物を減らすことも大事だけど、物に頭のリソースを割かれないようにすることも大事だなと思った話。
今はもうすっかり市民権を得たミニマリストという言葉。
自分の記憶を辿ると、最初に出会ったのは佐々木典士さんの本だったように記憶している。
ものが溢れる時代、大量生産・大量消費の流れへのアンチテーゼとでも言いましょうか。時代には流れがあると言われますが、そんな時流を捉えた概念・生活スタイルなこともあってすぐテレビ等でも取り上げられていました。
自分の佐々木さんの番組を見た時のもののなさにびっくりしました。
ほんと、何もない・・・w
YouTubeをみても、後発のミニマリストたちがたくさん活躍しています。
ミニマリスト、とまではいきませんが自分も彼・彼女らのすっきりした生活に憧れる部分もあり、昔に比べるとだいぶ所有物を減らしました。
大量のCD、DVD、本、書類・・・。
結構、捨てる行為自体が快につながってる感触もあり、すっきりした空間を見ては満足してました。
ミニマリストの利点として挙げられることの一つが、判断に脳のリソースを割かれないということ。
よく、スティーブジョブズのイッセイミヤケのタートルネックが引き合いに出されるように、人は判断や選択に、意思の力を使うそう。
服を少なくするというのは、毎日の着替えるという行為で消費していたその力の節約になるので、その分、認知資源を他の重要な作業に割り振れる、という主張です。
意思の力(ウィルパワー)が存在するのかしないのかは、不明ですが時間の節約にはなりそうですね。
で、やっとこさ本題。
自分が最近聴き始めた超実践的幸福論というPodcastで裙本さんが年に2回しか服を買わないし、さらに事前に選定してもらっているという話をしていました。
で、考えてみると、日々の服を制服化することで認知資源や時間を節約する、というのは納得できる話ですが、意外と「買い物」が頭を占める割合って多くないですか?合理的に考えると、その時間も無駄な気がします。
・あ、飲み物のストックが切れたから補充しきゃ
・常備してる薬が切れたから買っておこう
という簡単なものから
・車を買いたいけどどうしよう
・家を買おうか
という大きいものまで。
自分自身に当てはめてみると、そういった大小の「買い物」のことをぼーっとなり自覚的に考えてる時間、それなりにある気がします。
今日も、帰りに「晩御飯買って行かなきゃなー、何にしようかなー、冷凍庫にはあれが入ってるし・・・」と、それなりの時間、考えをめぐらせてしまってました。
認知資源を本当に必要なことに結び助けるためにミニマリストという選択を取ったとしても、買い物のことが頭を占めていたら本末転倒。
意外と盲点だったな、と気づきを得た話でした。
自分だけで、世のミニマリストさんたちは物欲も切り離している方が多いかもしれませんが・・・。皆さんは、どうでしょうか?