近所の虐待されていた男の子のはなし
こんばんは🌃
みなさん、お元気ですか ?
じゅんママと、まなの二人三脚で
jun_manaです。
なんだか…なかなかエネルギーが
出ない私 じゅんですが、よく
コメントをくださっているnoterさんの
お一人が
子どもの時、虐待にあわれたことを
以前教えてくださり、いつか、私の
経験を記事にすることをお伝えしていたので、
今日は、そのお話を。
では。
まなは、その時、小1。
なぜか、小1と小3の時だけ、学校に
行けた。担任が同じだったのもあるのかな?
いまだに、わからないが…。
私たちは、その頃、団地の2階に住んでいた。
ある日、すぐ下のお母さんが、ピンポン !
と来た。
私に相談にのってほしいと…。
1階のお母さんは、私の子どもふたりともに
同級生を持つお母さん。
そのおうちには、午後、よく近所の子どもたち
が、遊びに来ていた。
そのお母さんの相談は…。
あのね、うちに来る子どもたちの中で、
ひとりだけ、おやつを必死に食べる子が
いて、なんかねぇ…気になるんやけど。
おとなしい子なんやけどね。
それを聞いて、思い出したのが、
先日、夜8時頃に団地にしゃがんで座り込んで
いた、気になってた男の子を思い出した。
虐待も考えられるなぁ…と、私。
男の子は、小3。
私は、相談に来たお母さんに言った。
1日だけ、考えさせてくれるかな…
私は、考えた。
手を出すと、かなり、大変だと想像する。
なぜなら、私、たったひとりになっても
私は、その子を裏切ることだけはしては
いけない。
裏切るくらいなら、はじめから、手をださない
ほうがいい。
じゃあ、手を出さないと、私は、しんどくは
ないのか?
いや、どちらをとっても、私は、しんどい
と思う。
気になるから…
手を出さないとき…私にとって…
反省か、後悔か…
私は、究極まで、自分と対話した。
私は、きっと、反省ではなく、後悔する。
次の日、1階のお母さんに返事した。
手伝わせてもらうよ。
その日から、いったいなにが起きている
のかを調べることにした。
以下の通り。
夕方、6時以降、家に入れない。
いつも、団地のまるい大きな石の上に
よく座っていた。
鍵は、もたされていない。
食事もほとんどなし。
湯船に頭つっこまれたり、よく、叩かれる。
私は、その子のことで、FAXを買ったり
ガラケーをはじめて買った。
それまで、持っていなかった。
その男の子に関わるようになり、毎日の
ように、その子は来るようになった。
ある日は、私の家から、帰れなくなり…
たぶん…帰りたくなくなったんだろう。
母親らしき人物と、はじめて会ったのは、
その日。
私たちがしたこと。
その子が、ごはんを給食以外にほとんど
食べていなかったので、毎日、朝と夕方に
向こうの親に知られないように
食べてもらった。夏休みも、冬休みも。
夕方、6時以降、いったん入れても、
ゴミ出しとか理由つけられて出され
また、入れない。
母親は、継母だったのだが、私は、その人と
夜中の2時まで話をしたこともあった。
同時に、児童相談所、校長、主任、
担任、地域の児童主任、民生委員
最後は、警察まで電話をし、巻き込んだ。
決して、私たちだけで、なんとかしようなんて
考えなかった。
だが、現実は、これまた、ドラマ以上だった。
いや、いまでこそ、あまりニュースにも
ならなくなったが? ? 子どもの虐待が
多いのだ。
長くなるから、箇条書きにする。
まず、校長に1番に行った。
噂で、今年は、まだましか…と思ってたのに
こんな子がいます ! と、伝えると、
いつもは、穏やかそうな? 校長が
急にこわい顔になり、こう言った。
それは、児童相談所の仕事です! と。
は ? なんて ?
あんたとこの学校の子とちがうのか !
