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【短編小説】本音雨


短編小説
 『本音雨』 
  黒木じゅん 

______


きっとそうだ。
あの雨は、私たちが「いい大人だから」と
吐き出せなかった感情だーーー


「写真撮ろうか」
帰りの支度をしていると娘が私達を呼び止めた。

「ほら、親子写真。みんな、おばあちゃんと並んで」

写真なんて写り方も忘れるくらい、しばらくだった。

それは兄と妹も同じようで
座椅子に掛ける母の隣にぎこちなく並ぶ。


父が亡くなって八年。
拡大家族世代に建てられた広すぎるこの家に
最後の一人として残こされたのは母だった。

生活のクオリティの低下を見かねた
社会福祉士の勧めもあり
ついに施設に入所することになった。

施設に入所しても母が生きてる限り
この家は残しておくが
人が住むのは今日で最後。

兄と妹、そして私の娘も一緒に
明日の「門出」の準備をしていた。


薄情者なのかもしれないが
正直、感慨深くなる暇なんてなかった。

兄妹の中で一番近くに住んでいる
という理由だけで
私が入居先を探すことになったものの
施設だなんてどこで探せばいいのかも
分からなかった。

役所を訪ねて紹介を受けるも
施設の種類によって入れる要件や
サービスの内容も違うだなんて知りもせず
表と見比べては睨めっこした。

条件に合う場所に電話しても
なかなか空いてる場所が見つからない。

そこさえクリアすれば
ポンと決まると思っていた私は
まさか一軒一軒しらみ潰しにあたるなんて
思いもよらなかった。

やっと見つけた施設で体験入所させるも
相性が悪かったらしく母は強く拒絶した。

せっかく探したのに、
と努力までも否定されたような気分になり

「何よ。一人で暮らせないのに」

とつい嫌味を言ってしまった。

しかし、嫌がるような場所に母を預けるなんて
こちらとしてもお断りだ。

母がこれから死ぬまで生きる場所だ。
それが生き地獄だなんで流石に酷すぎる。

だったら気に入る場所が空くまで
もう少し入居自体を待ってもいいのでは。
と思ったが
入所を勧めた社会福祉士の顔が浮かんだ。

「あそこの家族は、
 足腰の弱った高齢の親を面倒も見ずに、
 施設にも入れてあげないなんて......」

そう思われるんだろうと思うと気持ちが焦った。

そうして再び必死に探した施設に
母を体験入所させると
今度はすんなりと納得してくれた。

もしかしたら
母も疲れてたのかもしれない。
一人で暮らすことに。

決まってからは更にドタバタだった。

契約するために一人じゃまともに
歩けない母を連れ出しては銀行口座を開設し
何枚もの契約書にサインをした。

引越しの準備や事務手続きに追われて
栄養ドリンクと共に感情を飲み込んだ。

家族だからこそ感情に支配されないように
淡々と決めなければ進まない。
これは父の葬儀の時に学んだ。


「ねぇ。もうちょっと笑うとかできないの?」
娘がスマホの画面から、私達に視線を移した。

ごめんごめん、と笑うと
ゴゴゴと低音が響いた。

その轟音に目をやると、窓の外は灰色に染まり
瞬く間に雨礫あめつぶてがバチバチと振りかぶってきた。

四方を囲むような強烈な雨音に一瞬
呼吸が止まる。

「窓閉めなきゃ」と立ち上がった妹に
ハッと我にかえり私も縁側に急ぐ。

軒先の化粧くさりが
雨により大きく揺さぶられていた。

「あ、洗濯物!」

帰る前に取り込もうとして
干していたタオルの存在に思い出す。

「俺が取ってくるよ」と小走りで行く兄を
妹とを窓越しに見守る。

大きなタオルの影に小さなタオルもかけてあったが
せっかちな兄は案の定、その存在に気づかずに
大きなタオルだけを引っ張って戻ってきた。

「ねぇ! まだあるって! 戻って!」

窓を開けては妹と指さしながら訴えるも
雨音にかき消された声は兄まで届かずに
「なに?」と軒先まで戻ってきた。

「だーかーらー、まだタオルあるって言ってんじゃん!」
「早く行ってきて!!」

えぇ、と落胆した表情を見せてたものの
私たちの気迫に押された兄は
濡れないように抱えてきたタイルを
今度は自分が濡れないように被り
土砂降りの中引き返した。

何故タオルを置いていかずに濡らすのか。
俺が濡れたってどうせタオルで拭くだろう。

やんや騒がしく言い合う玄関で
久しぶりに兄妹を感じた。

大人のふりしたぎこちない笑顔ではなく
この賑やかな家で育った感情いっぱいの笑顔。

久しぶりに酸素を目一杯吸った気がした。

昂った感情のまま三人で居間に戻ると
母と娘が待ってましたと言わんばかりの
笑顔で迎えてくれた。

「聞いてよ、お兄ちゃんがねー」

最後に母にも家族を感じてほしくて
兄妹のくだらない言い合いを披露する。


帰るころには雨は素知らぬ顔で去っており
娘が運転する車で実家を出発した。

いつもは「出なくて大丈夫」と断っていた見送りも
今日は母の思うように見送ってもらった。

兄と妹に手を借りては
見えなくなるまで手を振る姿を
バックミラー越しに見た。

「今日は手伝ってくれて、ありがとうね」

運転する娘に伝えると
何か考えるように一拍置いては
微笑みながらこたえた。

「雨のおかげだったね」


Instagram : jun_kuroki_



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