少子化を防ぐには、大学生を減らすことが先決だ

今の日本における最大の国難は、少子高齢化だろう。

少子化の原因は様々な理由で語られることが多い。とりわけ多いのが、「こども一人当たりにかかる教育コストが高い」だ。子供の教育費を考えたら、2人も3人も生むわけにはいかない――と。常識的に考えて、女性が人生に2人以上こどもを生まなければ人口は減っていくのだから、これでは困る。

実を言うと私は、少子化の根本的な原因は教育コストではないと考えている。それはいずれ別の記事で書くつもりだ。だが、私の考えが独りよがりかもしれないので、このテキストでは一応、少子化の最大の原因は教育コストのせいだという前提で話を進める。

その前提で考えると、少子化を防ぐ最も有効な施策は、大学生を減らすことだ。とにかく、大学の定員を減らして、大学生の数を減らすことが大事だと考えている。

今日はそんなことについて書いていこうと思う。

そもそもなんで昨今の教育コストが高いかというと、大学があるからである。

まず、大学自体にお金がかかる。平均的な国公立大学では4年間でおそよ250万、私立では500万程度を払わなければならない。それに加え、学業に専念する上での生活費も上乗せされてくる。地方から都市に進学して仕送りなどをすれば、その額は一気に膨れ上がる。学費を捻出するために本業である勉学よりもアルバイトに精を出さなければならないという本末転倒な事態も起きている。今や奨学金を借りる学生は全体の半分にまで及んでいるが、働いてから奨学金が返せなくて自己破産するケースも増えている。

そして何よりお金がかかるのが、大学に行くまでの勉強代だ。いい大学に行って、いい就職先に勤め、いい人生を送る――というライフプランを実現するためには、まずいい大学に入らなければならない。より学歴が高いとされる大学に入るには、塾代や家庭教師代が莫大にかかるのである。

では、そもそもなんでそんなにお金がかかるのに大学に行かなければならないのだろう? その根本的な理由は何なのだろう? それは、「みんなが行くようになったから」だ。

昨今の、特に「いい就職先」とされる大企業などは、採用条件として「大卒」を掲げているところが多い。そのため、大学生にならなければいい企業に入れない――という価値観で大勢が進路を選択している。

ではなぜ大企業が軒並み大卒を採用条件に課しているのかと言えば、端的に言って、「私はそこそこ頭が良い人間ですよ」という証明を提示してもらいたいからだ。大学に入る程度の頭脳を持っているならば、きっと優秀な人材に違いない――と人事課の人は考え、大卒者を採用する。

お気づきだろうが、そこでは一切と言っていいほど、大学で何を学んだかは問われていない。企業は就活生に「私はそこそこ頭が良い人間ですよ」という保証書を求めているのであって、「大学の教育でスキルアップした人材」を採りたいわけではない。実際、多くの企業の面接では、何を勉強したかよりも、「学生時代一番頑張ったこと」などが問われることが多い。企業は、大学教育がビスネスに役立たないことを、経験的によく知っているのである。

つまり、大学で学ぶことなど、企業もさして重要視していないし、「大学教育でスキルアップした人材」を選別しなくても、実際に会社は回っているのである。はっきり言って、大学教育は日本のビジネス界に役立ってない。学者やエンジニア、医者、教師などの一部の専門職を除けば、大学教育自体は不要と言ってよい。

企業が求めているのは「私はそこそこ頭が良い人間ですよ」という保証書だ。そして、大学生が増えてしまったせいで、その保証書を持たない人間、例えば高卒者の価値が、大幅に下落してしまったのである。「保証書を持った人間がたくさんいるのだから、わざわざ高卒を採らなくても人材には困らない」と企業の人たちは考えるようになり、高卒者は就職をしにくくなった。

つまり、大学に、"みんなが行くようになったから"、大学生が増え、「私はそこそこ頭の良い人間ですよ」という保証書を大勢が持つようになり、高卒の価値が下落して就職できないため、「じゃあ私も大学に行かなければ」と思う人間が量産される――という悪循環が起きてしまったのである。たとえお金がかかったとしても、大学に行かなければいい就職先に勤められず、いい人生を送れない――と大勢が考えるようになってしまった。だからみんな大学に行くのだ。子供がどう思っているかは別として、少なくとも親はそう考えている。

読者の皆さんは肌感覚で知っていると思うが、多くの大学受験生は、「私はそこそこ頭の良い人間ですよ」という保証書が欲しいのであって、大学で勉強がしたいわけではない。実際、日本の大学生は、合格した後は驚くほど勉強しない。大学は実質、就職予備校と化してしまっている――というロジックを言い出した奴は、正しい。大学での学問など、先ほども言った一部の専門職を除いて、誰も望んでないのだ。大学での教育など役に立たないと多くの人が考え、実際役に立ってないのである。大学教育は、今の日本社会の大きなムダと言っていいだろう。

