ヨルシカ「盗作」ライブレポート -大阪公演初日-

ヨルシカ LIVE TOUR 2021 「盗作」 2021.9.20. Mon - @オリックス劇場

運よくチケットが当たり、ヨルシカ LIVE TOUR 2021 「盗作」大阪公演を見に行くことが出来た。

アルバム「だから僕は音楽をやめた』、『エルマ』のライブツアー「月光」を見に行った時にはレポートを書こうとは思わなかったのだが、今回有難いことに2度目のヨルシカツアーライブ参戦が叶った。

何事でもそうだが、物事の良し悪しを測る際は基準が必要となる。今回は、2度目のヨルシカツアーライブ参戦なので前回のライブとの比較で良し悪しを測ることができた。
今後ファンも増え、規模も大きくなっていくであろうヨルシカのライブ記録として本記事を書きたいと思った。

また、逆に今回のライブを見たことによって思った「月光」のレポートも書ければいいなと思っている。

今回のライブも多数チケット落選してしまっているファンの方もいると思う。せっかくなので、そういった人たちがこの記事を読んで、「あぁ行きたかったな。」と思ってもらえる記事になればいいと思う。


事前情報として、ヨルシカについて少し触れておく。以下全て敬称略なのでご了承いただきたい。

コンポーザーの”n-buna”がボーカル”suis”を迎えて結成したバンド。
ヨルシカ メンバー:n-buna[ナブナ](Guitar / Composer)
          suis[スイ](Vocal)
サポートメンバー:下鶴光康(Guitar)
                                 キタニタツヤ(Bass)
            Masack(Drums)
            平畑徹也(Piano)

2012年より精力的に活動していたボカロP "n-buna" が2017年、ボーカル "suis" を迎えて結成したバンドである。

LIVE TOUR 2021 「盗作」ではアルバム『盗作』とEP『創作』の曲を元に作られたコンセプトライブだった。

既出アルバム『夏草が邪魔をする』、『負け犬にアンコールはいらない』、『だから僕は音楽をやめた』、『エルマ』どれも良いので是非一度聞いてみて欲しい。


※この先は以下を含みます。ご注意ください。
・個人的解釈や感想
・ネタバレ
・曖昧さ


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ヨルシカの楽曲及びアルバムはコンポーザーであるn-bunaにより、明確にコンセプトを持って制作されている。

『だから僕は音楽をやめた』では、音楽を辞めることになった青年“エイミー”がスウェーデンを旅しながら”エルマ”へ向けて作った楽曲が収録されているし、『エルマ』では、その"エイミー"から送られてきた手紙に影響を受けた“エルマ”が手掛けた楽曲が収録されている。

明確にテーマを持って作られたアルバム、楽曲と、共感性の高い情動的な歌詞、幅の広い曲調などが若い世代を中心に人気を獲得している所以だと思う。


今回のライブの元となるアルバム『盗作』のコンセプトは、“音楽の盗作をする男”である。

俺は泥棒である。
往古来今、多様な泥棒が居るが、俺は奴等とは少し違う。
金を盗む訳では無い。骨董品宝石その他価値ある美術の類にも、とんと興味が無い。
俺は、音を盗む泥棒である。

音楽の盗作をする男を主人公にストーリーが作られ、そのワンシーンをもとに楽曲が制作されている。



アルバムに話が少しそれてしまったが、ヨルシカはアルバムだけでなくライブにもしっかりとしたコンセプトが宿る。

ライブツアー「月光」では『だから僕は音楽をやめた』と『エルマ』の対になる楽曲をなぞるセットリストで、”花緑青の塗料を飲んで海に飛び込んだエイミーが見た走馬灯”がコンセプトとなっている。海に沈み意識も遠のく中で最後に見えた光は月光だったそうだ。

もちろん今回のライブツアー「盗作」にもコンセプトがある。会場に入る時に貰った短編小説のタイトルが今回のコンセプトなのだろうと思う。タイトルは【生まれ変わり】だった。


