日曜日の朝はクラシックを!

先日CDショップの閉店セールのチラシがマンションの郵便受けの中にあるのに気付いた。。比較的近場だったので、出かけてみた。店は閑散としていた。在庫もほとんどさばけて残っていたのはクラッシックコーナーの100枚くらいだった。ふと見るとフルトベングラーのベートーベンの「運命」があった。。カラヤンのは持ってるけど・・・。よくフルトベングラーが売れ残ったなあとびっくりして店のご主人に聞くと「今頃こんなの誰も買いませんよ。」だった。100円だって。それはあんまりだ。昔のレコードなら、世界の名盤である。我々が若いころなら、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)するところ。周りを見るとあるわ、あるわ。60枚くらい買った。5000円でいいという。ふと資本主義経済の功罪が頭に浮かんだ。
あらゆるもの(有形・無形)をすべてお金に換算せずにはおかない資本主義。こういう貴重なものが100円で売られている。もちろん、自分にとってはありがたいが・・・。物の価値とは何か?ということである。18世紀から始まった資本主義はものすごいスピードで今日まで発展してきた。人類のあくなき欲望は次々に新しい商品を生み出し、生活を豊かにしてきた。まだ高々300年である。普通の人が月に行ける日もそう遠くはないかもしれない。これは功である。しかし罪もある。それは何といっても物の価値をすべてお金に換算するという点である。先ほどのCDで言うと需要と供給の関係で貴重なものでも安価になる。モナリザは200億円とか、大谷の50―50ボールが5億円とか。違和感があるのは私だけだろうか?人類の経済観念の出発点は多分物々交換ではないだろうか?漁師がとってきたサバ5匹とコメ3合を納得ずくで交換する。生きていくための知恵であったろう。私は「古代の薩摩940年で」対価交換ではない、必要な量の交換を提示してみた。魚1匹とコメ2合の交換でもいいのではないか?家族数が多ければ必要数も増える。少ないところは少しで十分だ。こんな世界は作れないものだろうかと思ったからである。こんな話、今我々が生きている資本主義社会では馬鹿らしくて話にもならないと思うかもしれない。でも今の金融資本主義はおかしくないか・大富豪はそれ以上お金を稼いでどうするつもりだ。芸術やスポーツさえもお金の対象である。必要な人のところへ必要なものがいきわたる様にはできないのか。物の総数は足りているのではないのか。贅沢を言わなければ。世界には飢餓に苦しむ地域もあると聞く。なにかやるせないなあ。気分転換。かねてクラシックに触れる機会の少ない方にNHKのEテレの番組を1つ紹介します。今人気沸騰のピアニスト「清家信也」さんが軽妙なトークを交えてクラシックの魅力をいろいろな角度から教えてくれます。毎週夜9時から始まる「クラシックTV」です。もう一人のMCは「鈴木愛理」さん。もとアイドルらしいです。かわいいです。詳しくはわかりません。が2人のやり取りが軽妙で楽しく番組を見ています。
「後世に残したい価値あるクラシックの名曲」を書いておきます。今回はベートーベンのみです。よろしく。
①    ピアノソナタ;月光・悲壮・熱情・もちろん「ハンマークラビア」も
②    交響曲(シンフォニー);英雄・運命・田園・合唱
③    ピアノ協奏曲(コンチェルト);皇帝
④    バイオリンソナタ;春・クロイツエル
まだまだたくさんあるけど、ほかの人のも少し
<日曜日の朝にお勧め>
①    フルートの「ジャン・ピエール・ランパル」の日本の曲も含まれる
   名演奏。手元のが見つからない。インターネットで探してください。
②    グリークのピアノ協奏曲・ペールギュント
③    スメタナの「モルダウ」
④    シューベルとピアノ五重奏曲「ます」
⑤    ドボルザークの交響曲9番「新世界より」
⑥ ギターの名曲「アルハンブラのおもいで」「アランフェス協奏曲」
今回はこれくらいにします。

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