地球は今世界のありようを許してくれているのだろうか?
我々は解決せねばならない多くの問題を抱えている。人口増加にともなう食料不足=飢餓の問題、国家間や個人間の経済格差、各地でなかなかやまない紛争や戦争、環境の破壊を招きかねない地球温暖化、民主主義と選挙制度、
個人崇拝になりかねない~第一主義、将来に希望を見いだせない若者の不安といら立ちなど数えればきりがない。地球が滅びてしまう前に1つ1つをみんなで考えてみてはどうだろう?
今回はまず宗教対立について考えることとした。
例として今一番悲惨な状況にある中東のパレスチナ問題を取り上げる。なぜあんなにもめているのか、我々日本人にはなかなか理解しきくいないことだが、双方の言い分にもっともな歴史的背景がある。今から約2千年まえ、かの地に住んでいたユダヤ人が、戦いに敗れパレスチナ人に追い出され、世界中にちらばってしまった。いろいろなプロセスを経てその間イスラム系の人々がここを住まいにしてきた。ユダヤの人々は聖地であるエルサレムに帰ることが長年の悲願だった。第二次世界大戦後の1948年ようやくイスラエルが建国された。どうしてできたかについてはここではふれない。そこに住んでいたパレスチナ人が今度は追い出された。さてみなさん、この土地に住む権利はどちらにあると思いますか?私なら、半分ずつにしたらと妥協案を出したいところだが、そんな簡単な問題ではないらしい。ユダヤ教もイスラム教も一神教で絶対的な神が存在しそれ以外は認めないのだ。われわれは八百万の神を持つ。またギリシャ神話の神々は魅力にあふれているが。キリスト教も含め、一神教は厄介である。相手を全滅させるまでひかないという信仰である。なぜそんなにこだわれのだろうか?ここでそもそも宗教とは何かについて考えてみたい。
今から20万年前、我々のルーツである、ホモ・サピエンスが登場し、激しい戦いの末にネアンデルタール人は滅んで、我々が生存競争に勝った。いろいろな要因が考えられているが、その1つが宗教の発明である。もともとは自然への崇拝や死後の世界への不安などなにか頼るものがほしかったのだろう。しかしいつのころからか神を創出し、それを共同体の核に据えると国家が生まれ、一気に人類の発展が加速した。今の世界は宗教なしではかたれなくなってしまった。宗教は生活の一部なのである。でも実際は神は頭で作られた概念にすぎず、だれもその存在を知らない。しかし人間は他の動物と違い、意識を獲得し、多くの感情も育ててきた。信じるという科学的ではないように思えることもする。人間の素晴らしさでもある。ここで本題にもどるとじゃあ、現実的に宗教間の戦いは終わることができないのだろうか。私はできると思う。2つの方法のいずれかで。1つ目は人類が宗教を捨てることである。結婚式や葬式はどうなるのか?なんの心配もいらない。私などは結婚式は市役所で福祉課の係長にやってもらった。まあ、これは余談だが、神はもともと人間が作り出したものだ。捨てればいいのだ。おっと待ってくれ!そんな単純なことじゃない。牧師さんや、お坊さんもいるぞ。公務員として働いてもらえばいいではないか。どうしても無理なら奥の手をだそう。宗教間の対立を解消し、信仰心も持ち続けられる方法はただ1つ。
今信仰している神のうえにその上位にというか新しい神を創設する。
「宇宙神」とでも呼べばいいかもしれない。160億年前は宇宙は無であったという。そこから宇宙ができ、今にいたっている。人類すべて、というか生物いや無生物さえも存在の基本ではないか。人間にとって、敬虔(けいけん)な気持ちは大切である。アラーの神を捨てろというのではない。その上に敬うべきものがあるということである。宗教を昇華させるとでもいえばよいのだろうか。論理的に端折った(はしょった)ところもあろうかと思うが、荒唐無稽という言葉だけは勘弁してほしい。議論百出を望む次第。