呼吸を楽に
参議院選挙当日、元首相の死からも間がなく、「心の平和」や暴力の連鎖についても話が及びました。
2022/7/10 天野泰司 於:朝日カルチャー中之島 まとめ(純)
心と体の平和
誰しも平和を願っているが、体の中にある暴力性が抑圧されることで原動力になり、それが連鎖していくことがある。一人の不機嫌、例えば家族の中で誰かが嫌な気持ちを持っていると、それは伝わる。本人もわかっているが、ブレーキをかけるとより強まってしまう。
できることは、まず、何が辛いか、嫌な感じがするかを丁寧に聞いていく。それだけで抑圧されたものがほどけていく。それはだめだよ、と言い続けても同じ状況。誰かが耳を傾けることで、解決の糸口になる。
加えて、私たちは、自分の体をみていくことができる。話したいけど話せないこと、つかえているエネルギーは体に表れ、運動のつかえとして出てくる。人だけが意図的に行動を制御できる。うそをつく時には、息が止まる。嘘も方便と言われるが、特に、目的があってほんとうでないことを言う時には、呼吸でそれをコントロールしている。たとえばたばこを吸うと、呼吸が変わって、違うことが言えたりする。自然でない呼吸で、息を変えるとうそがつける。それで相手を元気にすることもできるし、そうでないこともあるだろう。
希望がなくなると、息が苦しくなる。息が苦しいと、希望がなくなる。
ゆったり、深い楽な息ができると、やりたいことが素直にできる。平和になる。体の機能が潤滑に動いていると、深い息がなめらかに続いている。冷静に、正確な判断ができ、方向性が明確になる。人間にとって、とても重要なこと。
例えば猫が「こんな社会を作ろう」といった望み、目的を持って集会したりすることはない。それは人の社会の生きづらさを作るが、よい方向に働けばよりよい社会を作り、明るい夢や人生の楽しみ、へこたれず乗り越える力になる。良いことを連鎖させていこう。
今、少し向こうの教室で「禅入門」講座をされているが、この教室で落ち着いた深い息、静かな楽な状態があれば、そちらの教室の坐禅もとても気持ちよくできるだろう。戦争は憎しみの連鎖。日本でも江戸末期くらいまでか、仇討ちの習慣があった。法然の父が殺された時「仇討ちをするな」と遺言し、その連鎖を断ち切った。それは比叡山へとつながり、浄土宗の原点になった。
体の「ねじれ現象」をほどくために暴力性が出てくる。今日は、ねじれをとるところから入ろう。
[実習・腎臓のてあて〜そのままゆっくり後ろへ左右にねじる〜ねじりやすいほうへ大きく一回ねじる〜首の両サイドの筋のてあて〜鎖骨窩のてあて〜心がおちつく やさしい気功]
「心の平和」と「体の平和」はひとつながり。体と対話を重ねて、一番自分が楽なように、ていねいに動くと、内から自分にとって一番いい動きが出てくる。私の体の中で、対立のない平和な状態が「体の自発性」を生む。その働きこそが「自然」であり、大自然の精巧な働きに間違いはひとつもない。生きようとする働き、人を助けたい思いが自然に発露する。
心や体の葛藤も、今の心、体を全面的に肯定することで、一番適切なちょうどいい働き(体の自発性)が生まれる。ずっと同じ状態なのが自然ではなくて、転換点には大きな波があるもの。そこから本質的な変化が始まる。
たくさんの戦争が昔からあり、今も続いている。けれど、戦争を終わらせる時代が今、来ている。大きな転換点。多分できると思う。体の中に鍵があり、それは自分で開く。誰もが開いていける。(つづく)