以前、n-buna本人がTwitterで

ヨルシカをただ一つの作品にしたい
やるからには作品としてのライブをやるので

といったツイートをしていた(現在はアカウントが消されているのでURL省略)。

徹底した作品至上主義で、ライブをするのも、ただ会場に行って盛り上がるセットリストを演奏して終わりというものではなく、一つの作品として作り上げたいという強い意志を感じる。

「月光」も「盗作」も、ボーカルによるMC無し、アンコール無しという、本気でライブを作品として昇華したいと感じられる構成になっていた。

「月光」はBIG CATという大きめのライブハウスで、スタンディングのみであった。曲中に手を上げたり、コールアンドレスポンスがあったりという、いわゆる普通のライブ演出は一切無く、ただライブを見て聞いて、拍手をして終わるというものだった(手を挙げるくらいはあったかもしれないが、少なくとも挙げたくなる雰囲気ではなかったことを覚えている)。コロナ禍でもないのにである。ピアノ/キーボードの平畑徹也(以下はっちゃん)が頭を振り手を挙げ観客を煽ってるにもかかわらず、フロアはそれに乗り切れないといった感じであった。

これは盛り上がりがなかったからということでは決して無い。作品としてのライブだとフロア側も感じていたからこそであり、ある意味でn-bunaの考えと一致したライブだったのだろう。

確かに作品として作り上げるならそういった形のライブになることは自然だし、何なら拍手すら無いほうが良いのではないかとも感じるライブだった。それ故に会場とのミスマッチが悔やまれるライブだった。作品としてのライブをするのであればサイズはともかくホールでやるべきだったと思う。最後までこだわりぬいて作り上げられた作品だからこそ、なんだかやり切れない思いになり、良くも悪くもずっと心に残っているライブだった。


そして「盗作」である。会場は上述の通りオリックス劇場。キャパは3階席まで含めて2400人で前回のBIG CATの850名を大きく上回るうえ、大阪ツーデイズという、前回の反省を濃く活かしたツアーレイアウトだった(前回はチケット落選が多く出ていた)。全席指定席の上、座った状態でライブを見ることを求められた。

コロナ禍故の座り見指定ではなかったように思う。前回のライブを受けて、ヨルシカ側で指定したのだろう。ライブを見るというよりは、コンサートや映画を見るという表現のほうが近く、作品としてライブを行うのであれば最も良い形だったと思う。


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本編

前置きが少し長くなってしまったが本編に入る。

正面奥には大きなスクリーンがあり、左手前からベース、ギター(下鶴)、ボーカル、ギター(n-buna)、アップライトピアノと並ぶ。ボーカルの後ろにはベンチ。左奥にドラム、右奥にキーボードという構成のセットだった。

会場にアナウンス前置きのブザーが鳴り響き、アナウンスを流しながら暗転していく。

暗いステージの右側から男性が出てきてアップライトピアノの前に座る。n-bunaだ。「月光」同様、スポットライトを浴びて語りから始まる。

後ろのスクリーンには田舎の風景と語りの字幕が映る。情景を想起させる語りが「百日紅」を読み上げると同時に、スクリーンも赤く反転し百日紅を強調する。重要なワードの1つなのだろう。

「君」と「僕」が隣町で行われる祭りに行く話と、「君」がかつてバス停で見た幽霊の話が並行して進んでいく。

語りの間に他のメンバーが静かに登場し、語りが終わる。跳ねたリズムで『春ひさぎ』が流れる。


春をひさぐ、は売春の隠語である。それは、ここでは「商売としての音楽」のメタファーとして機能する。
悲しいことだと思わないか。現実の売春よりもっと馬鹿らしい。俺たちは生活の為にプライドを削り、大衆に寄せてテーマを選び、ポップなメロディを模索する。綺麗に言語化されたわかりやすい作品を作る。音楽という形にアウトプットした自分自身を、こうして君たちに安売りしている。
俺はそれを春ひさぎと呼ぶ。

