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SNSによる個人攻撃

福岡の老舗旅館の前社長が自殺と見られる死を遂げたニュースを見た。
定められている浴槽の水(湯)の取り替えを年に2回しか行わなかったため、基準値超えの菌が検出され、謝罪会見が報道されたのは記憶に新しいところだったので、衝撃だった。

確か、従業員からルールに則った運用をすべきとの声も出ていたのに、それを黙殺というか無視するような運用を続けていたようで、それを非難し、謝罪一辺倒の会見だったと記憶している。もし、自らの欲なりお金儲けを目的に、悪いと知りながらそうしていたのであれば、弁解の余地もないだろう。
メディアを含め、そんな風呂に入らされていたことを知った利用者が怒りの声をあげるのは理解できる。
ただ、決して彼を弁護するわけ(もうこの世にいないので弁護も何もないが)ではないのだが、歯止めのかからない厳しい個人攻撃の風潮には疑問を感じる。

女子プロレスラーの方がネットでの批判を苦にして自ら命をたったり、スシローで良からぬ行動をとった少年の住所、高校、名前などプライベートな情報がネットに晒されたり。
SNSを多少なりとも利用する側として、確かに野次馬根性でそう言った個人情報を知りたくなるの気持ちはわかるし、他人に迷惑のかかる行為を、注目してもらいたいという欲求を満たすためだけにヘラヘラしながら行っていることも腹立たしく思う部分がある。
でも、人をそこまで追い詰め、場合によっては命を落とすところまで糾弾するのは決して良いことではない。一般市民は一般市民であり、人を裁く権利もない。善良な人であれば、自分が責めたせいで他人が命を落としたら、一生傷を負って生きることになるだろう。

こういったSNSでの迷惑行動を見るたびに思い出すのが、この書籍である。

全員が該当するわけではないのだろうが、そう言った迷惑行為をアップする少年少女にも、知能レベルが知的障害者とのグレーゾーンに該当する人、いわゆる普通の人が持つ善悪が理解できない人も少なからずいるであろうことを忘れてはならない気がしている。

個人への度を越した糾弾行為に対しては、徐々に法的な整備も進められているようであるが、しばらくは、もしくは何かしらの手段での個人攻撃はゼロにはならないだろう。
責められるような行為をしないことはもちろんであるが、何か、もっと寛容な社会になれば良いのになとなんとなく思う今日この頃である。
(決して、悪ふざけ行為を推奨しているわけではない)

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