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朱砂(すさ)・辰砂(しんしゃ)の話(「かくれ里」白洲正子より)

武相荘を訪れた際に購入した白洲正子著の「かくれ里」を読了。

武相荘
武相荘



主に関西圏に残る、神社、寺院を巡る紀行記。
彼女のライフワークとして能があり、神社、寺院に残る能面を探す旅でもあるようだ。

「かくれ里」とは、巧い表現だと思う。
平家の落人や隠者など、ひっそりとした場所があり、それらを守る村人たちがいた。そこに日本人の半官びいきを思う。
司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズも好きなのだが、本著でも歴史や文化をまじえた紀行記であり、新たな発見含め大いに学びになった。

新たな学びということで気になったのが、朱砂辰砂の存在であり、ここに記録として残しておきたい。

いうまでもなく、丹は朱砂とか辰砂を意味し、その鉱脈のある所に「丹生」の名称がある。朱砂は煮つめると水銀になり、水銀をまた煮ると朱砂に還元するという、不思議な性質を持っているが、不老長寿の薬とされたのも、そういう所から出た思想だったかも知れぬ。

かくれ里

丹は薬のほかにも、塗料や顔料に用いられ、鍍金にも欠かすことのできない原料だが、播磨風時には、神功皇后が新羅へ出発する際、爾保都比売命(にほつひめ)の命(みこと)から、赤土を船や鎧に塗ることを教えられ、軍に勝ったという話があり、呪いのためにも盛んに用いられた。
古墳の内部に朱を塗るのも、悪魔よけと防腐剤をかねている。
それほど需要の多い鉱物が、不思議な霊力をもつ神として、崇められたのは当然のことといえる。
そして、朱砂を採掘する人々は、木地師や金勝族とともに、太古から日本の国土に住みつき、神聖な職業にたずさわっていた。日本に多くの丹生の地が見られるのも、彼らが朱砂を求めて放浪した、その足跡を語るものといえよう。

かくれ里

松田寿男氏の研究によると、丹生神社は全国に百三十八カ所もあるそうで、半分以上が和歌山県に集中していると聞く。

かくれ里

この辺の伝承では、丹生都比売(にうつひめ)は天照大神の妹ワカヒルメで、紀州を巡歴した後、この地に住みついて亡くなった。そこからワカ山、ワカノ浦などの地名も出たという

かくれ里

朱砂の歴史を調べようとネットサーフしていると三重県のサイトに詳しく説明があった。ここでも、当時の朱砂の重要性、貴重性が理解できる。
ちなみに、スサノオのスサが朱砂から由来しているとの説もあるようだ。

自分の発見とした驚きがあったのが、以下の部分。

実際にも吉野から高野へかけては、水銀の鉱脈が多い。弘法大師はそこへ目をつけたので、漠然と仏教の聖地を求めたのではあるまい。良弁が金勝族を統率したように、弘法大師は丹生族と密接な関係を持ち、世紀の大事業をなしとげたのであろう。高野山には、今も地主神として丹生・高野の両神を祀っているが、水銀は寺院建立のために、大きな財源となったに相違いない。神仏が混淆する裏には、そういう長い民族の歴史が秘められていた。

かくれ里


日本の歴史を考える上で、鉱物の果たした役割が大きいことを、現在の日本人の感覚からは想像に難いと思う。(それゆえに、意識として欠如しがち)
日本はその昔、鉱物が豊富で歴史的にもそれが重要な意味を持っていた。
そして、その史実を押さえないと歴史を正しく理解でいないのではないか、と思うことがある。

鉄については、司馬遼太郎の「街道をゆく」を読んでいたし、今年になって島根のたたら製鉄の縁の地を訪れたので認識していたが、「かくれ里」で朱砂の存在を知り、改めて、鉱物資源の持つ歴史的な重要性の理解を深めることができた。

鉄が作られるためにもっとも重要な条件は木炭の補給力である。樹木が鉄をつくるといっていい。
さらに、その社会で鉄が持続して生産されるための要件は、樹木の復元力がさかんであるかどうかである。この点、東アジアにおいて最も遅く製鉄法が入った日本地域は、モンスーン地帯であるため樹木の復元力は、朝鮮や北中国にくらべて、卓越している。

街道をゆく

朝鮮人は歴史的にも優秀な民族だし、また手工芸においても高い能力をもっていることはいくつもの例で証明できるが、しかしその能力を十分に反映した社会を近世まで持ち得なかった理由の一つは、鉄器の不足にあるといってよく、同時に鉄器の不足が農業生産力を飛躍させず、旺盛な商品経済を成立せしめず、せしめなかったこそ、李朝五百年の儒教国家がゆるがなかったともいえるかもしれない。このことは、中国のながい停滞を考える場合にも、多少は通用するかもしれない。
同時に、裏返せば、日本列島に住むわれわれアジア人が、他のアジア人とちがった歴史、そしてときには美質であり、同時に病根であるものを持ってしまったことにもつながっている。要するに、砂鉄がそうさせたことではないか。

街道をゆく

スサノオを奉じて出雲にやってきたのは新羅の製鉄者集団であったとすれば、かれらはこの航路をつたって出雲にきたであろう。
かれらが移動してきた理由は、ほっとすると韓国の採鉄場付近の森林が尽きてしまったからであるかもしれない。

街道をゆく



松岡正剛氏は、三つの黒船を漢字、としている。

青銅器につづいてやってきた「鉄」は、日本人に頑丈な農耕器具と武器をもたらします。青銅器は銅鐸や銅鋒などの祭祀用に活用されたのですが、鉄にはきわめて実用的な力があります。中国では古来「塩鉄論」という考え方があって、塩と鉄が国をつくるとみなされました。

日本文化の核心

出雲や安来(ともに島根県)のあたりには「たたら一族」がいたのです。宮崎駿の『もののけ姫』にそうした「たたら」を守る奇妙な装束な男たちが描かれています。

日本文化の核心


島根県雲南市吉田町吉田
島根県雲南市吉田町吉田 菅谷たたら山内
島根県雲南市吉田町吉田 菅谷たたら山内
島根県雲南市吉田町吉田 菅谷たたら山内
島根県雲南市 吉田町吉田


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