れ出ている。
読み終わって、感じたことを残しておきたい。
会わずとも深いつながりをもつ2人
まずは何と言っても、言葉が活き活きとして、2人とも実に楽しそうである。
20年近くお話ししてみたいと思った2人であるから、もうそれはそのはず。
そして、互いに大変敬意を払っている。
やはり、互いに一人の人間、自分が探求できる哲学的思索には限りがあって、互いに、大切ではあるのだが探求できない領域があり、そこを人類の希望として是非やってもらいたいというのもよく伝わる。
たしかにそうだ。
井筒先生にしても、30カ国以上の言語を操り、東洋のほとんどを言語、アラビア語やペルシャ語、サンスクリット語などに通じて、かつ、大変深い哲学的な思索ができるという人は、世界中みてもおらず、人類の歴史で見ても、めったに出てこないわけだ。
今道先生にしても、私からみれば、哲学と美学を探求される珍しい方に思う。
私の視点からみれば、2人は1つの共通点が見えることとして、言語を超越したものを言葉にしていく、哲学化していく、その点にある。
井筒先生は、神秘主義や東洋思想なるものを哲学化することを挑む。
今道先生は、美というものの哲学化を挑む。
それ以外にも通ずるところは多くあり、この対談で、ゆっくり2人が話すこと自体が珍しいことではあるが、2人は互いに、著書などを通じて、会話をしており、深いつながりをもっていたのであろう。
生きた哲学
さて、ここから湧き上がったことを、雑駁にいくつかあげていきたい。
まずは、「生きた哲学」という言葉が浮かび上がってきた。
「哲学そのものを教えるとか、教えられるというものじゃなくて、刺激されて成功するかしないかというのはその人の器量とか、熱意とか問題意識にかかわっている。」
「だからそういう意味で、生きた思索というもを人に示していかなければいけないと思うんです」
哲学たるもの知的好奇心で行うものは、何か大きなものが欠けているようでならない。
ミシェル・フーコーは同性愛者として、社会の生きづらさを感じていることから、社会の歪みに意識が向き、
ボーヴォワールは、女性として生まれたことから「第二の性」を、老いるとともに「老い」と向き合い、
ハンナ・アーレントは、ユダヤ人として生まれたことから、ナチスドイツを通じて全体主義や人間の弱さと向き合うざるを得なかったわけだ。
彼らには、そういった経験が中心にある。
もちろん、井筒先生にも、今道先生にも。
哲学とは、人生とはなにか、自分とはなにか、世界とはなにか、こういった根源的な問いと向き合うことにほかならない。
では、自らは、人生をかけて向き合いたい問いとは何であろうか。
朧げながらも、生きるたびにそれを感ずていくことが、哲学の最初であり中心でもあるだろう。
何をもって東洋とするか
井筒先生の著作を読めば、その領域の広さから、「東洋とは何なのか?」という問いが立たざるを得ない。
西洋に比べると、東洋はバラバラに思える。
西洋のほうが非常にわかりやすいというか、いくら複雑でも結局は単一体です。ぼくなんかから見れば1つのちゃんとした文化伝統をもったユニフォーミティーがあるんですね。現に西洋哲学史ということはすぐ考えらえる。だけど、東洋哲学史ということはちょっと考えられないんですね、非常にバラバラでね、統一がないんです。
これは、本当にそうである。
西洋思想、西洋哲学なるものは、その源流はギリシャ思想とヘブライ信仰と多くの人の間で一致している。ソクラテス以前期の哲学者から、ソクラテス、プラトン、アリストテレス。ユダヤ教からキリスト教といった具体に。
しかし、東洋はそうはいかない。
このバラバラな東洋を、井筒先生は、このようにいっている。
「ぼくの考えている東洋ということがいまでは地理的な東洋じゃなくなってきているんです。根源的に精神的にといいますか、形而上的といいますか、ともかくそういう東洋なんです。」
「結局は、スフラワルディーに密着していえば、ヘルメス的な、グノーシス的な「光」の探求とそれにもとづいた理性的思惟なんですね。そういう「光」に照らし出された文化といいますか、思想伝統といいますか、とにかくそういう「光」の中で哲学する、思考が行われる、そんな哲学伝統というものを「東洋」の探求と考えるわけなんです。」
「それをもっと類型化して考えますと、
(中略)
意識を鍛錬して、常識的な、日常的な、経験的な、生まれたままの状態においておかないで、徹底的に訓練して、それで意識の深層を開いて、そういう開かれた深い意識の層の鏡に映ってくるような実在の形態、そのあり方を探求していく。意識の深層の解明といいますか、開示といいますか、そういう意識に開かれてくる実存の構造を研究する。
