ウズベキスタン ブハラ《12》外出自粛でも旅の気分
まだここがソ連だったころの1989年、中央アジアのオアシス都市ブハラを訪れました。ウズベキスタンの歳です。ブハラはサマルカンドやヒワなどと同じくハン国でしたが、20世紀初頭のロシア革命に連動して首長制が廃されてソビエト連邦内のウズベク共和国の一部になりました。そんな、むなしい共産主義の悪夢が70年くらい続いた最終局面のころにこの街を歩きました。
中央アジアの砂漠の中にあるオアシス都市ですが、サマルカンドほど大都市ではなく、土色の建物が多くを占め、王宮やモスクに青タイルの装飾が見えます。写真はタキと呼ばれるバザールです。ほら、イスタンブールのグランドバザールって聞いたことあるかもしれませんね。あれと基本的には同じです。まあ規模はかなり違いますが。何百年もの間、砂漠を越えてきた隊商がここで売買を行ったのでしょうか。
だから20世紀の何十年間か共産主義下にあったといっても、人々の暮らし方はあまり大きく変わらなかったのかもしれません。生産力向上や技術信仰と悪しき人間中心によってただでさえ華奢な自然を傷めた、ということはあった気がします。ウズベキスタン西方にある巨大な湖ウラル海は、その間に流れ込む川の水を一方的に灌漑に取られてしまいました。もはや湖とは言えないくらいに干上がり、深刻な環境破壊を残しています。
実はブハラを訪れた1989年はソ連崩壊の直前のころでした。そして、天安門事件がまさにこのとき進行していました。東側のソ連でそんな事件は報道されていなかったようで、飛行機で新潟に着いて初めて事件を知ったのでした。
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