高嶋政伸 × 伊東潤『城をひとつ』刊行記念対談
「その場に連れていく」小説を
高嶋政伸(以下、高嶋)
「真田丸」で北条氏政を演じるにあたっては伊東先生の『戦国北条記』を読んで役の骨子を作る参考にさせていただきました。共鳴した文章を台本に書き写したり、傍線を引っ張ったりして。
伊東潤(以下、伊東)
ありがたいことです。高嶋さんの氏政は、ドラマの中で強烈な光を放っていて、本当に素晴らしかった。「真田丸」のおかげで歴史ファンや北条ファンの裾野も劇的に広がりましたし、大いに感謝しています。
高嶋
今度、先生が出される『城をひとつ』も面白くて一日で読んじゃいました。
伊東
それは嬉しい。これまでも、北条氏を題材にしてきましたが、『城をひとつ』は相当な変化球です。北条は武田や上杉と違い、主に外交と調略で版図を拡大してきた一族なので、敵陣営に潜入し、信用を得た上で攪乱して味方を有利に導くという、いわば潜入捜査官のような役割の人間がいたんじゃないかと思ったんです。そこから出発したのが、この作品です。気に入っていただけて何よりです。
高嶋
小田原城に現れた不敵な老人が城を取って見せると豪語する「城をひとつ」は好きですね。あとは最終話、北条をいかにして壊滅させるかを描いた「黄金の城」も印象的です。実際にこういう人物がいたんですか?
伊東
各話の舞台となる戦の大枠は史実通りですが、人物像や一つ一つのエピソードは創作です。『城をひとつ』は史実を押さえつつ、「こうだったとは証明できないが、こうでなかったとも証明できない」ギリギリの線を狙っているんですよ。
高嶋
そうなんですか。城攻めの描写もリアルでしたし、本当にこういう調略があったんじゃないかと思えました。
伊東
僕の小説では、読者を「その場に連れていく」ことを意識しています。合戦の最前線や調略の現場、様々な場面にお連れする。そういう意味では、一人で映像化作業をしているようなものですね。
高嶋
先生はどういうきっかけで作家になられたんですか?
伊東
ずっと外資系企業でサラリーマンをやっていたんですが、城めぐりが趣味になり、お城のホームページを作ろうと思ったのがきっかけです。城の紹介を書いているうちに文章が小説調になっていくんです。それで小説を書いてみたら楽しかった。最初の作品を書いたのが42歳で、今56歳ですから、まだまだですよ。
高嶋
やはり北条が一番お好きで?
伊東
僕は横浜生まれの横浜育ちで、城めぐりも北条氏の城から始めましたからね。それに僕のデビュー当時は、まだ北条氏の小説なんてあまりなかったので、まず北条を書いて自分の居場所を作り、コアなファン層を固めてから武田、上杉、徳川と領土を拡張していこうと思ったのです。生き延びるための戦略ですよ。
天守閣から見えたこと
高嶋
まさに戦国大名(笑)。北条家って面白いですよね。兄弟仲が良くて、裏切り者を一人も出していませんし。
伊東
高嶋さんも北条方を演じた細田善彦さん(氏直役)、山西惇さん(板部岡江雪斎役)と「北条会」を開いていらっしゃるとか。世の北条ファンは、その話に大喜びしていますよ。
高嶋
細田くんはウチにもよく遊びに来てくれて、いまだに「父上!」って呼ばれてます(笑)。北条家もこんな感じだったのかなと思ったりして。
伊東
北条氏は一族の結束が固かったのもそうですし、織田や豊臣、徳川の上を行く近代的で優れた統治機構を構築していましたからね。ワン・オブ・ゼムの戦国大名と思われがちですけど、非常に独自性がありました。
高嶋
実は先生とお目にかかるので、先日、初めて小田原城に行ってきたんですよ。「真田丸」撮影時には機会がなくて行けずじまいでしたから。天守閣に上ったらたくさんお客さんがいらしたんですが、誰も僕に気づきませんでしたねえ。年配の女性がひとり、「役者さん……だっけ?」っていう顔をなさったんですけど、結局スルー。「俺、北条氏政やったんだけど!」って心の中で叫びました(笑)。
伊東
それは驚きです。城主なのに(笑)。
高嶋
でも実際に天守閣に立ってみたら、想像していたのとだいぶ印象がちがいました。海があんなに近く見えるとは思わなかったな。これじゃあ、小田原攻めの際には敵の船が迫って見えて震え上がったんじゃないかと。
伊東
脇坂や長宗我部の水軍は、小田原の海上を完全に封鎖していましたからね。
高嶋
僕の演じた氏政は、その海を見て平気で「籠城戦でいけるぞ」と言うんですが、演じる前にあの景色を見ていたら自信を持って「いけるぞ」とは言えなかったかもしれません。
大河ドラマの特殊な役作り
伊東
「真田丸」では、氏政の「汁かけ飯」もすっかり有名になりましたね。父の氏康が飯に何度も汁をかける氏政を見て、「一度でかける汁の量も計れない奴に国を治められるか」と嘆く有名なエピソードですが、ご存じでしたか。
高嶋
あのエピソードは史実ではないという説もありますね。
伊東
史実云々よりもそこに氏政の人物像が凝縮されていて、これを使ったのは、さすが三谷幸喜さんだと思いました。
高嶋
そうですね。でも、演技する上で疑問や迷いが生じたときは史実に立ち返ることが多いんです。先生の本も読み返すたびに全く違って読めます。文章や史実が生き生きと立ち上がってくるというか。
伊東
役者さんは、具体的にどんな準備をしてから撮影に臨むんですか?