と、私の心の声。
手のひらを返したような態度。
信じられない。
この人、なんのために、校長してんの ? と。
児童相談所。
毎日、詳しく、出来事を記録してFAXで
送った。ずーっと最後までね。
虐待ですね…担当者は、確かに言った。
が、彼らは、行動しなかった。
わかるよ、虐待多いもんね、あなたたちの
仕事は、大変なんだよね。
こわい親もいるし、命懸けの時もあるよね。
でも…じゃあ、なんで、いま、その仕事
してるの ?
主任
同情 ? してくれて ?
なんかあれば、電話してください !
と、ガラケーの電話番号を、サッと
教えてくれた。
しかし、数日後、夜8時頃、困って
一度だけ電話してみた。
すると…
こんな時間になんですか !
すごく不機嫌そうな声。
は ?
じゃあ、なんで、自分から、電話番号
教えたのさ ?
さっぱり、あなたの気持ちがわからんよ。
私から、主任に2度と電話をすることは
なかった…。
担任。
男性で、普通に人気のある先生。
学校からの仕事の帰り道だから、
様子を見に来てくれませんか ?
と、頼んだ。
頼んだのも忘れそうになった夕方、彼は
やっと来た。何ヵ月もたっていた。
男の子は、やはり、家に入れず、
石の上にいた。
私は、この石の上にいたあの子の姿を
今でも覚えている。
私は、少し離れて、隠れていた。
5分くらいで、男の子は、私のところに来た。
ずいぶん、早いね …
先生、なんて ?
男の子は、下を向いて、
表情ほとんど変えずに言った。
また、暇な時に来るわ …って。
私は、なんとも言えない気持ちだった。
暇 ?
そんなしょうもない言葉を、この子に言ったの ?
わざと、傷つけてるの ?
なんのために、来たんだ ? !
私の心は、ズタズタ…
でも、この子の心は…もっと…もっと…
私は、その子に返す言葉が出なかった。
まだ、小さなその子。
私は、たまらなくなって
ただ、思い切り、ギューっと抱きしめた。
一緒にがんばろうね…
私は、静かにひと言、誓うように、
それだけ言った。
もちろん、その日以来、担任は、2度と
来ることは、なかった。
地域の児童主任と呼ばれてる人。
女性だ。
女性なら、少しは、わかってくれるだろうか。
思いきって、電話した。
こんな子がいます。
その私の言葉に、彼女が言った。
あなたね、自分の子どもだけみてりゃ
いいのよ!
耳を疑った。
私は、いったい だれと話してるんだ …
今の私なら、黙っていない。
でも、その時の私は、あまりのショックに
受話器を置いた…。
あんたたち、自分の立場、わかってんの ?
名前、そこに書いてる意味は、なに ?
なんで、こんな大人ばかりなん ?
近くの民生委員。
あたりさわらず。
警察。
電話したら、女性警察官みたいな人が
出てきた。
話の内容に、それは、大変ですよね…
ちょっと、優しそうな声…。
私の一存では決められないので
上の者に話してきます。
5分~10分くらいしたら、電話に戻って
きた。
その時には、もう、声の調子は変わっていた。
そんなことでは、行けません。
あっそ !
わかったよ!
もう、いい… 私の心の声。
私は、彼女にはっきり言った。
死んだら、来るんですよね❗
それだけ、吐き捨てるように、悲しさの
あまり、私は、言った。
もう、自分たち以外に頼りにしないよ。
でも、確かに伝えたよ。
なんかあれば、迷わず、電話してください❗
って、児童虐待のポスターにも書いてるよね。
あれ、なに ?
こんなにも、見事に揃って…
世も末か…
そら、死んでいく子どもたちが、いっぱい
いるわけだ。
郊外学習の日。
男の子は、朝、ピンポン ! と来た。
リュックだけは、背負って。
リュックの中を見せてもらった。
からっぽ…。
悲しいけど、想定内。
私は、長女とまったく同じお弁当と水筒を
リュックに入れた。
1階のお母さんは、おやつを用意して
くれていた。
薄着だから、長女の黒の上着を貸した。
今日は、なにもかも忘れて、楽しんで
おいでね❗
と、私は、男の子に言った。
うん !
