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夫は殺したい存在じゃなく死んでほしい存在

私が夫を殺してしまうと、警察に捕まって牢屋に入らなければいけないので、娘たちと暮らせなくなるから、夫は絶対に殺さない。

最愛の娘2人に、死んでしまった父と父を殺した母を持つ不幸な人生を歩ませたりしない。
従って、夫にはごくごく自然に、他力本願的に、死んでほしい。

まるで自分の分身の様に私たち夫婦は互いに苛々し、まるで鏡のように互い不機嫌を隠さない。

夫婦2人、田舎街で喫茶店を開いた。
映画みたいに。
24時間365日私たちはパートナーになった。
出会いが印刷系の会社の営業部で仕事仲間だった私たちは、仕事場で共に行動する事に違和感は無かった。
お客さんが来ない日はアイデアを出し合って、定休日には勉強を兼ねて色んなお店を回った。
やがてお店は成長し、繁盛し、子どもにも恵まれて、そして私たちは忙しくなってしまった。

忙しいというのは、重力みたいなものだ。
みんな忙しい。この世で忙しくない人なんていないんじゃないだろうか。みんなとにかく、仕事がある人も無い人も、何かに追われて忙しい。
気持ちに隙間が無い。
でも、重力みたいに常に纏い、それを言い訳に出来なくなってしまっている。

私が洗濯物を干している時に夫がソファでテレビを見ていると殺意を覚えるようになった。
夫は仕事中に、漫画でしか見たことないような言葉で私を罵倒するようになった。
酷い有り様だな。

誰にも話さなかった。
地元を離れて、夫婦で店を経営し、子育てをし、私には誰かと話す時間など無かった。
大体、同じ境遇の人が滅多にいないので分かってもらえる気がしなかった。
あと、アドバイスをもらう心のゆとりが無かったので誰かから「こうするといいよ」と言われた所で自分に滲みないのも分かっていた。
悲しい奴だな、私。

揺るぎないのは、可愛い可愛い娘2人にとって父親は夫であるという事。
沢山のお客さんに愛されているお店を一緒に営めるのは夫であるという事。
心はすっかり砂漠みたいだったけど、私はそもそもオアシスを探す気力が無かった。

不思議な事があるもので、夫の方は私の事をどうやら愛しているようだ。
まじか。
仕事中、どんなに酷い態度を取っていても、ケロッと忘れてしまう彼は、よく言うと表裏のない天真爛漫なタイプ。
ネチネチとした京女の私さえ、この脳みそから彼の暴言を消せば、夫婦の揉め事は長くは続かない。

結婚して15年。365日24時間ずっとパートナー。
手は繋がない。私の手は右が長女、左手が次女のものだ。それでも夫は私と手を繋ぎたいと言うし、私はその事に感謝している。
よくこんな私と手を繋ぎたいと思うもんだな、ありがとう、感心するよ。

仕事は欧米に出張しなきゃいけないくらい大きくなったし、テレビにも新聞にも小さくだけど取り上げてもらえるようになった。
夫は社長として取材を受ける事も増えた。
その時に起業のきっかけや、仕事のこだわり、将来の夢なんかを何度も何度も聞かれる。
またこの質問か、と横で聞いていて辟易する時もある。
夫は取材を受けるときにいつも「僕は」ではなく、「僕たちは」と答えている。
私は密かに、これこそが最後の砦のように感じている。
彼が「僕は」で答え始めたら終わりへのスタートラインだと思っている。
逆に彼が「僕たちは」と答え続ける内は、なんとかやっていけると信じている。
私の心の中だけて、ひっそりとそう感じている。
内緒やで。

死んでくれよ、夫。
私より先に。
娘たちが貴方の下の世話に苦労しないように。
自然の摂理通りに。暖かい晴れた日に。
仕方がないから私が横で、最後の息が無くなるのを満面の笑みで見ていてあげるから。
皺くちゃのお婆ちゃんになっている私が。


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