終わりなき旅のはじまり17
1998年僕は音楽プロダクションに入った。
バブル景気で見た夢はもう終わったと何となく気づき始めたご時世だったと思う。
この頃の音楽プロダクションは、レコード会社と契約、契約金を資金に、発売されたCDの販促と連動してアーティストのコンサートを制作、グッズを販売、イベントへの出演などで得たギャラなどで経営していて、プロデューサー、ミュージシャン、バンドなどと契約し、メジャーに売り込み展開していくというのが主な仕事だった。
入ったばかりの僕は、ケンさんという当時から活躍されてるプロデューサー、ベーシスト、バンド活動してる方の付き人を短期間だけした事があった。
ケンさんは、優しくもあり怖くもあり、でも何気ない会話から色々な事を感じたり、またレコーディングに付いていくとプロデューサーのGOさんやスタジオ時代の馴染みのエンジニアの先輩がそこにいたり、楽しい時を過ごしながら色々と教わったのを覚えている。
この何年かあと、僕はフリーになるのだが、
渋谷で行われた日韓ロックフェスティバルで、バンドとして参加してたケンさんに、「今日会えると思ってたよ、頑張ってるな」と声をかけて貰った事がとても嬉しかったのを今でも覚えている。
このプロダクションには、もう1人、お世話になった牧生さんという方がいた。元はレコード会社のディレクターで、「バンドがメジャー契約切られても、存続出来るようにしないといけないし、そうしていきたい。バブルの夢はもう終わったんだよ」と、常日頃言ってた方だった。
ケンさんの付き人をしたのち、僕は牧生さんがトータルプロデュースしていたピールアウトというバンドのマネージャーとして色々と勉強する事になる。
25歳の頃の話である。
終わりなき旅のはじまり17。終わり。