PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~(9)
写真はニュージーランドの地元書店チェーンのもの。これはオークランドの店です。ウェリントンではなくてすみません。
2005年暮れ、去年と同じ日にウェリントン空港着。おじいさんは今回も迎えに来てくれた。といっても今年一時期入院していたから、心配していたのだ。さすがに運転はオークランドから帰省中のアーニーに代わってもらっていた。しかし杖を持っているとはいえ、あまり頼らずにすたすたと歩いてきた姿に、「この年齢で快復するなんてすごいな」と思い、安心した。
この2年前、おじいさんに迎えに来てもらい、車で空港を出た後にアクシデントがあったのを思い出した。市内に入るビクトリアトンネルでエンジンの音がしなくなったのだ。元タクシードライバーの経験からすぐに気が付き、下りを利用し、そのままガソリンスタンドに飛び込んだのだった。この後レッカー車で移動した。貴重な体験である。88歳にして無事トラブルを回避、改めてスーパーおじいさんだと思った。ちなみに電気系統の故障だったようで、無理せずレッカー車で移動したのも正解だった。
家に着くと、自分の家でもないのに、居候の身分で図々しいが、ほっとするのである。今回はやはりおじいさんが元気に家に戻ってきたことが、何よりうれしかった。ただし、腎臓の働きが弱っているとのことで、尿の量を毎日チェックしていた。ちょっと辛そうだったけど、今まで通りソファでテレビをのんびり見て、昼寝して、時にガレージで木工にいそしみ、食事が終われば食器を洗い、終わったときにRight.(よし)と言う。そして、新聞のクロスワードパズルを解き切る。今までの姿に変わりはなかった。心配しただけに、変わりのないことがうれしかった。
クリスマスの日は家族で集まり、今まで通りクリスマスを祝うことができた。持ち寄った料理を食べるのも今まで通り、ラム酒のコーラ割りを一杯飲むのも変わらない。私はそれがそんなにおいしいのかな、と思いつつも試したことはない。
滞在中、血液検査のため、一度訪問看護師が来た。フィリピン出身の、明るく気さくな人柄がすぐにわかる女性だった。日本もこのように検査して回ることができたら、老人が病院に通う回数が減らせ、便利ではないだろか。おじいさんは、検査の時はよくしゃべっていたから、この人が来るのが楽しみであったようだ。
私が帰国した後、金婚を家族で祝ったと手紙が来て、順調に快復していると思ったが、その2月、おじいさんは天に召された。90歳、介護されるどころか、おばあさんのために家事もいっぱい手伝っていた。うらやましささえ感じる。そんな生き方が自分はできるだろうか。
長女のサーシャさんによると、最後の言葉はMom, mom.だったそうだ。どこまでもおばあさんを愛していた。見事だ。
自分はおじいさんの真似はできない。でも、そろそろラムのコーラ割は試してみようかな。
日々の暮らしの中にこそ幸せがある、それをおじいさんは教えてくれた。感謝しかない。