『茶聖』発売特集 今一度千利休に挑む背景 【歴史奉行通信】第六十号
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1. はじめにーー作家としての「キャリア高度」
が決まる覚悟で臨む大作『茶聖』
さて季節柄、今回は皆さんに
利休の点てた熱い茶を飲み、
寒い冬を乗り切っていただきたいと
思っています。
いよいよ大作『茶聖』の登場です。
本作は私のキャリアを
決定づける作品と位置付け、
精魂込めて執筆と推敲をしてきました。
その甲斐あって、
仕上がりには自信があります。
つまりこの作品によって、
私の作家としての「キャリア高度」が
決まるという覚悟でいます。
「キャリア高度」とは
私がネーミングしたものですが、
森村誠一氏が『作家とは何か』という
新書で書いていたことで、
「作家はデビューから10年で
その位置付けが決まり、
それ以上の高度(地位)は得られない」
というものです。
私の場合、
専業になってから10年目なので、
ぎりぎりで当てはまるわけです。
今回は本作について、
インタビュー形式で語っていきたいと思っています。
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2. インタビュー前編ーー本作を書こうと思ったきっかけ/
山本兼一さんとのエピソード/安土桃山時代における茶の湯の影響の大きさ
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Q :
本作を書こうと思った
きっかけは何ですか。
伊東:
戦国時代を扱う歴史小説家は、
いつかは千利休に挑まねばならないと
思ってきました。
それだけ戦国時代において
茶の湯の存在は大きく、
信長、秀吉、家康という三代にわたる
天下人の政治を陰で動かしてきたと言っても過言ではないでしょう。
そうした思いから2015年に発表したのが、
連作短編集の『天下人の茶』です。
ところがこの作品は、
利休の弟子たちの視点から利休を描いたこともあり、ネットでの反応が真っ二つに分かれました。
大絶賛してくれる人たちと
「よく分からない」という人たちです
(直木賞候補まで行ったにもかかわらず)。
というのも『天下人の茶』は
「すべてを語り尽くさない」ことを自らに課し、
過度な説明部分を大胆に切り落としました。
とくに利休の思惑や感情部分には、
あえて立ち入らないようにしました。
つまり弟子たちが「推し量る」という
方法を取ったので、利休の心中が
分かりにくくなったのだと思います。
そこで文庫化に際して改稿を施し、
余情(「表現の外に感じられる趣」)で
忖度してもらっていた部分に
多少の説明を加えました。
すると文庫版では、
否定的なレビューが消え失せました。
しかし連作短編集の上、
弟子たちの視点ということもあり、
利休の意図を完全に描き切ったとは言えませんでした。
そこで、あらためて
「利休視点で書いてみよう」と思ったのが
本作になります。
ただしすべてのパートが
『天下人の茶』と同期が取れているか
と言うとそうでもなく、
本作独自の解釈で描いたパートも多々あります。
つまり独立した作品としてお楽しみ下さい。
Q :
『天下人の茶』を執筆した動機には、
故山本兼一氏の『利休にたずねよ』の
影響も大きかったと聞いていますが。
伊東:
『利休にたずねよ』は不朽の名作だと思います。
小説は三度も読み、
映画版のDVDも持っています。
それほど『利休にたずねよ』は好きな作品でした。
山本さんとは一度だけ2013年の4月に
文春主催の座談会でお会いしましたが、
その時に大ファンであることを告げたところ、
初めは「ああ、そうなの」という感じでした。
褒められ慣れていたんでしょうね。
そこで「文章のリズムを整えたい時は、
山本さんの作品を読みます」と言って、
『火天の城』の美しい一節を暗唱しました。
すると山本さんは驚き、
とてもうれしそうな顔をしていました。
ところが山本さんは同年10月に入院し、
翌年の2月、訃報に接しました。
