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「聖なのか俗なのか」【歴史奉行通信】第九号

こんばんは。
伊東潤メールマガジン「第九回 歴史奉行通信」をお届けいたします。

〓〓今週のTopic〓〓

1.伊東潤より新年のご挨拶
2.『茶聖』各地方紙掲載のインタビュー・エッセイ
3.お知らせ奉行通信<読書会 / 新刊情報 / イベント・TV出演情報>

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1.伊東潤より新年のご挨拶
「新連載『茶聖』の梗概と作者の言葉」
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あけましておめでとうございます。

さて皆さん、お正月はいかがお過ごしですか。
私は例年と変わらず仕事三昧の日々を過ごしています。

というのも『茶聖』という千利休を主役に据えた大長編の連載が、
地方紙で始まったからです。

地方紙ですから、それぞれの事情により開始時期が異なります。
それゆえ、「いつから」とは言えませんが、
順次スタートを切っています(正月時点で七紙)。

もちろん300回余・約一年の長きにわたる大作なので、
私の戦国小説として、大きな区切りとなる作品になるはずです。

今回は地方紙各紙に順次掲載されている梗概(宣伝文句のようなもの)、
「作家の言葉」、インタビュー・エッセイを掲載し、
私の構想を知っていただきたいと思っています。

なお単行本になるのは、2019年下半期以降となります。

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『茶聖』梗概

茶の湯という安土桃山時代を代表する文化を完成させ、
それを普遍的なものとして、
日本人の中に定着させた千利休。
彼は一個の芸術家にとどまらず、
一つの時代を創り出したプロデューサーだった。

茶の湯が、能、連歌、書画、奏楽といったライバル文化を圧倒し、
武士たちを魅了した理由はどこにあったのか。
同時に利休は何を目指し、何を企んでいたのか。
秀吉とはいかなる関係で、いかなる確執が生まれていったのか。

これまで曖昧模糊としていた利休の内面と死の真実に、
『天下人の茶』の伊東潤が挑む。

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『茶聖』 作家の言葉

天下分け目の戦いは、実際の戦場ではなく、
三畳ほどの茶室の中で行われていました。
その息苦しいまでのせめぎ合いを描いていきます。

利休は聖なのか俗なのか、
秀吉の影となることで、
利休は何を得ようとしたのか。

秘密のヴェールに包まれていた戦国時代の裏面史を今、
暴き出します。

私の作家キャリア前半の集大成的作品となりますので、
じっくりとお楽しみ下さい。

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2.『茶聖』
各地方紙掲載のインタビュー・エッセイ
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戦国時代には、多くの魅力に溢れる人物が現れました。

とりわけ茶の湯を文化として大成させた千利休は、
とてもユニークで謎に満ちた存在です。

茶の湯は茶道となり、今でも日本を代表する文化の一つとして根付いていますが、
それもこの時代の利休の活躍によるもの、と言っても過言ではないでしょう。

戦国時代の茶の湯は、死と隣り合わせで生きる武士の心の拠り所であり、
荒ぶる魂を鎮める鎮静剤の役割を果たしました。

武士たちは茶の湯を嗜むことで、
心の平安を得て、戦いへと集中力を高めていったのです。

そうした効用に気づき、一大ブームにまで築き上げたのが、
プロデューサーの利休であり、背後にいるスポンサーの秀吉でした。

室町時代から、茶の湯は足利将軍家を中心とした上級武士の嗜みとして流行っていましたが、
それを自らの天下平定事業に利用しようとしたのが織田信長です。

信長は武功を挙げた家臣たちに分け与える土地が足りなくなることを見越し、
東山御物といった名物をかき集め、それを土地の代わりに家臣に与えました。
同時に茶会を認可制とし、それを開く権利をもステイタスにしたのです。

これが信長の御茶湯御政道です。

しかし信長は、その画期的な構想の行く末を見届けることなく、本能寺に斃れます。

次の天下人となった秀吉は、あらゆる分野で信長のやり方を踏襲しようとしました。
しかし信長同様、天下人として直面するのは土地の不足です。

そこに目を付けたのが利休でした。

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