終わりなき旅のはじまり第2章⑤
2008年、僕は名古屋の大須に住んでた。
職場は繁華街の栄のど真ん中、飲食業で食べて行こうと思い始めた未知の世界、職人の世界があるところへ転職した。
職人になろうと思ったわけでなく、料理の職人の世界を知りたかったからである。
待っていたものは結構過酷な勤務で、朝6時に起きて7時に職場に向かう。料理長が来る前に仕込みを終わらせないといけない。
仕込みを開店時間までに終わらせ、料理長の今日のランチの話をひたすら聞きレシピを覚える。
少しでも料理長の理想と離れようものなら、鍋やらトングやら色んなものが飛んできた。
開店から閉店まで13時間、1日何百食の料理を作った。店が閉まると今度は次の日の食材の納品を待ったり仕込みをしたり、家に帰るのは深夜2時頃、職人の世界ってやっぱり厳しいなと改めて感じたのを覚えてる。
携帯も普及しSNSなるものも登場してきたのもこの頃だったと思う。
名古屋の大須、栄と言ったら、なかなかどうして、携帯で撮ってもそれなりに絵になるところもあり、その頃、僕は初めてのSNSを始めた。
SNSを始めると、知らない事も知る事が出来る情報が自然と入ってきて、ある時、「アレ、ブレ、ボケ」、そして「provoke」という今で言うZineになるのかな、それを知ることになる。
iphoneで撮った写真をアプリで加工してUPしたり、今でも続いてるそれの始まりだったのかなぁと思う。
adobeからlightroomが販売されたのもこの頃だったと思う、レタッチという言葉が当時あったか忘れてしまったが、僕もすぐ購入した。
そんな中、森山大道さんの写真集に出会った。
当然GRデジタルを買う経緯に至り、仕事では職人魂を体感しながら、休日はなんちゃって写真家になった気分で街に出ては写真を撮るようになる。
後々にその時撮った写真を和紙にプリントして、一冊にまとめたのだけど、特に何するわけでなく家に置いておいた。
時は経ち、お世話になってる渋谷のbar foxyにそれを持っていったところ、マスターが大喜びする姿を見て、??と思いつつも何だか嬉しい気分になり、あーだこーだ語った記憶がある。
確か今は横浜の写真バーSayoにそれは置いてあると思う。
話はそれたが、この頃がおそらく撮った写真を人に見てもらうの最初の1歩だったと記憶してる。
生きていくための職人を知るための道は、2年ほど続き、得たものは根性と職人さんの生き様の在り方、失ったものは過労による体への負担だったけど、大変勉強になった2年だった。
そして僕は2010年、生まれ育った横浜に帰り、今でも忘れない東北大震災を経験する事になる。