これからお会いできる機会が多くなる
と思っていたのに、とても残念でした。
ところが2019年の11月、
突然カドカワで担当の変更があり、
なんと山本さんの息子さんが
私の担当になったのです。
冥府の山本さんが引き合わせてくれたのかもしれません。
話は戻りますが、
この座談会は四年四回にわたって行われ、
2013年の4月に行われた第一回にだけ
山本さんは参加されたのですが
(第二回以降は、葉室麟・安部龍太郎・佐藤賢一・私)、
京都で行われた第四回は、
皆で山本さんの墓所に行き、
線香を手向けてきました。
その夜の懇親会は、山本さんのお気に入りだった
古い屋敷を改造した店で行われたのですが、
山本さんの奥様も来られ、
大いに盛り上がりました。
だいたい葉室さんと安倍さんが語り、
私が相槌を打つというパターンだったのですが、
黙って話を聞いていた佐藤君が突然
「今、山本さんが来られました。そこを通りました」
と言って懇親会の場から見える庭を指差したのです。
すると奥様も
「私もそれを感じました。
今は肩に乗っている気がします。
しっかり連れて帰ります」
と仰せになったのです。
霊感のない私は何も感じなかったのですが、
葉室さんと安部さんもきょとんとしていました。
その時のメンバーの一人だった
葉室さんも鬼籍に入った今、
平成を代表する歴史小説家たちの
座談会が開催できて、
本当によかったと思っています。
座談会の模様は『合戦の日本史』(文春文庫)にまとめられていますので、
ぜひお読み下さい。
『合戦の日本史』(文春文庫)
http://fcew36.asp.cuenote.jp/c/bPsFaafOymrN6xbE
Q :
本作を読むと、安土桃山時代における
茶の湯の影響の大きさが分かりますね。
伊東:
なぜ茶の湯が爆発的に流行したのか。
単に喫茶や密談場所として便利だったとか、
茶道具の美術的価値を見出しただけで、
あれほどの大ブームは起こりません。
誰かが意図的に流行らせようとしたから、
あれだけ流行ったんです。
それが誰かは明らかです。
天皇には「禁中茶会」、
下々には「北野大茶湯」のような一大イベントを主催した
秀吉と、それらを演出した利休です。
ではなぜ、二人は
茶の湯をこれだけ普及させようとしたのか。
それを描いたのが本作です。
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3. インタビュー後編ーー脇を彩るキャラクター/
伊東潤にとっての利休とは/読者の皆様へメッセージなど
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Q :
『天下人の茶』では本能寺の変の
黒幕を利休としていますが、
本作では、その部分を変えていますね。
伊東:
『天下人の茶』は本能寺の変の真相を
描いたものではありませんし、
小説であるにもかかわらず
「伊東が利休黒幕説を唱えている」といったことを、ネット上で頻繁に言われて不本意でした。
利休黒幕説を裏付ける史料なんてないし、
傍証としても変以後、
利休が台頭していったこと以外はありません。
どうして読者の多くが本能寺の変にこだわるのか、不思議でなりませんでした。
そのため『天下人の茶』の最も面白い部分が隠れてしまい、とても残念でした。
それゆえ『茶聖』では、あえて
「利休は本能寺の変にかかわっていない」
ことにしました。
Q :
本作では脇役のキャラクターもいいですね。
とくに丿貫(へちかん)と紹安が光っています。
伊東:
丿貫は実在の人物で、
記録では北野大茶湯で奇妙な茶席を用意し、
秀吉に気に入られたことで名が残りました。
茶の湯で世の中を静謐に導こうとする利休と、
己の境地を高めることだけに執着した
世捨て人・丿貫の対比を描きたかったのです。
紹安というのも興味を引かれる存在です。
実母が死に、利休が後妻を迎えることで
堺の実家に居辛くなった紹安は、
旅する茶人となったようです。
それが次第に利休の考えに共鳴し、
その跡を継ごうとします。
