古代の薩摩940年 #33
第二部 弥生時代 趙高の誤算(1)項羽と劉邦
始皇帝の崩御以降、秦帝国は大混乱に陥っていた。2代皇帝になるはずだった太子扶蘇(ふそ)は趙高(ちょうこう)の謀略で自害していた。また名将蒙恬(もうてん)も冤罪(えんざい)で処刑されていた。そして末弟胡亥が2代皇帝にまつり上げられ、今や趙高の絶頂期を迎えていた。ところが一地方の陳勝。呉広の反乱をきっかけに秦打倒の機運が全国に満ち満ちてきていた。そんななかでも楚(そ)の出身項羽は南から勢力を広げ、秦打倒の一番手だった。一方劉邦は3人の有能な部下(軍師張良・能吏簫何=しょうか・名将韓信)に支えられ秦の都=咸陽(かんよう)に迫っていた。
秦の命運は風前の灯火(ともしび)。
趙高のつぶやき
せっかく何とか李斯を始末し、丞相になったが、
胡亥がこんなに暗愚だったとは。見切りをつけ皇族の一人子嬰(しえい)を3代皇帝に据えてやったのに、奴め私を殺害しようとしおった。身代わりを立て何とか難を逃れたが、さてどうしたものか?
ここは思案のしどころだが、時間がない。そうだ!以前皇帝が徐福の報告書を私にお見せになって、意見を求められたことがあった。あの時は徐福が助かりたいばっかりにいい加減な報告書をでっち上げたのだろうと思ったが、万一事実なら、征服できるのではないか。従順で戦いを知らないと書いてあったな。よし、弟の趙成と舟10隻、部下100人で脱出して倭国をめざそう。倭国の王になるのも悪くはないな。まだ財宝はたくさん残っている。