(中略)
それが僕にとっての東洋なんです。」
こうやって生まれたものが、代表作「意識と本質」。
この対談をみると、意識と本質が生まれてくる前兆を至る所に感じる。
ここまで東洋なるものを言語化できるものを、東洋というカオスを探求し続けた井筒先生だからこそ言語にできたものだろうと思う。
眺むように読む
本対談のタイトルは、「東西の哲学」。
そのため、テーマとして上がり続けているのは、比較研究。
比較哲学、比較思想は、どういう意義があり、どう行われるべきなのであろうか、などが語られる。
この点、1つ、言語理解の問題は避けて通れない。
わたしたちは、自分の母国語で世界を捉えているからである。
「どうしても、徹底的に言語理解と古典研究を通じてでなければ文化の姿は学問的にはとらえらない」
「1つの言葉は必ず背後に、とくに重要な言葉であればあるほど、さっきミシェル・フーコーのエピステーメー的なシステムを後ろに背負っているんで、これを切り離して単純に概念化するとか、理念化することができない。」
これを踏まえると、比較研究において、哲学的思考力の高さはもちろんのこと、言語理解を通じなければ、真に深い比較研究はなし得ないことになる。
だが、井筒先生は、このことに対して、最も重要なことは、語彙の次元ではなくディスクール(ないしはセルモ)という次元にもってくることだという。
「そのキーワードはキーワードじゃなくて、セルモから、セルモの生きたシチュエーションにおいてそのキーワードというものを見るとほんとにそこに理念化される可能性が出てくるのじゃないかと思ってですね」
「だからテクストを、原文をもう何べんも何べんも暗記するほど読んで、それでそういう全体的なセルモのシチュエーションのなかから立ちのぼってくる面影というか、姿みたいなものを理念としてとらえて」
私自身は、研究という道は歩めないが、1人の探求者として井筒先生から学のは、言語に込められたうごめく意味のかたまりみたいなものを捉えることなんだと受け取っている。
だから、こういう本は、ほんとうに眺めるように読んでいきたい。
頭ではなく心で。
探求言語
私にとって、本対談が意外でもあり、発見でもあったことが、探求する言語の問題。
井筒先生はこのように述べる。
「その違った言葉をもった2つの文化というか、ミシェル・フーコー的にいえば2つの違ったエピステーメーですね、エピステーメーの対話を可能にするような共通の場をつくらなければならない。その場合に日本人が比較哲学をやるならば、日本語という言葉を使って第三の共通の言語的地盤というものをつくっていくことが、ひとつの比較哲学の生き方だと僕は思っているんです。」
「もっと我々の実存というか、生活に密着した言葉、日本人がやるんだから生きた日本語で第三の言語というものを比較哲学の共通の場としてつくるべきじゃないか」
これをみたときに驚いた。
というのも、この対談が行われたのは、1977年。
今道先生は55歳、井筒先生は63歳で、まだイランにいらっしゃった時のことなのだ。
私は井筒先生がイランの革命や戦争の状態ゆえに、拠点を日本に変えざるを得なかったことを踏まえて、晩年に「意識と本質」をはじめ、日本語で著書を出すことが不思議であった。
しかし、井筒にとって、探求する言語は母国語であるべきだと思っていたわけである。
私も自分が行こうと思った研究室は、授業や論文も基本すべて英語で行うところが多かったが、このことを聴いて、日本語で言葉を紡いでいくことを決めた。
もちろん、アクセスできる叡智に限りがあるために、語学習得はしていくのであるが、思索、思惟を行う現場においては、日本語で行っていきたい。
思考と霊性、哲学と宗教
さて、本対談の最後には、二人の共通見解として、次の言葉が出てくる。
「精神的生の深みと合理的思惟の厳格さを併立」
私が二人の共通点としてあげた、言葉を超越したものを言葉するという営みには、このことが欠かせない。
しかし、思うのだ。
哲学というものと宗教なるものの違いは微細に感ずる。
それは定義によっていかようにも分けることはでき容易いのだが、本質的なものを問えば問うほど、切手は切り離せないものであることは確かであり、これを私は未だ言葉にすることができない。
しかし、そのことを自体を自覚できたし、そこに1つの問いがあることも自覚できた。それもとても大切なことである。
さて、本当にまだまだ尽きないのだが、今日は遅い。このあたりでそろそろ切り上げようと思う。
2022年7月26日の日記より