会場がそこそこ大きいので、ローとハイが良く出ている。コロナ禍で多くのライブが流れ、大きな音を聞く機会が久しくなって1年以上経つ。久しぶりに全身で浴びる音楽に、「ああ、やっとここまで戻ってきたんだ」と思った。

照明もかなり良くなっていて、前回よりもさらに練ってきたんだろうなというようなことを考えている間に曲が終わる。

春ひさぎの曲終わり、コードのブレイクが入り紫色の照明が下から舐めるように上にあがる。

ワン、ツーの声が響き、ギターのアルペジオが始まる。『思想犯』だ。

思想犯というテーマは、ジョージ・オーウェルの小説「1984」からの盗用である。そして盗用であると公言したこの瞬間、盗用はオマージュに姿を変える。盗用とオマージュの境界線は曖昧に在るようで、実は何処にも存在しない。逆もまた然りである。オマージュは全て盗用になり得る危うさを持つ。
この楽曲の詩は尾崎放哉の俳句と、その晩年をオマージュしている。
それは、きっと盗用とも言える。

ギターのアルペジオで作られた空気を破るようにn-bunaがリードフレーズを奏でる。疾走感のあるギターリフが、原曲より、『前世』の時より、遥かにクリーンな音色で突き抜ける。

その疾走感を維持したまま曲が進んでいく。曲が終わる。

ほんの少し間を開けて、聞きなれないコード進行のギターをn-bunaが弾いている。一周すると下鶴ギターに切り替わり『強盗と花束』が始まる。

異質なコード進行で進む独特の浮遊感がある曲だ。原曲のイメージをそのままに、勢いと、アレンジしたギターソロを加えて音の塊となっていた。



そして2度目の語りに繋がる。再び『百日紅』が強調される。



語りが終わるとn-bunaがアコギを持ちスラップソロを始める。疾走感のあるイントロが流れ『昼鳶』に続く。

ヨルシカの曲の幅には本当に驚かされる。それはn-bunaの作曲の幅も勿論だが、suisのボーカリストとしての能力の高さも伺える。

原曲ではエレキギター2本とアコースティックギターの編成だが、ライブではn-bunaがアコースティックギターを持っているため、下鶴のエレキギターとはっちゃんのオルガンシンセサイザーで音圧を保っている。音色のチョイスが絶妙でとても良かった。

ギタースラップを多用した疾走感のある、でも少しダークな曲である昼鳶を終えるとスクリーンに映像が再生される。機材がエラーを吐いたのかとも思える映像が流れ、『レプリカント』に繋がる。

レプリカントは照明も映像もかなり力が入っている印象を受けた。序盤では無かったレーザーライトが登場したのがこの曲だったと記憶している。ライブ中盤のこの曲でレーザーライトを登場させたことから、演出にかなり余力を残していることが伺えた。

レーザーライトのインパクトもあるかもしれないが、今回のツアーライブで3本の指に入るくらい良かった。映像とシンクロしながら曲は進み、オリジナルより難易度を挙げたギターソロをn-bunaが奏でる。勢いそのままに曲を終える。

映像が切り替わり、『花人局』が始まる。歌詞にリンクして誰かの部屋が細部まで写される。



花人局を終えると、n-bunaが再びアップライトピアノの前に移動し、3度目の語りが始まる。

語りの間にドラムMasackが舞台下手、ベースとギターの間へと移動している。ベースもジャズベースからウッドベースに替わり、ギターもアコースティックギターに替わっている。ここからアコースティック編成でライブは進む。



軽やかななギターフレーズで『逃亡』がスタート。どこかのインタビューで、逃亡の特徴的なピアノリフは、いくつかのピアノ演奏をバラバラに張り付けて、人間感を無くそうとした(機械的なフレーズにする)と読んだ。なんだ、普通に演奏できてるじゃないか。原曲とは違うピアノソロで逃亡が終わり、『風を食む』

この曲は少し惜しいと思った。原曲のサビを低音から支えて強い存在感を放っていたプレシジョンベース(PJかも)のフレーズが、ライブでウッドベースに替わったことでアコースティック編成の音色に埋もれてしまっていた。

