こんな時代もあった!

今から50年くらい前の話。今なら学園物テレビドラマの1シーンか?
私も30代前半の血気盛んな頃。ある日の夕方、もうすぐ塾が始まろうとする時間に、一人の中三男子が息せき切って、教室に飛び込んできた。「どうした?」と聞くと、近くの公園で、S中とT中の生徒がにらみ合っているという。今にもけんかが始まりそうだから、止めてくれという。どっちのグループにも塾生がまじっているという。これはほおっては置けないなと思い、同僚の先生と現場に走った。幸いなことにまだにらみあったままである。原因を聞くと、「がんをつけた。」という単純なこと。どっちのグループも相手が悪いとののしりあっている。これは私の仲裁では収まりがつかないと悟った。先生は関係ないんだから、余計な口出しはするなという。「じゃあ、10対7でやるのか、卑怯じゃないか、」というと、それなら7対7でやるという。そこで私は「タイマンはどうか?」と提案した。彼らにしてみれば、けんかの仕方を生徒に提案する先公は見たことも聞いたこともないだろうから、一瞬ひるんだ。この一見ヤンキーぽい子供たちにも矜持はある。卑怯と言われるほどの屈辱はないのだ。やや時間がたって、どちらのグループからもいかにも強そうな二人がほぼ同時に立ち上がった。私のルールを守ることを条件に全責任は私が持つと宣言した。そのルールとは
①ナイフやチェーンは使わない。
⓶空手や、柔道、剣道などの技はかけない。
③最初は交互にびんた。決着がつかないときは最後はげんこつも許可。
④他のものは全員すわって、静かに見守る。応援の声はださない。
冷静に考えれば、なんじゃそりゃ!なのだが、緊迫した雰囲気なのでしーんと静まり返った中で始まった。ルール違反はできないから、必死でなぐりあったが、なかなか決着はつかない。頃合いを見計らって「まだやるか?」ときいたら、もういいという。二人ともヘトヘトである。あとは善後処置である。ここを間違えると、苦労が水の泡になってしまう。二人だけを残して、あとの生徒は同僚に頼んでひきあげさせた。私の塾の授業は自習にして、二人とじっくり話した。そのうち、学校の先生に対する不満をしゃべり始めた。私はそれにはいっさい口出しせず、話し終わるのを待った。「窓ガラスが割れていれば、お前だろう。給食費がぬすまれたといったら、またお前か。」まったく身に覚えがないことが多かったという。私は説教じみたことはいっさい言わなかった。彼らも初めて自分たちの思いを真剣に聞いてくれてうれしかったのか「先生、ありがとうございました。こいつとはともだちになります。」としっかり挨拶もできた。
学校の先生たちからは抗議やお叱りをうけそうだが、むかしの話なので時効成立ということでご勘弁願いたい。


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