終わりなき旅のはじまり⑤
中学3年になる頃、大きな課題がやってきた。
高校入学である。
この頃、長女の姉には子供が生まれ、1ヶ月くらいだろうか家にいたのを覚えてる、次女の姉はちょっとした心の病で入院、三女の姉は結婚して別のところで暮らし、四女の姉は夜毎ディスコに繰り出していたのを、かすかに記憶している。
当時、母親の仕事のスカーフ業は景気がよく、母親は朝からミシンでスカーフを縫い夜遅くまで帰ってこなかった。自然と家は溜まり場になっていき、夜遅くまで黒ちゃんら仲間たちと遊んでいた。
街には、レンタルレコード屋さん(レコードからCDに代わるちょうど中間期だった気がする)、レンタルビデオ屋さんが続々と出来て、音楽、映画が身近なものとなってきていた。
初めてコンサートというものに行ったのも中学の頃、横浜文化体育館、Bon Jovi、とにかく興奮したのを覚えてる。
そんな僕の生活をみて高校進学の不安を覚えたのか、母親は黒ちゃんの母親と結託して、僕らを塾に通わせる。
最初は大人しく通っていたのだが次第に退屈になってきた僕らは、塾で知り合った人を集め、サッカーチーム(今で言えば少人数制のフットサル)を作った。
塾の敷地内の駐車場の片隅がフィールドである。
授業が始まる前、休憩時間、授業が終わったあとと、トータル1時間の試合とし夢中になった。
そして進学を決める三者面談の日がついにやってくる。
母親は仕事のため来れなく、四女の姉が代わりに三者面談にやってきた。
当時の四女の姉は、高校卒業しフリーターをしていたと記憶しているのだが、のちにF1のキャメルのレースクィーンやったり、キャンペーンガールやったりから想像出来るように、とにかく派手で目立ち、姉の訪れとともに1階の裏庭沿いにある教室の周りには野次馬の人だかりだった。
そんな中、先生に提示されたのは偏差値40くらいの高校への進学、公立と私立1校づつだった。
その話を姉から聞いた母親の怒りと落胆の表情は今でも覚えているが、後で聞いた話だと、母親の心は私立に進学させようと決まってたようだ。
親の気持ち子は知らず、
母親は入学費と学費の調達に、
更に働くことになる。
終わりなき旅のはじまり⑤終わり。