「千利休の死の謎に迫る」【歴史奉行通信】第十号
こんばんは。
伊東潤メールマガジン「第十回 歴史奉行通信」をお届けいたします。
〓〓今週のTopic〓〓
1.エッセイ「千利休の死の謎に迫る」
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1.エッセイ
「『天下人の茶』執筆にあたって
―千利休の死の謎に迫る―」
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さて前回は、地方紙での連載が開始された『茶聖』について書きましたが、
引き続き、「利休と茶の湯」についての記事をお送りしたいと思います。
今回お送りするのは
2015年12月に刊行された拙著『天下人の茶』
執筆にあたってのエッセイとなります。
このエッセイは、
昨日1月16日に宮帯出版社から刊行された
『ビジュアル版戦国武将茶人』という
武将茶人の事典本に寄稿したエッセイの短縮版(約三分の一)です。
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「『天下人の茶』執筆にあたって
―千利休の死の謎に迫る―」
戦国時代を扱う歴史小説家は、
いつかは千利休に挑まねばならない、
と私は思ってきた。
それだけ戦国時代において茶の湯の存在は大きく、
信長、秀吉、家康という三代にわたる天下人の政治を
動かしてきたと言えるからだ。
本稿では、私が『天下人の茶』(2015/12刊)
という作品を上梓するまでの話をしていきたいと思う。
利休には、「利休七哲」と呼ばれる弟子たちがいる。
この七哲は武家茶人だけに限られ、
最も利休の謦咳に接していたと思われる直弟子の
山上宗二や息子の千道安や養子の少庵は入らない。
七哲には諸説あるが、蒲生氏郷、細川三斎(忠興)、
高山右近、芝山監物、瀬田掃部、牧村兵部、古田織部
の七人というのが、ほぼ定説になっている。
七哲に関する関連書籍や史料を読み、そこで知ったのは、
七哲には不可解な死を遂げた人物が多いことである。
それで何人かをピックアップし、
それぞれの視点から利休に迫ることにした。
個々の内容に移る前に、『天下人の茶』の構成を見ていくことにしよう。
『奇道なり兵部』で取り上げた牧村兵部は、
古田織部に先駆けて歪み茶碗を初めて茶席に用いた武将であり、
その芸術センスは七哲の中でも飛び抜けている。
兵部は自らの侘を見出すべく、
苦労に苦労を重ねた末に歪み茶碗というコンセプトにたどり着いたのだろう。
そして彼は、自ら生み出した歪み茶碗によって殺されるというストーリーを思い付いた。
続いて『過ぎたる人』の瀬田掃部だが、
彼の場合、豊臣秀吉の甥の関白秀次に近侍し、
いわゆる「秀次事件」に連座して死罪となった。
宿老の一人とはいえ、掃部は大身ではなく、
おそらく政治的なことには関与していなかったと思われる。
そんな掃部が、秀吉から死罪を申し渡されるというのは実に不可解である。
そこに何らかの謎があると思い、彼を視点人物の一人に選んだ。
続いて『ひつみて候』の古田織部である。
織部の死の謎を解くことは、
利休~織部~小堀遠州と連なる「内なる世界」の支配者の系譜を
はっきりさせることであり、ここに、この連作長編集の核心がある。
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