これはもはや、実体経済に即さずマネーゲームと化してしまった株のようだ。大学で培われる教養・学問、という実体など誰も気にしておらず、大卒という肩書きの株価だけが上がり続けている現象なのだ。逆に、高卒者の株価は下落し続けている。

逆を言えば、大卒者が減れば、高卒者の就職状況は改善されるのである。「私はそこそこ頭の良い人間ですよ」という保証書を持つ人物が少なくなれば、企業は保証書を持たない人物まで採用範囲を広げなければならず、高卒者もより就職がしやすくなるのだ。

私が、少子化を防ぐには、大学生を減らすことが大事だと思う理由がここにある。つまり、一部の専門職を除けば大学の教育はほとんど役立っておらず、実体に即さずに大卒の肩書きの価値だけ膨れ上がってしまったから、みんなが大学を目指すようになり、教育コストが上がってしまった。大学の定員を絞り、実体にそぐわない大卒の肩書を減らして、高卒でも就職しやすくすれば、教育コストを減らせ、少子化は改善されるはずだ――と。ざっくり言えばこんな感じである。別に勉強したいわけではなく、実際勉強は役に立たないにも関わらず、肩書きのために高額な教育費を払わなければならない。それで子供が減っている。これが日本社会の足かせになっている。こんなバカな状況はあるか。

少子化を防ぐには、大学定員を絞り、大学生を減らして、高卒の価値を向上させ、一人の子供にかかる教育コストを減らすことが先決だ。大学生になるのは、先ほども言った、学者やエンジニア、医者や教師などの一部の専門職だけでよく、「大卒の肩書きが無いと就職できないから大学に行かなくちゃ」という思いだけで進学する人を減らすことが大切だ。適切な定員の削減規模がどれくらいかは私には分からない。2分の1かもしれないし、5分の1かもしれないし、10分の1かもしれない。とにかく、特に勉強したいわけでもないが就職のために進学せざるを得ない大学生を減らし、高卒者の価値を相対的に上昇させることによって、「大学に行かなくても就職できるよ」という雰囲気を作ることが必要だ。そうすれば、親世代が支出する教育コストを大幅に減らすことができる。子供にお金をかけなくても、高卒でも、いい企業に就職して、いい人生が送れるーーそういう社会にしていくことが大切だ。これが、少子化を防ぐ現実的な方策だろう。

と、私がこんなnoteの片隅で提言したところで、実行に移されることはまずないだろう。「大学生を減らそう」なんてことを言い出す政治家がいたら、「なにコイツバカなこと言ってるんだ?」と真っ先に落選するだろう。いや、それよりも、アカデミア界から猛反発を受けるだろう。「日本人の知的レベルを下げる気か」「学問は芸術と同じでそれだけで価値があるものなのだ」という顔をして。実際は、大学が減ってしまったら大学教員のポストも減ってしまい自分もクビになるかもしれないから、というのがホンネだろうが...。

だが私が思うに、大学生を減らした方が彼ら教員のためになる。大学を減らして、それとは別に研究所を作り、そこで彼ら大学教員を働かせた方がいい。勉強したいわけでなく単位のためだけに勉強している学生を前に講義するより、研究所に配属させて自身の研究に集中してもらった方が互いにWin-Winではなかろうか。大学の雑務から解放されて研究に集中させた方が、日本のアカデミア界にとってはプラスになるのではなかろうか。

話をひっくり返すようだが、私自身は別に、「大学生を減らすべきだ」と考えているわけではない。というのも理由が2つある。一つは、最初にも書いたが、少子化の最大の原因は教育コストの高騰にあるとは考えていないということ。そしてもう一つは、大学が若者にモラトリアムの機会を与える絶好の場所になっているということだ。

これもいずれ記事にして書こうと思っているが、日本の大学は、若者にモラトリアムを与える優れた場所として機能している。一応大学は「学問をする場所」というタテマエになっているが、実際は若者にモラトリアムを与える場所としての側面の方が重要な役割となっている。その大学を無くそう、なんて私は考えてはいない。

だが、少子化の最大の原因は教育コストにある、という前提で考えるならば、少子化改善のためには大学生を減らすことが最善手だ。それだけは提言しておきたい。実行に移されることなどまずないと見ているが、この意見に同意してくれる者が増えたならば、万に一つ、状況は好転するかもしれない。そのためにこの記事を書いた。同じように考えた方がいたなら、ぜひともこの考えを世に広めてほしい。

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