PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~(11)
写真は、ウェリントンから北に行ったフォックストンという町で偶然撮ったスズメ。こちらのスズメは人との距離が近い気がする。
「最近、よく眠れないんだよ。」
おばあさんからくる手紙は、たいてい家族に近況を書いたもので、孫が学校で先生にほめられたとか、身近な話題が中心で、自分のことは「元気だ」ぐらいしか書いていなかった。しかしおじいさんが天に召された今、書かずにいられなかったのだろう。
「まいったな。どう返事すればいいのだろう」と考えつつ、二人の寝室を思い出した。もちろん中に入ったことはないが、開いたドアから見えたのは、大きなベッド。50年、隣にはおじいさんがいた。それが、ぽかんと一人分空いている、そんな様子を想像すると余計に書くことが浮かばない。
自分は寝つきが良くないので、ラジオを聴き、考え事をしないようにして日ごろ寝ている。おばあさんの寝室からも、ラジオの音がしていたので、それを思い出し、とりあえず、「ラジオ聴きながら、自分は寝てますよ」と書いてみたけど、役に立ったかどうか。
2006年のクリスマス、私はウェリントン空港にまた来た。しかしおじいさんの迎えはないので、シャトルバス(乗り合いタクシーで、他の人が乗ると、近い順に寄っていく。時間はかかるかもしれないが、地域ごとに定額で安心なのです)に行先の街を告げ、おばあさんのもとに向かった。
変わらない笑顔で自分を迎えてくれた。少し安心。しかし、どことなく部屋の手入れが行き届いてない。そしてリビングの天井にはたばこの煙が、薄雲のように漂っていた。「克服できていないな」と感じた。
孫を預かることもあったので、おばあさんがたばこを吸うのは食後の一本が通例だった。でも今は、たばこが増えている。なんとなく落ち着かないのだろう。
言い方はよくないが、夫が亡くなると、肩の荷が下りたような気持ちになるタイプの人も時にいるけど、おばあさんはおじいさんを愛し、しかも頼っていた。「新生活だ」という気持ちには到底なれなかったようだ。
子供6人が育った家に、今は一人。子供たちがちょうどいいサイズの家に移ったらどうか、と提案しているのだが、おじいさんの建てた家にいたい、と言ってきかない。長女のサーシャさんからそう聞いた。困ったなあ。
今回の訪問では、私がおじいさんの葬儀には参列できなかったので、お墓を案内してほしいとリクエストしていた。日差しが気持ちいい、芝生の広がった墓地、そこにいろいろな思いの墓石が並び、そんな一角に半分名前を彫る部分が残った墓石があった。
「葬儀社の人はいい人だったわ。この墓石もディスカウントしてくれたのよ」と明るく語ったかと思うと、連れて行ってくれた長女の肩を借りて泣いていた。半年以上経ったが、いろいろ思い出して悲しくなっているようだった。
家のことは後に、次男のデイヴィッドが、ちょくちょく泊りに来て、手伝うことになるのだけど、たばこの量がやはり気になった。早く気持ちが切り替わらないかな。
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