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ここ最近あったできごとを少し書き連ねようと思います。
"時に支援を入れすぎると災いになる"
そんなことを痛感した。
円満な関係値を気付けていた、友人と家族を巻き込んで疎遠になるという出来事がありました。
人のためを思って出た行動が深入りしすぎたことで、友達の家族に傷をつけるという結末になってしまった。
最初は、軽く相談に乗っている形で、相談相手の"心理的安全性".を保ちたいと思い、行動してきたが、男女関係のもつれ、いわゆる彼女の本質に疑問を抱いて、そこを掘り下げようとし、たくさんのアセスメントを見立てた結果、その友達の彼女を傷つける、そんなことを招いた。
パーソナルな部分や他人に深入りするという行動の過ちを犯してしまったなと思った。
過去は今が変われば変えられる
が今を変えられないでいることがもどかしかったし、正直、彼女よりも友達のマインドや意思決定を自らできていないという状態に焦りを感じていた。
意思決定させるための支援をすべきところをいつのまにか、彼女のマインドを変えようとしたり、そこで対話したりしたことで縺れた。
ただ、私のやりとりを見られてるところに疑問は隠せないです。
根本的に考えると思考を張り巡らせ、日々の生活の中で困惑が生まれていた、私の友達は、
意思決定できない状態であるから、何が正しいと言えたものではないのだと思う。
今、自分がやっていることもやられていることも何もかもが善悪がつかず訳がわからなくなってるのだと思う。
何が正しいかはないが、
人は、自分の意思で動けなくなるということは、何らかの障壁が生まれ、その障壁により、他人に意思を委ねるという行動を無自覚に取ってしまうのだと思う。
パニック状態やうつ状態になっていると、
自分の中の正解は見えなくなるものなのだとも捉えられる。
とある日、言いづらそうに突然電話をかけてきた。
「彼女のパーソナルな部分の話をしないでほしい」という内容だった。それは、やったことは事実。それを認めることもできます。そこは、申し訳ないところがあると思います。
周りにも共有などはしないというより、できないです。
プライベートな部分は知るべきではなかったし、一言声をかけられていればよかったと今は考えます。同時に学びにもなりました。
また、その電話越しに私の妻も現実を突きつけるために、キレ散らかし、「2人の問題に他人を巻き込まないでよ、もう連絡してこないで、あんたたち大人でしょ」と言い放った。
この言葉は、まちがってはないが、同時に突き放す行動にも捉えられる。ただ、妻は「自分次第だから、道を自ら切り開けるよ」ということを伝えたかったのだと思う。
そんな出来事があってから、2日後の今日、友達は整理をする意味か私たちのことが嫌になったのか、よくわからないが、意思決定をしたことが手にとってわかった。
諸々のSNSのフォローを外すという、自分なりにケジメをつける形で意思決定をした。
意思決定できたことは、素晴らしいし、前を向いたと思ってます。
今、友達が迷路になっている状態で精一杯の意思決定だったんだろう。
また、会えるといいと思う。
友達を失うって簡単なことだなーとがっかりした。
ここ数年生きていて、人の信用って、一瞬にしてなくせるなーと思うことばかりが起きてる。
不倫して周りに迷惑をかける、借金を背負って周りを振り回すなどが去年くらいのこの時期に多く起きる。1〜3月は私にとって、そういう月なのかもと思う。
一生なんて、家族も友達も保証されない。
人は孤独だということ。
その孤独の中で選択を間違えないために、今目の前にあるものを必死に守ること。
それが人生の最善を尽くすということだとすれば、失うことの怖さは何もないなとも感じました。
失って当然だし、失わないのは奇跡なのかもと。
結果、大人になって知る人よりも、中学や高校の友達などがとても繋がっていられる1番の人かもと。
それ以外は仕事としてのお付き合いのほうが楽なのかなーとも思ったりしました。
40歳になって、情で付き合っていくことのしんどさや少し虚しさを感じた。
今週は、そんな気持ちを胸に高校の友達と会う。浴びるように酒を呑み他愛もない話をして楽しみたい。
今は、それを考えよう。
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