終わりなき旅のはじまり第2章⑧
2020年12月13日、僕は1人関西へと向かった。
奈良に住む姉夫婦の家に宿泊、認知症になった母親が入居してる奈良の老人ホームに行くのが目的だった。
せっかくだからと、奈良に向かう前に大阪に寄り、兼ねてから興味のあったギャラリーを目指した。
そのギャラリーは阿波座(現在は移転し今里)というところにあり、東京でさえ道に迷う方向音痴の僕は大阪駅で人に聞いて電車に乗り阿波座に向かった。
大阪は十数年前、大阪のホテルで四番目の姉が亡くなった時以来で、車窓から見える街並みにふとその時の事を思い出した。
阿波座駅に到着、ギャラリーホームページにある地図を見ながら、そしてまた道に迷う。ビルの入口で座りながらタバコを吸ってる若者に道を訪ね、ようやくギャラリーに辿り着いた。
BEATS BEST2020という展示が行われていた。
午後の隙間の時間帯だったからか、ギャラリーにはメンバーの方らしき人と、出展者の方らしき人が2名ほど(主宰の岡島さんはいらっしゃらなかった)いて、投票の説明を受けた。投票するなら1枚1枚しっかり見なきゃなと思い、ギャラリー内を何周も周り何回も何回も作品を見た。
東京だと、まるでカフェにいるかのような感覚でスッーと通り抜けてしまうような事もある中で、1枚1枚しっかり写真を見るという感覚があったので良い意味での徒労感と楽しさが同居したような感覚を満喫出来たのを覚えてる。
「写真を楽しむコト、写真に苦しむコト、
そして探し求めていた自分に出会う場所として
ビーツギャラリーはあります。まだ見ぬ未来への予感を求めて」
2001年に立ち上げられた大阪のBEATSGALLERY(ビーツギャラリー)に初めて行った時の話である。
翌年の2021年6月、街と人とのメンバー達と共に、僕らの夢でもあったトーテムポールフォトギャラリーで「街と人と-four identities-」を開催した。
トーテムポールフォトギャラリーでの開催にあたり、事前に関西出身の写真家の有元伸也さんが面接してくださるとのことで、ヤスダ氏と共に「僕らのようなものがトーテムで開催したいなんて言ったら殴られるんじゃないか」と真面目に思いながら、用意した企画書、プリントを持ってビビりながら面接に向かった。
面接で色んなお話をしてくださった有元さんは、人として最低限のこと、ここで展示したいという姿勢がまず1番大切というのが前提というお話から、写真に関することなど、色んな話をしてくださり、最後に、きちんとした方々で安心したという言葉を頂いて、ヤスダ氏と共にホッとしたのを覚えてる。
夢でもあったトーテムポールフォトギャラリーでの展示のあと、有元さんの「皆さんの気概がもたらした結果」という一言を僕は今でも忘れない。
とても嬉しかったのである。
2021年8月、その年の冬に新宿画廊での個展にフラッと遊びに行った時に初めてお会いしたパイソン中村さんが立ち上げたギャラリー305リニューアル展「RESTART」に参加した。
パイソン中村さんと初めてお会いした新宿画廊、展示された写真の1枚1枚を眺めては佇む僕を見て、パイソン中村さんが話しかけてくれたのだが、元々繋がりのあったヤスダ氏のことなので話が進み、その人柄や芯のある考えに魅了されたのを覚えている。
以後何回か展示させてもらったのだが、その人柄がもたらす雰囲気からか、305で展示する際は、プライベートな写真が自然と多くなっていった。
この頃、次回の「街と人と」は305でやろうという話が出始め、2022年2月、「街と人と Hello Osaka」が305で開催された。
関西での初の「街と人と」の開催だった。
2021年12月、Twitterでたまたま見かけたGallery&Darkroom LimeLightの「モノクロベスト2021」にメールにて応募した。主宰である兒嶌さんから間もなくして返信が来て、その後何度かやり取りした後、電話でお話する機会を頂いた。お話してるうちに、有元さんのご後輩でおられること、共通の知人が数多くライムライトで出展されてることなど、そこから生まれる繋がりに不思議と驚いたり感じたりした。
「街と人と」を立ち上げたのは、2016年。
ヤスダイサオ氏と好きが高じて始めたもので、
当時は僕らには「好きだから」の
それしかなかったのだが、
始めていくうちに人と人の繋がりで、
広がりまた生まれていった。
2022年6月21日〜2022年6月26日
街と人とThe Final 写真(愛)空間
-Love the photography-
を開催致します。