ヘッドフォンの少女
10歳くらいだろうか。シンプルな空色のワンピースを着た少女が、ホームをうろうろと歩いている。困ったような表情を浮かべているので、声を掛け、肩を軽く叩く。少し驚いた様子でこちらに振り向いた。
「大丈夫? どの電車かわからないの?」
視線だけをこちらに向けたまま、彼女は大きく頷いた。
観光パンフレットで示す場所は、僕の行く先の途中。
「同じ方向に行くんだ。これだよ」
タイミング良くホームに入ってきた快速電車を指差すが、彼女は僕を見上げて動かない。
「一緒に行く?」
頷くとき視線を外さない。癖なのだろうか? 知らぬ男に付いていくのはあぶない、とは別れ際に言おう。
少女の降りる駅は近い。彼女が下車する前に、一つ聞きたいことがあった。僕が話し掛けたときも、互いに会話(半ば僕の一人語りではあったが)していたときも、外すことのなかった大きなヘッドフォンについてである。頭の小さな彼女にはあまりにアンバランスな大きさ。大きくて白いヘッドフォンだった。
「何聴いてるの? 大きなヘッドフォンだね」
僕の問いに、彼女は視線を逸らすことで答えた。
(彼女の聞かれたくないことに触れてしまったか)
予防線を張るように素早く後悔を始めた僕も、視線を向かいの窓へと移した。
「どうせ信じないよ」
掠れていたが人並みの声量で、少女は言葉を繋いだ。
夏の終わりという季節も相まって、何かしらオカルトの香りを感じた。個人的興味から、ヘッドフォンについてますます詳しく聞きたくなる。少女の言葉の余韻に、僕は問いを重ねた。
「もし少しでも話そうと思えるなら、聞かせてほしいな。道案内のお礼と思ってさ」
流れる景色から僕へと視線が移った。
「何も聴いてないよ。これを付けていると余計なものが聞こえなくなるの」
頷いて先を促す。
「最初に聞こえたのは、妹が産まれたとき。喜ぶお母さんとお父さんの声に、すごく冷たい声が混じって聞こえた」
「冷たい声?」
「妹に話し掛けてるのに、同時に私へ酷いことを言ってるように聞こえたの」
「お婆ちゃんも先生もそう。話してるのと別に、冷たい声でも何か話してる」
唾を飲む音を立てて一拍。僕が聞き入っているのを見て、続ける。
「ヘッドフォンは9歳の誕生日プレゼント。お爺ちゃんがくれた。お爺ちゃんだけは冷たい声で話さない」
ふと、彼女は僕に問うた。
「聞いてあげようか?」
答えられなかった。怖かったのだ。彼女の特異な力か、冷たい声の正体か。いや、どちらでもない。僕は僕自身の冷たい声を知るのが怖かったのだ。
少女の下車駅を報せるアナウンス。いつの間にか俯いていた僕は、顔を上げ、隣を見た。彼女はいなかった。ただ少し、ドアへと流れる風を感じるだけだった。
(……名前、聞いてなかったな)
何故か、僕はそれだけを想う。大切なことだったと、今になって感じるのだ。
盆も過ぎた夏の終わり、秋の始まり。気付けば、僕は少女に出会ったことを感謝していた。きっと、この時期には名も知らぬ少女を想うのだろう。
僕の手を引くように、涼しい風が吹いている。
ヘッドフォンの少女 - Togetterまとめ - http://togetter.com/li/1030411
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