終わりなき旅のはじまり第2章③
2021年1月現在、僕は空の玄関と言われてる場所で、旅する人に食を提供する仕事をしている。
2016年のグループ展「街と人と」、そして2019年の個展「nostalgy」の時はすでにその仕事をしていた。
昨年の春に発令された緊急事態宣言の時に書いた「終わりなき旅のはじまり第1章」では、20代前半から音楽業界で働いていた僕の最後の仕事、2006年に石垣島で録音した沖縄最後のお座敷の唄い手、ナミィお婆のライブ録音の話で締めくくった。
その後の2007年、僕は義理の兄が経営するある個人店で働く事になった。今の仕事に繋がる切っ掛けとなったのは言うまでもない。
このお店は当時不動産系の企業が後に乱立する商業施設のうちの1つで税理士として人脈を持つ義理の兄の力で新しく出来た商業施設内で店を構える事が出来た。
店のメニューの基本は母親の料理で、僕が小学校の時に母親が経営してたお弁当屋「きやり亭」の焼肉もこの店で再び再現して販売した。
飲食初体験ではあったのだけど、やり始めて間もなく、音楽と料理ってなんか似てるなぁと思い始め、飲食の経営と料理を作るという事に興味を覚え始めて、まぁ色々と勉強したもんだ。
その後、母親はこの店を引退、僕は紹介された三重県にある大きな商業施設内にあるフードコートで働く事になる。
僕が32歳の頃、今から16年前の話。
写真は、ちょうどこの頃、嫁の実家がある沖縄の伊江島で写ルンですで撮った写真。写ってるのは釣りをこの上なく愛する義理の父と、僕の1番上の姉の六男、今では立派な青年になってる。