河合雅雄「子どもと自然」
現代は家庭までもが人工化されている。それまで家庭について敢えて定義する必要はなかった。祖父母に親戚、近所の人たち。家庭は幅広く、曖昧なものだった。ところが現代では、都市の中の核家族という閉鎖された形に収まっている。家庭は小さくなり、内外を隔てる明確な境界線が引かれた。分散していた負担が家族内に凝固した。それでも、父親は仕事という社会的傾向は以前解消されない。すると当然子どもの面倒を見るのは母親となる。全ての時間は子どもとともにあり、休む間もない。まして大人の理屈が通らぬ乳幼児となれば、一人で負うには大きい負担となる。自分に余裕が持てなければ、育児に喜びを感じることもできないのではないか。
90年に執筆された当書では、働く女性の増加は家族の閉鎖性を破る好ましい傾向だと述べられる。同時に実現条件として、男性の育児参加の必要性と、保育園・幼稚園の役割について説かれている。現在、確かに女性の社会進出は(男女の格差問題などを抱えているが)進んでいる。では、挙げられた条件はどうか。残念ながら満たされたとは言えない。男性の育児休暇取得率は未だ5%にも達しない。イクメンという言葉が一般的になっても、育児は元々家庭に使えた時間内に留まっている。保育園や幼稚園が子どもの主体性を重んじても、都市圏での需要に対して施設・人員が明らかに充分でない。
「人間は幸福を求める動物である」という一文から当書は始まる。幸福について具体的な定義はされないが、物質的に豊かになることが幸せというのは錯覚だと述べられる。この錯覚が元凶的な要因なのだ。経済重視の価値観に囚われて、家族の重要性を忘れている。
錯覚も限界のはずだ。過労死や虐待の増加がそれを示している。私たちは、目を覚まし、改めて幸せについて考えなければならない。
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