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向いてないぜ日記
向いてない
ああ、向いてない
向いてない
一句読めてしまうくらい、そう思う。
何に対して?自分のいろいろなことについて。
だいたいいつも、不器用だなと思うし、キャパオーバーだなと思う。
母親に向いてない、とか主婦に向いてない、とか、人付き合いだとか仕事だとかあれだとかこれだとか。
わたしのキャパはそんなに大きくなくて、しかもよくわからないムダな時間も必要で。そのくせに、あれもやりたい、これも気になると手を出したりして。「手を出す」が「やってみる」アクションならまだマシで、モノを買い揃えて満足、みたいなことになるともう、目も当てられないし、今度は財布のキャパの問題にもなる。有り余るほどお金があるなら、気にもならないだろうけど、そんなわけはない。
そういえば昨日は、ムダとかコスパ・タイパとか考えずに、自分の心が喜ぶことに使おうぜ!!なモードだった。同じ自分が今日は、これが何につながるだろうか、とか考えていたりする。この振れ幅。にんげんだもの、驚いたりしませんけど。
にんげんだから、いろいろな日があるのが当たり前。からだもこころも揺れ動いて当たり前。東洋医学では、人間は一定ではなく、揺れ動く、揺らぐものとしてバランスや偏りを診る、みたいな話を聞いたことがあったようななかったような。揺らぐの、当たり前ですよね、正常ですよね、と思う。
向いてないと言えば。そうだ昨日、日記祭り、みたいなイベントで日記の話をしたときに一緒にいた人には言えなかったけど、わたしは日記を書くのが続かなくて向いてないぜと思ったりする。やめてはまた書き出すのを何度繰り返していることか。何十回?何百回??子どもの頃からだとすれば全く数え切れない。
でもまた書き出しているなら、やめていないとも言える。毎日続いていることだけを、続いていると呼ぶわけでもないか。向いてない、と勝手にジャッジしているのは自分だし。誰かに言われたわけでもないし、誰かに言われたからどう、ということもないのだろう。
というわけで、また、人に見せられない日記を書く。向いてないわと時々思いながら、書く。noteは、毎日note宣言したのでしばらくは書き続ける、筋トレ的に、多分。日付を跨いだり跨がなかったりするけど、一晩にひとつ。