つまり千家そのものは弟の少庵に託し、
自らは利休の理想を引き継ごうとしたのです。
こうした紹安の心理描写は小説内のことですが、
彼の事績や行動からすると
全く否定できないことだと思います。
また秀吉の造形にも力を注ぎました。
秀吉というと陽気であけっぴろげな
人物のように思われがちですが、
そうした仮面の下には、
猜疑心と嫉妬心にまみれた人間臭い素顔が
隠れていたと思います。
しかし俗物だからといって、
アーティストやクリエイターの才能が
ないわけではありません。
無限の野心や欲心を抱えながらも、
秀吉には「美しいものを美しいと思える心」
があったのです。
それを証明する一つが黄金の茶室です。
秀吉は黄金の茶室を生み出した瞬間、
現世の支配者だけでなく
心の内の支配者にもなれると確信したのです。
本作では、そうした屈折した秀吉像を造形しましたが、
実像に近いものが描けたと自負しています。
Q :
伊東さんにとって利休とは何でしょう。
伊東:
歴史上、最大のプロデューサーにしてディレクターですね。
茶の湯を桃山文化最高の地位に押し上げ、
茶道具バブルを演出したプロデューサーとしての手腕と、スポンサーの秀吉と手を組み、
「禁中茶会」や「北野大茶湯」といった
様々なイベントを演出したディレクターとしての
手腕が際立っています。
戦国時代というと政治や軍事といった
表の世界に目が行きがちですが、
信長の懐に入り込み、
秀吉の傀儡子(くぐつし)となった利休こそ
戦国時代のフィクサーであり、
陰の天下人だったと思います。
また武将弟子たちを組織化し、
一大勢力を形成しようとした先見性も
忘れてはいけません。
今では軽視されがちですが、利休と弟子たちの絆は強く、
秀吉没後となれば一大勢力を成したことは
間違いないでしょう。
蒲生氏郷が奥州に飛ばされた原因も、
そこにあったのかもしれません。
では、なぜ利休は武将弟子たちを手なずけ、
軍事力まで手にしようとしたのでしょうか。
もちろん信長や秀吉のような天下人に
なりたかったわけではありません。
秀吉の死後まで見据え、軍事力を擁することで、
秀頼と家康の仲裁役になろうとしたのではないか、と私は思っています。
つまり静謐(平和)を維持するための
第三勢力の形成です。
Q :
本作のような芸術家を描く小説が増えています。
伊東さんも『天下人の茶』
そして『茶聖』と続きましたが、
今後、こうした芸術家を描く予定はありますか。
伊東:
四月から徳間書店の小説誌「読楽」誌上で
連載が始まる『修羅奔る夜』が、それにあたります。
この作品は、青森のねぶた祭りを舞台にした
ねぶた師たちの人間模様です。
徳間書店の担当から
「伊東さんの強みを現代ものに生かすとしたら、
題材は祭りだ!」という提案を受け、
まず、どこの「祭り」にしようかと思っていたのですが、
たまたま『囚われの山』
(六月に中央公論新社から刊行予定)の取材で
青森に行った折、
「ワラッセ」という「ねぶた祭り」の展示館に入り、女ねぶた師がいると知り、
突然ストーリーがわき上がってきたのです。
私が芸術家を描くのですから、
ちまちましたものよりも、
豪快なねぶたが合っていると思いました(笑)。
Q :
最後に一言ありましたらぜひ。
伊東:
歴史ファンの一部は史実重視で、
一次史料だけを神のごとく信奉しています。
しかしそれでは歴史に対する洞察力を養えません。
と言っても「史実を無視して想像の翼を伸ばせ」
ということではなく、
「一次史料を踏まえた上で、
傍証や状況証拠から蓋然性を探り出せ」
と言いたいのです。
一次史料に書かれたことだけを信奉していると思考が硬直化します。
だから時には二次史料に書かれていることでも検討し、自分なりの解釈を導き出すのです。
ただし「これが真実だ!」と決め付けてしまうと、
それはそれで問題なので、
小説という形式で世に問えばよいのです。
私の作品群は、こうした姿勢に貫かれています。
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