終わりなき旅のはじまり②
小学4年の春、新しい生活が始まった。
時は1981年、イモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」、荒井由美の「守ってあげたい」がヒット、寺尾聡の「ルビーの指輪」がレコード大賞をとり、茶の間では「俺たちひょうきん族」、「北の国から」の放送が始まりテレビに釘付けになった、そんな年だった。
母親の兄と姉が、元は雀荘だったところを貸してくれて、そこが僕らの新しい住み家になった。
転校した僕は新しい小学校になかなか慣れず友達も出来なかった。
そんな時だった。
ある日の帰り道、何十人もの同級生から一斉に石を投げつけられ、泣きながら家に走りこんだ。
僕を待っていたのは、鬼の形相の母親だった。
「そこまでされて何もせず逃げてきたのか?仕返ししてくるまで帰ってくるな」と叩き出された上に夜遅くまで家に入れてもらえなかったのを覚えてる。
そこからだろうか、何かに火がついたかのように、日々喧嘩、1人1人に仕返ししては仲良くなっていき、学校にも馴染み楽しめるようになっていった。
今では信じられない話かもだが、いじめ、暴走族、ヤンキーなど、ニュース見ればそんな言葉が飛び交う、そんな時代だったと思う。
そんな傍、母親と長女は雀荘の改築をすすめ、
1階を厨房にしフランチャイズの弁当屋を始めた。
「きゃり亭」の始まりである。
フランチャイズなので、決められたメニューを決められた食材で作らないといけないのだが、母親は違った。
こんな不味いものを人に食べさせるなんて出来ないと手作りの焼肉弁当を販売した。
目の前に大きなコカコーラの工場があった事もあり、これが爆発的に売れた。
そして新しい生活は徐々に軌道にのっていった。
今思えばあの頃の暮らしは、「家族」というものを感じる事が出来たひと時だったかもしれない。
※終わりなき旅のはじまり②終わり