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花ざかりの校庭 第19回
★
総合病院の待合室で高志はパニックになっていた。
浅子をタクシーに乗せて受付に辿り着いたのが3時。
午後の診察の受付開始直後である。
途中、看護師が治療室から出てきて、彼に聞いた。
「……あの方のおうちのかたですか?」
高志は戸惑った。
看護師が少しいぶかしげに彼を見ている。
「友人……です」
「ご家族のかたは……?」
看護師はそこまで言って、すべてを察したようだ。
「ご友人てすね」
高志は返事に戸惑った。
友人であるには、浅子との関係は深い。
看護師はそのまんま診察室に消えた。
彼の脳裏に、ふと麻里のことがよみがえった。
しかし、このまま浅子と別れることはまた、考えも及ばなかったのだ。
彼は立ち上がり、病院の外を眺めていた。
外はやけに薄暗く、雲が垂れ込めていた。
病院の重苦しい雰囲気が……彼の胸を締め付ける。
体だけ繋がって、心は別物?
そんな都合のいい具合にはいかない。
多分、浅子はそれができると思っていたのだろう。
男の高志ですらそれにかなりの抵抗を感じていた。
アタマで考えるほどに、心は都合良くできてはいない。
こういう時に限って、ちょっとしたことが気にかかる。
彼女の部屋の洗面台においてあった二人のコップ。歯ブラシ。
洗濯機の横にあるかごの中の彼の下着。
彼はため息をついた。
やがて、診察室のドアが開く。
さっきの看護師だ。
「……体調不良ですね」
と、言って彼に入るように言った。
中には入ると、浅子は簡易式のベッドの上で点滴を打ってもらっていた。
腕で顔を覆っている。
「……ゴメン、こんなことになっちゃって……大したことなかったみたい。貧血だって」
彼女はボンヤリとしていた。
「よかった」
高志は言う。
浅子は首をふった。
枕元に携帯があった。
「実家から兄が来るみたいで……」
メール?
なにやら込み入った話になりそうなんだ。
浅子は呟く。
「どうすればいい?」
帰るとはさすがに言えないのだ。
彼女が自分の前で倒れた以上、それは身勝手である。
支払いが終わると、彼女は立ち上がった。
そして病院の裏手にある庭に面したところに腰をかけた。
「……ダメね、私。悪人にもなれやしないい」
そう言うと、浅子は舌打ちしていた。
……嫌だな。
「……俺のこと?」
ちがう、貴方があの子のことを好きなんだってこと。原因は貴方やあの子ではなく、私は遊びといっておいてさ、恋してしまったということなんだ。
辛いよ。これは。横恋慕だね。ねえ?あの子のこと……好きなんでしょう?
浅子は高志を見た。
忌々しげに。
……よく似てるんだ。
え?
貴女と。
浅子は彼をじっと見てから、
「……あの子?」
「うん」
「高志くん、あんた将来、すごい女ったらしになると思うわ」
そういって、髪を整え始める。
「貴方と遊ぶんじゃなかった。その子、抹殺してやりたい。それくらい嫉妬するわけよ、私って」
当て付けで遊んでるなんて言うんじゃなかった。浅子は心のなかで思う。
「貴方のこと、騙しぬいてやればよかった」
ふいに、浅子の手が止まる。
彼女は悔しげに手櫛を…豊かな髪のなかに入れる。そして、髪を後ろにかきあげる。
頬にまとまりきらなかった髪がはりついている。浅子の口元にその先がまとわりついている。
「ホント、あの写真、バレたのがミスだったわ」
彼女はひとりごちていた。
高志は少し笑う。
「ああ、あれ?」
浅子は苦い顔をしている。
彼はテラスで微睡む患者たちに目をやっていた。
浅子は唇をかんだ。
自分らしくない……。ヤバいくらいに目の前の少年との恋に嵌まっている。
何あの子を憎んでいるのか?
それとも…高志と別れようとしているのか?
また、自棄を起こすか?
ふと、芝生のくすんだ青に目を落とす。
河合竜二のことを思い出す。
福岡でサッカーをしている彼女の元彼である。
竜二のことも忘れきれない。
そのくせ、高志にちょっかいを出している。心の整理がうまくいかない。
嫌な思いは消えることがなかった。
高志との行為そのものが、不潔なものに思えた。
「ねえ?」
と、浅子。
彼女は目を閉じた。
「何?」
「帰って、今日はここまで……ということで」
惨めさとか、いたたまれなさを精一杯こらえていたのだ。
早くきえてほしい。
彼に。
「わかった」と高志。
……ゴメンね。今はとても割りきれないんだけど、あなたのことは好きよ。でも、心のなかは海流みたいにあっちこっちにぶつかってるのよ。
「……賢くふるまおうと思っている、ボクはね」
高志は言葉を選びながら返答した。
彼女は頷いた。「そうね。ありがとう」
高志は頷く。
私、自棄を起こすのが今、とても恐いの。
起こしかねないから。感情って、本来、自分が自分にかける罠みたいなもんだから。
さっき、点滴をしてもらってたときに気づいたんだ。これは、発見かもしれない。
とにかく今はひとりになりたい。
いや、なった方がいい。
悪いけど。
まともな気分になれそうにないから。
高志はベンチから立ち上がった。
高志はやがて、病院の警備のボックスを通りすぎると、街のなかに混じり込んだ。
既に夏は終わりの気配を見せていた。
彼は空を見上げた。
やはり、浅子は麻里に似ている。
意地をはりだすと、なかなか引かない。
腹にため込む。
背格好さえはるかに大人だったが、彼女と麻里は同じだった。
浅子はおそらくその事に薄々気づいているのだろう。
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