終わりなき旅のはじまり12
1994年の冬、22歳になった僕は、お世話になったレンタルビデオ屋のアルバイトをやめて韓国へ渡った。
語学留学である。
初めての海外、空港に降り立つとプーンとキムチの匂いが鼻につき、空港から街までのバスはジェットコースターに乗ってるような運転で揺られ揺られ、その道路の粗さと運転の荒さにとにかく驚いた、初の韓国の第一印象である。
街並みは、当時僕が傾倒してた1970年代の日本にタイムスリップしたかのような光景が広がり、懐かしさすら感じたのを覚えている。
この頃の韓国は、まだ日本文化を解放してなく、街に並ぶ路面店では海賊版のカセットテープで日本の音楽を販売していた。
カフェやクラブに入ると、ニルヴァーナの「Smells Like Teen Spirit」が頻繁に流れ、2年ほど遅れて海外の文化が入ってきてるのかなと思うほどだった。
僕はソウルにある高麗大学の語学堂(大学付属の韓国語を教えるところ)に入学した。
この時のクラスメートには、警視庁の麻薬課の刑事さんや韓国との商売を始めようとしてる人、ちょっと変わった大学生など、とにかく個性豊かな面々が揃ってて、彼、彼女達の話を飲みながら聞くのがとても楽しかったのを覚えてる。
9時から14時までの授業を終えると、僕は地下鉄に乗り大学路(テハンノ)という街に行くのが日課だった。
大学路には韓国では有名な女性アーティスト、イ サンウンのカフェがあった。
(後にこのイ サンウンはLee-tzcheと名前を変え日本でデビュー、崔洋一監督の映画「がんばっていきまっしょい」の主題歌「オギヨ ディアラ」を歌った)。
三女の姉からイ サンウンを紹介して貰った僕は、このカフェに出入りしていた。ある日、スタッフや集まる若い子達から「日本の音楽のコンサートをやりたい、やろうよ」という話が出た。
日本の文化がまだ解放されてない頃だし、表立って宣伝する事も出来ないなぁと思いつつ、そのカフェが地下にあったこと、毎日沢山の若者達が文化を求めてこのカフェに訪れていたので、面白いかもなぁと思った僕の頭に浮かんだのは、ライオン丸の顔だった。
僕は日本にいるライオン丸に韓国でライブやりませんか?と連絡をとった。
1994年の夏の始まりの頃の話である。
終わりなき旅のはじまり12。終わり。