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夜半の雨|プロローグ(1)


ビルの影が西に長く伸び
建物の隙間から日が完全に昇りきれない
午前七時十五分。

夏物のシャツが少し肌寒いのか
はたまた涼しいのか。

昨夜よべの雨がアスファルトを
ところどころ湿らせ
雨の匂いが僅かに鼻の奥、
ツンと刺さる。

足速に通勤する人々の
伏し目がちなその目線は
湿った足元や手元のスマホに集中し
すれ違った人がどんな背格好していたかなんて
記憶にも残らない。

いつも通りの時間
いつも通りの混雑具合でバス停に着く。

前に並んでいた女性のスマホが鳴り
無造作に鞄を漁る。
ぶつかりそうになったのを間一髪で避け
何事も無かったように
体制を整える。

それぞれの人生が交わる事もなく
淡々と流れていく
少し晴れ間が覗いた朝のバス停。


毎日毎日繰り返す
操り人形のような退屈な感情の日々。


まるで逃げ場を無くすかのよう
椅子の背に手を置いては
開口一番に聞いてきた。

「今月の目標はどうだね?」

「今のところ三件ですが
 あと二件がなかなか苦戦ですね」

「そうか、高木たかぎさんのところには
 もう行ったか?」

「高木社長のところも伺ったのですが
 そうですね。もう一度行ってみます」

上司の顔色をうかがいながら
無難な会話を並べ愛想笑い。

仕事も付き合いも
必要以上の力を発揮しないのは
良くも悪くも目を付けられないようにする為。

必要以上に期待され
勝手に失望されたりなんて迷惑な話だ。

部下に声をかけ
一仕事終えたかのように
満足気な部長は
次のターゲットへ向かった。

笹原ささはら、あと二件だって?
 よくこんな無謀な目標を三件もやりこなしたな」

「たまたまですよ」

「はは。いいねぇ、俺にも一件分けてよ」

麻生あそうさんあと何件です?」

「あと一」

「俺より進んでるじゃないですか」

あはは。と笑いながら俺の肩をポンと
叩いて行ったのは一回り年上の直属の上司
住宅営業一課課長の麻生啓丞けいすけ

住宅営業といっても家を売る不動産ではなく
建築材料や住宅設備機器をハウスメーカーや
工務店などに営業する側で
一課は既存先との取引が主となる。

今月の目標は
新商品の契約数ではなく
発注の際に使用する器械の営業で
これが正直、既存のタイプから
買い換えるメリットを感じない
上の付き合いの都合で課された
なんとも生産性の感じない目標だった。

困った時の高木さんと言われるほどの
目新しいものが好きで
雅量に富む高木社長ですら
さすがにこれは首を縦に振ってくれなかった。

達成した三件は
元々器械を導入していなかった二件と
たまたま事業所を増やすところの一件で
買い替えではなく新規の購入だった。

高木社長には何度かお願いすれば
「仕方がないなぁ」
と購入してくれるだろうが
それは最後、
いざという時に取っておこうという考え。

今回のこれはノルマというより目標で
売れなくてもペナルティが
発生するわけではないが
達成件数がボードに公表されるため
良くも悪くも目立たなく
小言も言われないように
三つぐらいがちょうどいいだろうと思っていた。


次回はこちら


夜半の雨|第一話 はこちらから



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