その子は、うなづいて行った。
毎日、凄まじい出来事が続いた。
ピックアップしても、書ききれない。
内容的にも。
ある時は、男の子は、熱を出した。
なにかアレルギーがあるかも知れないし
簡単に薬を飲ませることも出来ない。
だから、ふとんに寝かせて、冷たいタオルで
冷やしたり、おじやを食べてもらったり。
その子は、からだは強かったんだろうな、
次の日には、落ち着いた。
男の子のお世話をさせてもらいながら、
それでも、学校、児童相談所に掛け合ったり
継母と話したり。
ほんとかどうかはわからないが、継母が
言うには、本当のお母さんは、男の子が
一歳くらいの時に家を出て、彼は
施設に預けられ、三歳くらいのときに ?
父親に引き取られ、後に、新しいお母さんが
来たらしい。それが、その継母。
どちらにせよ、男の子は、辛い毎日を送ってい
たんだろう。
相談してきた 1階のお母さんとも、何回も
私と真剣にぶつかり合いにもなった。
命がかかっていたので、そうもなる。
綺麗事では終わらない。
でも、彼女とは、意見はぶつかり合った
時もよくあったけど、最後まで一緒に
行動できた。
戦友と呼んでもいいかも知れない。
継母は、派手な人で、口が上手く? ?
男の子の父親に適当に言って、男の子に
被害を与えるように仕向けていたようだった。
お父さん、からだは大きかったが
気が小さいのか ? ??
なんだかんだと起きる日々…
私は、ある日、家にいる時、洗濯機が
まわるような音が聞こえてきた。
だが、洗濯機は、回っていなかった。
三種類くらいの耳鳴りが始まったのは
その頃。
だから、少しうるさいところだと、相手の
声が聞き取りにくい。
静かすぎたら、すぎたで、耳鳴りひどい。
それ以来、24時間、今でも鳴っている。
まともに感じると、頭おかしくなる。
だから、これも、名誉の負傷 ? ?
と、捉えている。
そんなこんなで、またもや、激動の一年間
が過ぎようとした頃…
もう、なにも、変わらない、
どうすればいいんだ…これじゃ、
男の子も、私たちも、限界をむかえるかも
知れない。
そんな時、奇跡が起きた !!
なんと、その継母が、家を出て行った ! !
すると、父親が、落ち着いたらしく? ?
嵐がやんだ。
そのうち、また、あらたに 新しい母親が
きたが、その人は、大丈夫そうであった。
あ~、終わった…
私は、部屋で、思い切り泣いた。
なぜ、泣いたか。
自分の無力感だった。
もし、継母が出ていかなかったら…
どうなっていたのだろう…と。
その後も、男の子に会うたびに、聞いた。
大丈夫 ?
うん❗
彼の微笑んだ顔をはじめて見た。
よかった…笑ってる…
ほんとうに、よかった…よかった…
ありがとう✨
それが、確か3月あたり ?
私の心は、その子が助かってくれた
喜びとともに、心のなかは、
大人に会いたくない !
の気持ちが強烈になってしまった。
自分も大人なのにね。
もちろん、心のなかでね。
ましてや、学校にいきたくない!
なのに、なのに…
4月の保護者会のイヤなイヤな選挙で…
まさかの副会長になってしまった。
まじで、イヤだった。
会長は、校長が座るときも、椅子を
ひいたり…。
私は、絶対に出来なかった。
ただ、会ったときは、会釈だけはした。
声も出さずに…。
なんとなく、むこうも、避けてた感じ。
大人たちは、言うよね。
人には、優しくしてくださいって。
道徳の時間って、いる ?
目の前の問題をみんなで考えたり
行動する。
それが、生きた道徳だよね ?
優しくできないと、責めたりもする。
でも、だれからも愛されずにきた子どもが
いたら…簡単に責められる?
お腹すかせてる子に
優しい言葉より、まずは、食べ物なんだ。
だれに 食べ物をもらったかなんて、
忘れてもらっていい。
だれだったか忘れても、あの時、助けて
くれた人がいる…
それがあるだけで、人は、人を
信じられたりするのではないだろうか。
そして、どんな大人になりたいか…
思えるのではないだろうか。