高嶋
大河ドラマは役作りが特殊です。時間経過も年齢も幅広く演じなきゃいけないので一つのパターンで演じると視聴者に飽きられてしまう。青年期、中年期、壮年期、老年期の四段階を作るようシフトチェンジしていきます。
伊東
一年もの長丁場ですからね。
高嶋
怖いのは年末に放送する総集編です。上手に老けていかないと、そこでバレちゃうんです。
伊東
晩年から逆算して演じなくてはならないということですか。今回、氏政の出演は前半だけでしたが、短い中でも、見事に変化していった印象があります。
高嶋
今回は二段階にすると定めて、小田原攻めが始まる辺りでシフトチェンジしました。脚本の三谷さんから直接お電話もいただいて、かつての大河「武田信玄」で中村勘九郎さん(当時)の演じた今川義元、映画「クォ・ヴァディス」でピーター・ユスチノフが演じた皇帝ネロみたいに、歌を詠み、蹴鞠をするお公家さんのような武将をイメージしていると教わって参考にしましたね。
伊東
「三谷さんの脚本は練習するとわからなくなる」と仰せになっている記事を読みましたが、どういうことですか?
高嶋
一、二回読めばほぼ頭に入るほど分かりやすく覚えやすい脚本なのに、稽古を重ねていくと「もしかして、これは全然違う解釈もあり得るんじゃないか」と思えてくる。実に手ごわいです。
たとえば蹴鞠をしていた氏政が鞠を地面に落とし、それをジッと見ながら「落としてしまった」と言う場面。若干スローモーションで演じたんですが、それは鞠が自分の首に思えてしまって……。
伊東
そんなメタファーが!
高嶋
あくまでも僕の解釈ですが。一見、分かりやすい台本の中にそういう場所がいくつもある。気が抜けません。
伊東
試されているんですね。
高嶋
まさに。挑戦状みたいです。台本通りにあっさりとやることもできますが、存在感を出そうと思ったら自然と役の奥深くに分け入っていくことになります。スリリングですよ。
高嶋
せっかくですから、僕なりの役作りについてもう少しお話ししますと、演技のイメージで曲を選んだりすることがあって、氏政の前半のイメージ曲は……(CDプレイヤーでジャズを流す)エリック・ドルフィーの「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」。バス・クラリネットが奏でる無邪気な音色と後半のアドリブ演奏の凶暴さがイメージに合う気がして、ずっと聞いていました。
伊東
これは驚きました。実は僕も同じことをしています。ロックが好きなので、レッド・ツェッペリンの畳みかけるようなリフにインスパイヤーされて戦場シーンを描いたり、キング・クリムゾンの自在な展開に影響されたりしています。
高嶋
音楽はイメージが掴みやすいですよね。そして北条包囲網が出来上ってくる頃の曲です。ジョン・コルトレーンの「チム・チム・チェリー」。無邪気な世界がだんだん崩れて追い詰められていく気持ちを、フリージャズの中に感じまして。その頃書いた文章も持ってきました。
「芝居とは、/集中(パラノイア)と発散(野放図)/騒乱とリリシズム(抒情主義)/愛と憎しみ/名声とスキャンダル/几帳面とスラプスティック(荒唐無稽)/生と死/そのものではないか?/美しくもあり醜くもある世界を表現しきれるか、しきれないかのせめぎ合いなのではないか?/切腹への道半ばの政伸」
伊東
もの凄い入り込み方ですね。
高嶋
ドン引きしますでしょ(笑)。僕、バカなもので、さらに切腹の撮影の数日前に、辞世の句を書いて三谷さんに送っちゃったんですよ(笑)。バート・バカラックの「アルフィー」の歌詞で「これからは心に従って生きていく そうすれば いつか きっと愛は見つかる」という愛の詩。氏政にはちゃんと別の辞世の句があることは知っているんですが、なぜかこれがその時の自分にぴったり来まして。
