武相荘を訪れた際に購入した白洲正子著の「かくれ里」を読了。
主に関西圏に残る、神社、寺院を巡る紀行記。
彼女のライフワークとして能があり、神社、寺院に残る能面を探す旅でもあるようだ。
「かくれ里」とは、巧い表現だと思う。
平家の落人や隠者など、ひっそりとした場所があり、それらを守る村人たちがいた。そこに日本人の半官びいきを思う。
司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズも好きなのだが、本著でも歴史や文化をまじえた紀行記であり、新たな発見含め大いに学びになった。
新たな学びということで気になったのが、朱砂、辰砂の存在であり、ここに記録として残しておきたい。
朱砂の歴史を調べようとネットサーフしていると三重県のサイトに詳しく説明があった。ここでも、当時の朱砂の重要性、貴重性が理解できる。
ちなみに、スサノオのスサが朱砂から由来しているとの説もあるようだ。
自分の発見とした驚きがあったのが、以下の部分。
日本の歴史を考える上で、鉱物の果たした役割が大きいことを、現在の日本人の感覚からは想像に難いと思う。(それゆえに、意識として欠如しがち)
日本はその昔、鉱物が豊富で歴史的にもそれが重要な意味を持っていた。
そして、その史実を押さえないと歴史を正しく理解でいないのではないか、と思うことがある。
鉄については、司馬遼太郎の「街道をゆく」を読んでいたし、今年になって島根のたたら製鉄の縁の地を訪れたので認識していたが、「かくれ里」で朱砂の存在を知り、改めて、鉱物資源の持つ歴史的な重要性の理解を深めることができた。
松岡正剛氏は、三つの黒船を稲、鉄、漢字、としている。