古代の薩摩940年 #56
第三部 薩摩と邪馬台国の攻防 番外編(2)
=紙と千歯こきの発明=
かねてから不思議に思えていたことが2つある。それは紙と千歯こきの発明に非常に長 い時間がかかっているということ。
「千歯こき」というのは稲の脱穀用農具(稲穂から米粒だけを取り出す)。木の台の上から、鉄や竹製の櫛状の歯が数十本、水平に突き出した形をしている。江戸時代前期に発明か? 稲作は最新の発掘調査では紀元前10世紀までさかのぼれるという。そうすると2500年以上稲作は日本で毎年毎年おこなわれたことになる。大根やにんじんは根ごと引き抜いて洗えばすぐに食べられる。ところが、稲はご飯になるまでいくつかの行程を必要とする。特に脱穀には苦労してきたはずだ。あんな簡単な仕組みをなぜ長い間一人として考えつかなかったのだろか?
一方「紙」は後漢の蔡倫(さいりん)が繊維くずやぼろ布を水中で叩きつぶし、網ですくいあげ、シート状にして完成させた。それを西暦105年当時の和帝に献上したのが始まりと言う。中国の春秋戦国時代は諸子百家と呼ばれる孔子・老子・荘子・孟子・荀子・墨子など錚錚(そうそう)たる哲学者が出た。彼らはまだ紙はないから、竹簡である。韓非子などは10万語だそうだから、1部屋まるごと積み上げても入りきれない量である。簡単には消して訂正と言うわけにはいかないだろうから、1語1語吟味して書かれただろう。紙があったら、あそこまで文を厳密に推敲したかは疑問ではあるが。発明までに数百年は要している。日本には7世紀に伝わり、丈夫で美しい和紙の平安文化が花開くのである。一方西洋へは751年タラス河畔の戦いで唐の紙をすく職人が捕虜となり、イスラム圏に広がり、それがようやく12世紀にヨーロッパに広まったとされている。エジプトでは何千年も前から、パピルスが使われていた。なお、余談だが、ギリシャのアテネの哲学者たちソクラテス・プラトン・アリストテレスの年代が中国の哲学者たちの年代とほぼ一致するのは歴史のおもしろさだろうか?それともたんなる偶然なのだろうか?
(これから、西暦2世紀から4世紀の日本に話がすすんでいくけれども、世界はどんな時代だったのだろうか? 地中海沿岸を中心に勢力を拡大し続けたあのローマ帝国も、パクス・ロマーナと呼ばれた平和な時代にようやく陰りが見え始めていたのである。)