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She


僕が中学生の頃少しの間だけ家族が1人増えた。オギャーオギャーと隣で大声で泣いたかと思ったら急にニコニコと笑いだしたりして賑やかなひと時だった。

両親が経営してたスカーフ工場の倒産の後、母親が始めた弁当屋の手伝いで朝から晩まで働いてた長姉の第一子は女の子だった。

僕と長姉は16歳離れてて(僕は5人姉弟の末っ子長男)生まれたばかりの姪っ子と僕も13歳しか離れてなくまるで妹が生まれたような感覚だったのを覚えている。

姪っ子が18歳になった頃だろうか、写真を撮って欲しいと言われて横浜の港がみえる丘公園に撮りに行ったのが初めてだったと思う。以来、事ある事に呼ばれては撮った写真が沢山残っている。

僕が30歳の頃、作家である3番目の姉からの依頼で沖縄の石垣島に沖縄最後の現役お座敷芸者のナミィお婆のお座敷ライブのレコーディングに行った。アシスタントも必要だったし1人だと心細いし、かと言って気軽に誰かを誘える案件でもなく、どうしようかなと思ってたところに、どこからかその話を嗅ぎつけた姪っ子が私が一緒に行くと言ってくれて石垣島への2人旅になった。

年が近い姪っ子であるが故タクシーに乗れば新婚旅行ですか?と聞かれ石垣島のホテルも同室だったのだけど(普通、叔父と姪っ子を同室にするか?という3番目の姉にもいささか疑問が残る笑い話なんだけど)レコーディングが終わった後も沢山話をした記憶がある。

それから直ぐに姪っ子は結婚をしたのだけど、
今思えばあの時一緒に来てくれたのは、
凄まじき我が家族を小さい頃から見てきた彼女の
優しさだったのかなぁと思う。

高校はアメリカンスクール、英語、韓国語と堪能で高校卒業後はアメリカで仕事する事も多かった姪っ子はそこで知り合ったベトナム系のアメリカ人と結婚して今はフィラデルフィアに住んでいる。

結婚してからは、
旦那さんと一緒に写ってる写真。
男の子が生まれてからは3人の家族写真。
女の子が生まれてからは4人の家族写真。

家族というものをあまり知らない僕にとって
伝えてもらった恩返しをどこかでしたいと思うこの頃。

残してきたものに、
残してくれたものに、
時が経って思うありがとうを
伝えられたら良いなと思う。


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