伊東
高嶋さんご自身が、ここまで演技にオリジナリティを加えていらしたとは驚きました。
高嶋
役者は演じる人物の最良の理解者となり、最終的には本人そのものにならなければいけない。セリフを言うだけでは表現の手前で終わってしまいます。
伊東
いま小田原市が北条氏を大河ドラマにしようと運動をしており、僕も協力しているんですが、「北条大河」実現の暁には、高嶋さんが別のアプローチで作り上げた氏政をぜひ見たいですね。
高嶋
実際の氏政はどんな人物だったんでしょうか。
伊東
氏政は書状が多く残っていて、それを読むと、極めて常識的な人物だったと思いますね。その点では家康に似ている。でも何が違うかというと、家康は勝負どころでズバッと前に出られる。氏政の方は、あくまで慎重です。それが、天下を取った男と滅亡を招いてしまった男の違いですね。
高嶋
名将と言われる父・氏康に比べて氏政は劣ったといいますが、やはり氏康の方が優秀だったんでしょうか。
伊東
どちらが優秀かというより、それぞれに与えられたステージが違ったということです。氏康の時代は、まだ関東に守旧派勢力が残っており、それを駆逐するために勝負に出ざるを得なかった。一方の氏政は父から広大な版図を受け継ぎ、それを維持拡大し、次代に渡すのが課題でした。「汁かけ飯」は氏政の慎重さを表すものですが、立場上、そうならざるを得なかった面があります。立場が違うので、一概には比較できないのです。
氏政の苦悩と解放を想う
高嶋
氏政が最期に汁かけ飯を食う場面は台本には「ものすごい勢いで飯を食う氏政」としか書かれていなかったんです。どうしようかと悩んで三谷さんにお電話したら「たとえば、汁の方に飯を全部入れちゃうとかどうでしょう」と言われて、さらに悩んでしまい(笑)。それで練習しているうちに、ふと「父が言ったことを思い出して、父・氏康のように一度に汁を全部かけてみよう。そうしたら自分の人生も変わっていたかも」という気持ちでやってみようと思って全部かけたんですよ。で、かけてみたら「おいしい」。いつもと同じ汁飯なのに、あまりの美味さに一気に食べて満足して全部解き放たれ、「でも、俺のやり方で良かったんだよな」と思う。そんなイメージで演技しました。
伊東
そういうことだったんですね。たしかに、当主として先祖から広大な領土を受け取った男なので、死ぬ瞬間まで責任感はすごくあったでしょうし、それが死によって解放される感覚なのかもしれません。ただ先祖から引き継いできたものを子供たちに渡せなかったという無念も、またあったでしょうね。
高嶋
前半の氏政には戦国の世を楽しんでいる感じさえあった気がするんです。それが徳川が説得しに来た辺りから、なんとなく世界が自分の考えと違ってきているんじゃないかと思い始める。けれど合わせることができず、最後は時代の方が先に進んでしまって従来のやり方が通用しなくなった……。
伊東
籠城時の氏政の書状などは残っていないんですが、様子として伝えられているのは「御隠居様(氏政)がご機嫌斜めで『勝手にしろ』と言っている」というもの。これには息子・氏直への代替わりが関係しているはずです。代替わりって親から子に権力が委譲されるだけじゃなくて取り巻きも変わる。家中の構図が一変するんです。実際に氏政が、どれほどの権限を保持していたかはわかりませんが、思った通りにいかないもどかしさの中で滅んでいくという辛さが、強くあったと思いますね。
高嶋
『城をひとつ』にも通じますが、一つの城が落ちるということがいかに大きなことかが分かります。僕は北条が完璧じゃなかったところにかえってロマンを感じますね。
波 2017年4月号(新潮社)より転載
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