風を食むに限らず、打ち込み等も多くある曲たちをアコースティック編成で演奏するのだから雰囲気が変わってしまうのはしょうがない。むしろ、惜しいとは言ったが、ライブでこのクオリティの演奏出来ているのは心底すごいと思った。

風を食むを終え『夜行』へ。

引き続きアコースティック編成でライブは進む。サビ直前のギターハーモニクスのフレーズはピアノでカバーしていたことを覚えている。

『嘘月』が始まる。夜の街から望む月や、月面映像をコラージュしたもの等をスクリーンに映している。



嘘月が終わると4度目の語りが始まる。

語りの間は暗転し、アップライトピアノの前に座るn-bunaにのみピンスポットが当たっている状態だ。



明転し『盗作』が始まる。

暗転中にアコースティック編成からバンド編成に戻っている。4セクション目に入りラストセクションだろうと感じる。

語りの間に舞台上空にオブジェが登場している。上から吊ってるのであろう。大量のステンドグラスのピースで成されたオブジェはハートを象っている。照明がステンドグラスを通り拡散し美しい。

このステンドグラスは最後まで吊り下げ続けるのだろうかと考えている間に盗作が終わる。暗転してはっちゃんにスポットがあたる。ヨルシカでは聞いたことがないフレーズを奏でる。30秒程だろうか。新曲か?と期待しながら何の曲だろう、どんな曲だろうと思考を巡らす。ソロが終わり『爆弾魔』が始まった。

赤を基調とした映像と、激しい照明と共に曲が進む。映像は春ひさぎのアニメーターと同じnilkuだろうか。照明は全曲中最も激しかった。演出の勢いに圧倒されたまま曲が終わり、『春泥棒』へ続く。

春泥棒では大きな桜が映像で流れる。映像内で落ちる桜の花びらがスクリーンを超えて振り続ける。プロジェクションマッピングだろう。最終盤のこのタイミングで更に演出の幅を広げてくる。

終盤になって畳みかけるように激しく、華やかな演出をしてくる。ツアーライブ「盗作」の世界に飲み込まれながら最後の曲、『花に亡霊』が始まる。

このツアーライブを締めくくるのは春泥棒か花に亡霊だろうと思っていた。どちらかと言えばタイアップでもないし春泥棒の方が終わりなイメージではあるが、今回は花に亡霊で締められた。

曲に合わせて花火が上がる。先程同様、スクリーンを超えて会場全体を花火が覆っていた。

曲が終わると暗転し、結びの語りに入る。
「僕」と「君」の話が終わる。語りの内容に関しては、大筋は覚えているものの肉付けしている細かい要素が思い出せない。
フラッシュバックのように赤く反転した百日紅もここで回収されることとなる。

辛うじて覚えているのは、「月光」のキーフレーズを象ったであろう、何度もリフレインされたセリフだけ。

「うちとけて一輪草の中にゐる」


月光の冒頭で「僕らは深い海の底にいる」をリフレインしていたのを思い出す。昔のライブとの繋がりも意識しているのは明確だろう。

語りが終わり、スクリーンには草原が映し出されて明転する。終演である。

ライブ全体を通して曲間のつなぎにもこだわってる印象を受けたし、ソロも原盤と変えていたりとライブ感はしっかり出ていた。最初から最後までで一つの作品として完結出来ていて、前回のライブを受けての反省点や改善点をしっかり押さえてきており、総じて良いライブだった。コロナ禍でライブ参戦が出来てない中で久しぶりに見たライブだったこともあり、しばらく頭に残るだろう。


セットリスト

1.   春ひさぎ
2.   思想犯
3.   強盗と花束

4.   昼鳶
5.   レプリカント
6.   花人局

7.   逃亡
8.   風を食む
9.   夜行
10. 嘘月

11. 盗作
12. 爆弾魔
13. 春泥棒
14. 花に亡霊

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