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ドーピングがなぜいけないのか分からない

オリンピックの度に、ドーピング問題が話題になる。ドーピングを理由にメダルが剝奪された例は枚挙にいとまがないが、そもそも、なぜドーピングは禁止されているのだろうか。

「ドーピング なぜいけない」と検索して上の方に出てきたNPBアンチ・ドーピングガイド2022によれば、ドーピングが禁止される理由として以下の4つが挙げられている。

①選手の健康を害する

②アンフェアである

③社会に悪影響を与える

④スポーツそのものをだめにする

私は、実は、ドーピングがなぜ禁止されているのか、全く理解できない。いや、正確に言うと、「ドーピングは禁止した方がいいな」とは思うが、「ドーピングを禁止すべき理由」を明確に説明することができない。上の4項目を読んでもだ。というのも、上の4項目全てに簡単に反論できるからだ。

ドーピングがなぜ禁止されているのか、説明できない訳を説明していきたいと思う。

今日はそんなことについて書いていこうと思う。

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まず一つ目の「選手の健康を害する」である。

確かに現在ドーピングに使われている薬物は選手のその後の人生の健康を害するため、選手のためにドーピング薬は使わせない、というのは筋が通っている。

しかし、オリンピックに出るほど体を鍛え上げたアスリートほど、短命であることが知られている。

スポーツのやりすぎは心臓に負担をかけ、結果的に寿命が短くなる。過度なスポーツは、それ自体選手の健康を害している。これとそれとは一体何が違うのだろうか。

一般にスポーツをしていた方が健康的で寿命は長くなるが、オリンピックに出るほど高度に鍛え、常人を超えた身体を手にしようすること自体、選手の健康を害している。現代のオリンピックでは、進化し続けた競争の結果、明らかに必要とされる運動量の度合いが「過度」である。古代オリンピックのように、単に身体能力が高いムキムキマッチョマンたちが競っていた牧歌的な時代とは違う。オリンピックに出るためには、他の様々なことを犠牲にして、ひたすら自身の身体を強化しなければならない。

現代、オリンピックに出るために必要とされる身体は、明らかに「過度」である。それが選手の健康を損なっている。これと、ドーピングによって健康を損なうことは何が違うのだろうか。私には分からない。

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第二の「アンフェアである」点について。

今のスポーツ業界を見ていると、何がフェアで何がアンフェアなのかさっぱり分からない。

例えばバスケットボールは、身長が高い方が圧倒的に有利なスポーツである。そして、身長は遺伝的要素でだいたい決まる。それはアンフェアでは無いのか。

また、オリンピックの開会式の入場行進を見ればすぐ分かるのだが、選手の人数は、先進国で多く、発展途上国で少ない。もちろん、発展途上国の方がアスリートの素質を持った選手が生まれにくいから、ではなく、先進国の方が高価なトレーニングマシンや練習施設、公的機関によるバックアップを受けやすいからである。それはアンフェアじゃないのか。

第一の「選手の健康を害する」にも繋がってくるのだが、もしも、「選手の健康は全く害さないが、選手の身体能力を著しく高める、とても高価なクスリ」が開発されたら、それは認められるのだろうか。認められるとしたら、そのクスリを買えるのは当然先進国の選手たちだけとなり、表彰台から発展途上国の選手の姿は消え去るだろう。逆に認められないのだとしたら、なんで今まで高価なトレーニングマシンや練習設備による「アンフェア」があったことを黙認していたのか、ということになる。

そもそもスポーツで鍛えるための手段はアンフェアだらけであり、なぜ薬物だけがアンフェア扱いされるのかが理解できない。

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第三の「社会に悪影響を与える」について。

これについては、そもそも命題がよく分からない。なぜドーピングが社会に悪影響を与えるのか、イマイチ釈然としないのである。

おそらく、「薬物によって身体または精神の能力をエンハンスメントすることは許されるべきではない。だから人々の模範となるスポーツ選手は真っ先にそれを守るべきだ」という意味になるのだろうが、そもそも時代は、確実に、薬物によって能力をエンハンスメントする方向へと進んでいる。

さまざまなサプリメントが開発されて人々はそれを飲んでおり、誰もそれは悪いことだとは思ってない。また受験生が薬物(スマートドラッグ)によって知能を増強させることを「アカデミックドーピング」と言うが、スマートドラッグを経験したアメリカの学生は25%もいる。

もし「身体や精神に悪影響を与えずに、かつ知能をアップさせるクスリ」が開発されたら、みな使うようになるであろうし、もしかしたら国力増強のために政府が開発を推奨するように予算をつけるかもしれない。

このように、スポーツ選手が薬物を使おうが使うまいが、時代の流れは確実にクスリによる能力アップへと向かっており、それは止められないのである。

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最後の「スポーツそのものをだめにする」について。

これは、「そもそもスポーツって何のためにあるの?」という疑問から始まるのだが、それは「物理と精神を基軸としたエンターテイメントに人々が熱狂するから」が答えだと私は考える。

例えば肺活量で世界一をとった男がいたとしても、せいぜいギネスブックに載る程度のことであり、人々は熱狂しない。人々を熱狂させるために、マラソンランナーはわざわざ42.195kmを走らなければならない。その物理性を見なければ、人々は興奮しない。

また、野球で9回裏2アウト満塁1点勝ち越しの場面では、バッターやピッチャーは緊張のピークに達しており、そして見る側も手に汗握る状況である。その精神性の共感こそハラハラドキドキの要素であり、そこに人々は熱狂しているのである。これがもし、過度にストレスを与えた時の精神状態の恒常性を測る心理テストを生中継したとしても、見る人々は熱狂しない。

このように、物理と精神という「分かりやすい」2つの要素で成り立っているからスポーツは人々を夢中にさせている。「ドーピングはスポーツそのものをだめにする」とは、とどのつまり、物理と精神だけから構成されるべきスポーツに、薬物というケミカルな要素が入ってくるのが「なんとなくキモチワルイ」と人々が感じて、熱狂しにくくなってしまうからなのである。

だが、スポーツ選手が食事に気を使ったりと、自身の体調管理をしている以上、どう考えてもスポーツは生化学的な要素が入っている。単にそれは表舞台に立った時に見えていないだけの話だ。

結局のところ、ドーピングが禁止されている理由とは、物理と精神以外のケミカルな要素が「見える化」されてしまったら、人々が冷めてしまうから、なのではなかろうか。

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私も、ワールドカップやオリンピックなどでスポーツ観戦をすることは時々ある。そして、無意識のうちに、スポーツが物理と精神だけによってフェアに行われていることを期待してしまう。それゆえに、ドーピングに対する嫌悪感がある。しかし、いざ「なんでドーピングはいけないの?」と聞かれても、その理由を説明することができないのである。


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