終わりなき旅のはじまり①
1972年12月、僕は横浜で生まれた。
国籍は韓国、在日韓国人3世というやつだ。
名前は日本名と韓国名と2つ持っている。
日本に永久に住んでよいという、
特別永住権を与えられていて、
選挙権はないが税金はきちんと払っている。
姉は4人いて僕は末っ子長男、こんな話をすると可愛がられたでしょう?と、よく言われるが、僅かに残ってるアルバムの中の小さな頃の自分は、女の子のような服装、いつも母親や姉の後を追いかけてるような、そんな感じの甘えん坊の自分が写真となって残っている。
そんな僕の記憶は、
小学校3年生の頃から始まる。
父親と母親は3階建ての一軒家の横にスカーフ工場を作り、母親は日々スカーフをミシンで縫い合わせ、父親はベンツに乗り一見怖い人な風貌で朝になると出かけていく姿を覚えてる。
その頃の僕はというと野球に夢中で、地元の少年野球のチームに入り、低学年チームのピッチャーに抜擢され野球帽、グローブ、バットがいつも傍に置いてあった(途中、根性がないからという理由で母親は少年野球をやめさせ、ボーイスカウトに入団させるが野球をやりたかった僕は当然長続きしなかった)。
こんな僕の少年期に突然変化が訪れた。
母親はスカーフ工場をたたみ、朝から晩まで帰ってこない日が何日も続いた。父親の姿も姉の姿もなく、僕は夜の9時頃まで誰もいない3階建ての家の玄関に座り、1人母親の帰りを待っていたのを今でも覚えている。
この頃のことは、何故か記憶にほとんどないのだが、作家である3女の姉が書いた「ごく普通の在日韓国人」という本を読んで、父親が多額の負債を抱えたこと、家も工場も差し押さえされ、全てを失ったこと、当時から母親が連呼してた「ちくしょう、ちくしょう」の意味を知る事になる。
そして僕は小学校3年の冬、母親から「新しい家に行くよ」と連れられて、同じ横浜市のとある街で母親と長女、四女の姉と新しい生活を始める。
※終わりなき旅のはじまり① 終わり。